《第10話》
さて、この研修での成果は、プラスイメージ習得だけでなく、多くの人との出逢いや、情報という付加価値があった。
そこで知り合った人に、「研修や教材も買うだけじゃなく、実益に結び付かなければダメ」と言われ、
「心の分野の勉強と収入が得られるいい話がある」
と誘われたのが、ネットワークビジネスの世界だった。
その時に私が個人的に受けた、ネットワークビジネスの印象は、「スーツも着ないで毎日自由な時間を過ごし、ベンツに乗り、自分の成功体験を人に話すだけで高収入が得られる」というものだった。
(実際に成功している方は、きちんと地道に努力を重ねている方がほとんどでしょう)
魅力的… というより、むしろ反感のような感情を覚えた。
「畜生、こんなチャラチャラして、どうしてそんな生活が出来るんだ」
しかし、「この人たちに出来るなら、俺にも出来ないはずはない!」と、その反動から、結局やってみる決断をしてしまった。
本音を言うと、とても親切にしてくれた人たちがいた一方で、そのビジネスの仲間の雰囲気には、最初から馴染むことは出来なかった。
しかし、成功者の話や講演会など、モチベーションを上げる場所に連れていかれ、
高級外車やクルーザーに乗り、平日昼間からシャンパンを開ける…
そんなビデオを見せられているうちに、だんだん感化された。
「このビジネスの仕組みを利用して成功すれば、俺も嫌なサラリーマン生活から抜けられるかもしれない」
と強く思うようになった。
ここにも、大きな落とし穴があった。
私は「ネットワークビジネス」という仕事や、そこで扱う商品に興味を覚え、その仕事にやりがいを見いだして始めたのではない。
ネットワークビジネスを通じて、手に入るかもしれない、現実からはほど遠く、当時の自分では幻想に近い「成功」という結果に惹かれて、そのビジネスに興味を抱いてしまったのだ。
ネットワークビジネスの人たちの「成功」の影にも、本当は、サラリーマンとして成功している人たちと全く同じように、「仕事」そのものへのやりがいや情熱があったからこそ成功しているのだ。
その事実には、全く目を向けていなかった。
結局は、「サラリーマンが嫌だ」という現実逃避の矛先が、「サラリーマンとは一見、違うように見えるネットワークビジネス」に向いただけだった。
その頃、多くの若者が私と同じ様に、現実逃避と夢を勘違いして、ネットワークビジネスにはまっていたように聞いている。
私は、「ベンツを買って毎日を日曜日にして、ファーストクラスに乗って、ハワイのハレクラニホテルのスイートルームに泊まるぞ」なんて、何とも稚拙な夢に向かい始めてしまった。
自由な時間を手にして、多くのお金を稼ぐライフスタイルだけに憧れた。
まさに、現実を受け入れられない自分の逃避先としては最適だった。
本来、人間はそれぞれに、自分の本質に合った仕事、使命や天命とも言える、自分を生かせる役割がある。
その役割を発見し、それに沿って生きていければ、結果として、世間一般的に言う成功も手に入れることが出来る。
しかし、最初から「成功」という結果だけに焦点を当ててしまうと、その「成功」までの過程に秘められた自分の「使命」に気づけなくなってしまうことがある。
すると、仮に成功できたとしても、つかの間の夢となってしまう可能性があるのだ。
数年後、その事をまさに実感する日が私にもくるのだが、それはまだ先の話。
とにかく、目的は自分の人生を精一杯生き切るために、与えられた「人生」の役割を全うしていくことなのに、
その結果でしかない、「お金」や「自由な時間」などの固定的なものを手に入れることこそ、本当の「成功」と私は勘違いしてしまった。
そんなものは、成功者が「結果として」手に入れるものであり、初めから結果だけを追い求めても、そこには本当の意味での価値がない、という事実に目覚めるには、まだもう少し学びが必要だった。
当時、ちょうど身につけたばかりで、浅く表面的に捉えてしまった「プラス思考」「潜在能力開発」そして「精神世界」の誤った知識も、
「こういうものを学び続ければ必ず成功出来る」と自分を勘違いさせた要因の一つでもあった。
会社や仕事への不満とやりがいの無さ、精神世界への誤った理解から来る同僚を見下す思い、
そして、この現実逃避から来る「勘違い」で、
「サラリーマンを辞めたって何だって食べて行ける」と思い込み、初めて就職した会社に退職願を出したのが、翌年の春だった。