100%主観の世界

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自分探しの旅・田久保剛

【『自分探しの旅』を初めから読む】

《第15話》

ビギナーズラックで新人一番乗りを果たした後、同期がどんどんと売り上げを伸ばす中、頑張っているのに一向に売れない日々が続いた。

以前の無線機メーカーにいた頃のように、さぼっていたから売れなかったのではない。

それどころか、朝から晩まで電話をかけ、休みの日も出勤して、かなり真面目にやっていた。

ここで私がなかなか成績を上げられなかったことは、実は後に、大きな意味を持つのだが、その時は当然、そんな先のことなど分からない。

頑張っているのに報われない……

そんな日々が続いた。

しかし、私の成績は、まるで悲惨そのものだったが、暗く惨めで、苦悩ばかりの苦しい日々かと思えば、今振り返ると意外とそうでもなかった様な気がする。

体育会系で、結果や実力だけが評価される厳しさもあったが、もともとが、能力開発の教材を販売するところだけに、上司や同僚達はみんな、プラス思考で前向きで、生き生きとその時代を生きている人たちばかりだった。

年齢も勤続年数も関係なく、成績を上げたものが役職に付き、部下を引っ張り面倒を見る。

部下も、自分の上司がたとえ自分より年下であろうと、成績が伴っているので、誰も疑問を感じることもない。

そして、自分もそこを目指して必死に上司から学び、いつか追い抜こうと頑張る。

陰湿な空気を出す人がいれば、それは自然と会社の雰囲気によって淘汰された。

だから、厳しい上下関係の中でも、それはサッパリとした、とても清々しい空気が流れていた。

入社当時、私の所属した営業部は4部に分かれていて、それぞれの営業部には2つの課があった。

その4つの営業部をすべて取り仕切っていたのが、面接官を務めてくれた、山川本部長だった。

1つの課には5~6人が所属し、部内の全ての課が、一つの広々としたフロアで机を並べて仕事していた。

部下の指導は基本的に課長に託されていて、優しく丁寧に育てるタイプも人もいれば、何も教えず、自分で見て先輩から盗め、といった放任のタイプの人もいた。

この課長達はとても個性派が多く、面白い話が沢山ある。

彼らの話は色々と、是非お話ししたいこともあるのだが、私の体験の話の本筋からズレてしまうので、いつか機会があればにしよう。

そんな、個性派揃いの課長の中でも、私が最初に所属した営業3部第1課の藤崎課長は、頭脳明晰の切れ者で、山川本部長からの信頼も厚く成績ももちろん素晴らしかった。

しかし、頭が良いだけに、成績の伸び悩む部下をからかって遊ぶような、趣味の悪さがあった。

ちょっと部下をいじめて面白がるようなところがあり、藤崎課長は、成績の悪い私に色んなことをさせた。

声が小さいから、と「立って電話しろ」と言われた。

広いフロアの一番向こうに聞こえるような大きな声で話せ、と言われ、私は本当にずっと立ったまま電話させられた。

恥ずかしかったが、その恥ずかしさを克服しながら思いっきりフロアに響く声で電話をかけた。

お客様から断られて、すごすごと電話を切ると、「なんで自分から切るんだ!」と横から蹴り飛ばされる。

断られるのが嫌で、次第に電話するのをためらう私に、そういう時こそ躊躇せずにかけろ、と叱った。

私も電話から逃げない様、自分から克服しようとして、ガムテープで受話器を手にぐるぐる巻きつけて固定したりもした。

究極は、その日一日、全く成約出来ないと、罰ゲームで、パンツ一枚でビルの廊下を一周させられた。

その会社は、超高層ビルの上層階にあって、ビルは中央が吹き抜けになっている。

廊下のガラス越しに、向こうの廊下が良く見渡せた。

その中を、パンツ一枚で走らされるのだ。

いつも深夜まで仕事をして、走るのは夜中だから、当然、他の企業には人の気配はないが、もしかしたら誰かに見られるかもしれない。

藤崎課長は、そのスリルを楽しむ様にゲラゲラ笑っていた。

その罰ゲームがプレッシャーになり、成績に逆に影響し、何度もパンツ1枚で走らされた。

悔しかったが、数字を上げなければ何も反抗出来ない。

誤解のないように補足しておきたいのだが、これはいわゆる「イジメ」のような陰湿なものとは全く違う。

部下を可愛がって、茶目っ気が過ぎていただけだ。

確かに悔しかったり、恥ずかしい思いもして嫌だったが、私も不思議なぐらい素直にそのしごきに耐えた。

厳しく叱られても、罰を与えられても、悔しいと思う反面、有り難いと思った。

一つには、プラス思考で自分に言い聞かせていた、という側面もきっとあっただろう。

しかし、私が耐え続けることが出来た本当の理由は、上司や先輩方からきちんと愛情を感じていたからだと思う。

単なるイジメではなく、本気で私の成績が上がるよう、心配もし、助言もし、私の甘さを鍛えてくれていた。

その一方で、このような厳しい世界に耐えられず、辞めて行く人がほとんどだった。

数ヶ月後、13名の同期の中で残っていたのは、私を入れて3人しかいなかった。

こういう、スパルタ的な指導方法には色々な見解があり、特に昨今では、批判的な見方をする人も多いだろう。

私がまだ小さい頃には、学校の先生も、生徒によく手をあげたりしたと聞くが、今はそんなことしたら大変だ。

私は、世の中の教育のあり方に色々と物申す気はない。

どちらの指導が正しくてどちらが間違っている、という観点の話ではなく、いつの時代にも共通する、人間の心の真理が、そこには存在する。

それは、ものの見方や捉え方は100%、それを受ける側の主観でしかない、ということだ。

例えば犬を見て、恐怖心が湧く人もいれば、かわいいと擦り寄る人もいる。

全く同じように叱られても、それを有難いと思う人もいれば、そのことが苦痛で、相手に恨みや憎しみを感じたり、精神的に参ってしまったりする人もいる。

今、私は先生や指導側の立場にある人の視点には一切焦点を当てずに話しているので、そこを踏まえた上で、完全に受け手側だけの視点で説明すれば、

自分の目の前に現れた事象は、その事象そのものだけでは意味を持たず、それを見て受け止めている本人の心が反応しているに過ぎない、ということなのだ。

そしてその反応は、本人の過去の経験による記憶や価値観が影響を与え、感情を引き出している。

私にとっては、確かにプラス思考で「感謝しよう」と自分に言い聞かせていた側面もあったが、

それ以上に、自分自身が引き寄せた「試練」という現象を受け入れ、更に自分が新たな使命に導かれるための、必要不可欠な通過点だったからこそ、上司や先輩のしごきが、愛として映っていたに違いない。

感情的には、悔しかったり、嫌だったこともあって、当時の自分では、とてもそんな風に捉えられる視点は持ち合わせていなかったが。

しかし、私が上司や先輩に、ちゃんと可愛がられていたという事実が、身に沁みて分ったことがあった。

それはその翌年、私が結婚した際に、すでに私は他部署に移動していたにも関わらず、お祝いをしてくれた時のことだ。

隣の事務所に呼ばれ、花束とプレゼントをいただいた。みんな電話の手を止めて、拍手で祝ってくれた。

他の部署に行った者に、このようなことは異例だった。

私は、最初に所属した部署では、残念ながら全く花を咲かせることが出来なかったが、後に移動した部署で、大きく成功を収めることになる。

その時、挨拶をしてくれた山川本部長は、当時そこにいた、入ったばかりの新人たちに、

「諦めずに誠実に、コツコツ頑張り続ければ、こんなに駄目だったやつでも成功できるんだぞ」

と、私の姿を見せたかったに違いない。

異動先の部署で私が成功出来たのは、間違いなく、この最初に入った部署で、上司や先輩から、不甲斐ない私を徹底的に鍛えてもらったお陰だった。

私は、この会社に入る前、「頭」ばかりで、行動が少しも伴っていなかった。

ここでの経験は、私自身が、その先の道を歩んで行く上で、絶対に必要な期間だったのだ。

そして、結果が伴わなければ意味がないんだ、という事も、徹底的にこの時に体で覚えさせられた。

しかし、私がそのように成功を納め、次のステージへ導かれるのは、まだしばらく先の話である。

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