Q:よく、「好きなことを仕事にすると良い」と言われますが、一方で、それがエゴで、本質から遠ざかるのではないか心配です。
好きな仕事なのか、社会的に求められる仕事なのか、その識別をする為にどうバランスを取ったら良いでしょうか?
という質問への田久保剛の回答です。
Q:よく、「好きなことを仕事にすると良い」と言われますが、一方で、それがエゴで、本質から遠ざかるのではないか心配です。
好きな仕事なのか、社会的に求められる仕事なのか、その識別をする為にどうバランスを取ったら良いでしょうか?
という質問への田久保剛の回答です。
この世界に生まれてきた、自分の「使命」とは何でしょうか。
「使命」と言っても、社会的な枠組みを前提とした仕事、職業なのか、霊的背景を前提した魂の役割なのか、その解釈は様々ですが、
田久保剛なりの「使命」を見出すポイントについて、八ヶ岳の大自然の中で開催した「普遍意識体感セミナー」の特別講話からお伝えします。
前回の「地球に生まれて来た理由(その2)」の続きです。
自由自在の神の領域から見れば、ある意味で、この不自由極まりない「地球」で、肉体を纏った人間を表現するからこそ経験できる事がある。
そう捉えると、
『今起きている事の意味』
がわかってきた…という、田久保剛の体験に基づき、その意味についてお伝えします。
前回の「地球に生まれて来た理由(その1)」の続きです。
絶対の存在で在る、私達の実在、「本当の自分(普遍意識)」、つまり神からしてみれば、この地球という次元は、どんな意味をもったところなのか。
それが分かってきた時に、今、私達が直面している、この地球での人生で起きている事の意味も見えてきます。
それが分かった時、私、田久保剛は、この地上人生に対し、こう感じました…
私達人間の多くは、先に人生の答えを求めたがります。
しかし、私達人間が『地球に生まれて来た理由』は何なのか、という視点で観ると、その発想が変わるかも知れません。
『地球に生まれて来た理由』は何なのか…そんな問いを田久保剛が普遍意識に放ち、気づいた事をご紹介します。
「私たち人間は、この地球上での人生で、いったい何をすればいいのでしょうか」
様々な職業、芸術、スポーツ、専門分野等といった、人間の作った社会的、具体的な表現手段ではなく、“本質的な真理の観点”で、人間の存在の意義を捉えたら、どんな意味があるのだろうか…
今、自分がやっている事に迷いを感じたり、ここまでの人生に疑問を持ったり、これからの生き方に不安を感じたりしたとき…
人生を振り返るような年齢になった人は、多かれ少なかれ、こうした問いが湧き上がるかもしれません。
この問いを、自分の内面に向けた時に、田久保剛が体感を通して見出した、人間の本質的な「使命」の解釈をお伝えします。
前回の記事に続いて、エゴ(分離意識)のエネルギーが渦巻く地球だからこそできる、分離をひとつに統合するという経験。
統合されている世界では出来ない、
「ゆるす」対象が存在しない愛だけの次元では出来ない、
光だけの一元の世界では出来ない、
そんな、統合、ゆるし、光の経験をするという、「地球人類の使命」を自覚するヒントを、田久保剛の講話からお届けします。
この地球の物質次元に生命を表現している、私たち人類は、その魂に於いて、どんな使命を果たしているのか。
エゴが渦巻くこの地上で、とかく「嫌な出来事」が目につくこの地上の人生にこそ、地球人類のが果たす使命のヒントがあると思います。田久保剛が捉える地球人類の使命の一側面をお伝えします。
「嫌だな」「大変だな」と思われる困難な体験、経験の背後には、様々な法則の作用や意味がありまが、そのような場面に直面すると、
「なんでこんな辛い経験をしなければならないんだ…」と苦しくなります。
しかし、この「困難な経験」を、ある真理の観点から捉えると、役割、使命と密接な、全く別の受け止め方ができます。
一般的に言われる「願望実現法」で叶えたい「願望」は、「本当の自分」が望んでいる願望なのでしょうか?
私、田久保剛が、自ら願望実現を探求するプロセスから掴んだ、この「願望」の見分け、見極め、
そして、本当の望みを知り、大いなる存在との連携によって、この地上での、自分の使命、役割を成就させるヒントをお伝えします。