「菩薩」の顔と「仁王」の顔

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自分探しの旅・田久保剛

【『自分探しの旅』を初めから読む】

《第19話》

ある日突然のように知らされ、まったく前触れもなかった、異例の人事異動。

電話営業部門から見れば、非常に肩身の狭い外交セールス部門の中でも、さらに存在感のない課に異動した私は、電話営業部門の同僚からは、「成績が悪くて、閑職に飛ばされたかわいそうな奴」という目で見られていた。

しかし実際は違った。

今井次長が、自分を是非にと山川本部長にかけあってくれ、引き抜かれての異動だったのだ。

この異例の人事と、今井次長との出逢いが、私の運命を変えた。

誰でも、自分の人生に多大なる影響を与えた人物が、一人や二人は、いるものではないだろうか。

この今井次長は、私にとって間違いなくその内の一人だ。

しかし、それは、例えば教科書に載っている様な偉い人のそれでもなく、先生や師匠のような存在でもない。
(今井さん、スミマセン! m_ _m)

いや、ある意味ではそれ以上に尊敬しているのだが、雲の上の人のような存在ではなく、まるでサークルの先輩か、兄貴のように身近な存在として慕った。

今井次長は私をリラックスさせる天才だった。

他の人の前ではきちんと真面目にしていることもあったが、とにかくユニークなキャラクターで憎めない。

オーダーのダブルのスーツを身にまとい、小物は全てダンヒル。整髪料で髪をビシッと整え、いつも鏡を覗いては、ダンディな顔を作り、満足げにしていた。

確かにカッコいいのだが、その姿がどこか滑稽で面白い。

だから全く嫌味がなく、むしろみんなの人気者だった。

クサいセリフを平気で言い放ち、周りの失笑を買っているのに、本人は「決まったぜ!」と満足げな顔をして、一体どこまで本気か分からない。

しかし、実力もあって周囲の信頼も厚く、それでも敵が少ない、誰からも好かれているような人だった。

私も、今井次長の面白く気さくな人柄で、次第に肩の力が抜け、徐々に伸び伸びと自分の力を発揮出来る様になっていった。

異動してすぐの頃、向かいに座っていた今井次長が私の席まで来て、仕事の指示をくれた。

「じゃあまず、俺がいままで温めておいて、まだコンタクトを取れていないお客様の名簿を託すから、連絡を取ってみてくれ」

と数件の名簿を渡された。

私は電話営業部時代の癖がついていたので、名簿を受け取った瞬間に受話器を持ちあげ、電話をかけた。

私が受話器を置いた時、向かいの席から今井次長が話かけてきた。

「流石だな。俺が名簿を渡して席に戻った時には、もう電話をかけてる。まいったぜ・・・」

こんな風に、褒める時にも半分は冗談めかした口ぶりで、私にとっては、電話営業部門の緊張感とは全く違う、居心地の良さと、自信を与えてくれた。

そうして、今井次長から渡された名簿をきっかけにして、電話営業部門で培った経験を元に、少しずつ成約も取れるようになっていった。

電話営業部門にいた頃は、日に日にマイナス・スパイラルに入り込み、山川本部長や同僚からも、きっとダメなヤツと思われているんだろう… という妄想も膨らんで、必要以上の緊張で、雁字搦めになっていた。

しかし、今井次長の醸し出す、妙に笑ってしまう雰囲気に手伝われ、リラックスしてお客様にも接する事が出来た。

すると、自分の伝えたい事も的確に伝わる感覚があり、今まで培った技術を素直に発揮できたように思う。

このように話すと、まるで、山川本部長や電話営業部門が私の性質に合わず、最初から今井次長の下に配属されれば良かったのでは・・・と思う人がいるかも知れない。

しかし、私は全くそうではないと感じている。

なぜなら、この会社に入る前の、頭でっかちなくせに自分に甘く、だらしない自分のままで、最初から今井次長の下に配属されていたら、それこそ全く使い物にならない、本当にダメ社員のままで終わってしまったのではないだろうか。

私には、徹底的に鍛え上げられる時間が必要だったのだ。

すぐに成績が伸びなかったのも、私の根性を叩き直すためではなかったか。

菩薩様のような優しい顔の仏像もあれば、仁王様のような厳しい顔の仏像もある。

まるで、母の優しさと父の厳しさのように、その姿や形、表現は違っても、自分に深い愛を注いでくれる存在であることには、一切の違いはない。

そしてそれは、何も人に限ったことではなく、自分にとってマイナスと思える様な出来事や、辛く苦しい現実も、同じである。

その現実に直面している時には、なかなかその事実が自分にとって「宇宙の愛なんだ」と思う事が出来なくても、

そこを通過した後に、自分がどれだけ成長したかを見れば、その出来事が、どれだけ自分にとって必要なものだったのか、気がつく事が出来るはずだ。

実は、この世の事実は、全て完璧なる愛(普遍意識)の現れで、ただ私たちは、様々な過去の記憶や仕入れた知識によってできた固定概念などに覆われて、その事実が見えなくなっているだけなのだ。

私にとっての「電話営業部門」と「外交セールス部門」や、山川本部長と今井次長の存在を改めて思い返してみても、やはり、そうだったんだ、としか思えないし、

単に「思う」だけではなく、この異動の直後に、私が先に、電話営業部門で鍛えられたからこそ見えた世界が、私の目の前に展開され、現実に映し出されていく。

前回もご説明した通り、外交セールス部門は、販売代理店を開拓するための部門でもあったが、実際には、当時、販売代理店を育てることによって会社の売上に貢献するには、まだまだ発展途上にいた。

事実上、部の売上は所属社員による直販がメインであり、営業マン自身のコミッションも直販が頼りであった。

しかし、販売に至るまでの方法は、電話営業部門とは全く違う形式だった。

電話営業部門の営業マンにとっては、お客様に電話が繋がるゴールデンタイムは、むしろ夕方からだ。

だから、ほとんどの営業マンは夕食を済ませた後も席を離れず、夜遅くまで電話に向かった。

しかし、外交セールス部門の営業マンは、早朝から駅前でチラシを配ったり、ポスティングをするなどの外回りをし、問合せが入った人には、まずアポイントを取って、直接会ってセールスする。

活動時間は主に日中で、出先から帰ると事務整理をし、ほとんど席にいる時間もなく、遅くとも19時か20時にはパチパチと照明を消し、電話営業部門がガンガンに電話をかけている横を通り抜けて、そそくさと帰るのだ。

それが当時の外交セールス部門のスタイルだったし、初めから「そういうものだ」という空気が流れていた。

二つの営業部は、まるで同じ会社とは思えないほど別世界だった。

私はもともと電話営業部門にいたから、22時や23時は当たり前で、19時に帰るのはなんとも忍びない。

また、早く仕事を覚えようという気持ちもあって、異動後も結局、電話営業部門の時代と変わらず、天井の自分の頭上の電気だけを灯して、夜遅くまで仕事した。

別の理由には、すぐ隣の部にいる、山川本部長の目が気になった。

当時の売上としての会社への貢献度は、外交セールス部門は、電話営業部門に全くかなわなかった。

だから、「異動になった途端にあいつらと一緒になって、根性無しになったな」なんて思われるのが嫌だった。

実際、山川本部長には、たまに早く帰ろうとして目撃されると、「あれあれ?? 田久保君、今日は何かあったのか?!早退か???」なんて茶目っ気たっぷりな嫌味を言われた。

同時に、「別に、外交セールス部門のスタイルに合わせる必要ないんだぞ!田久保の実力を見せつけてやれ!」なんて怒ったようにマジに言われたりもした。

その時の山川本部長の気持ちは計り知れないが、自分が育てた部下が外で活躍してくれることを願っていたのではなかろうか。

この後、まるで山川本部長や今井次長の期待に応えるかの如く、異動して僅か一ヶ月の間に、私は外交セールス部門でトップの成績を収めてしまう。

私の成績の背景には、それまで誰も気づく事がなかった盲点があったのだ。

その真実は、私の経験に住む「仁王様」と「菩薩様」が私にこっそり見せてくれた、面白い世界だった。

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