
《第25話》
北野氏の登場は鮮烈だった。
ある日、外交セールス部門全員が、会社のセミナールームに集められた。
そこで、初顔合わせの意味を込めて、北野氏の演説が行われることになったのだ。
ライバル社で伝説ともうたわれた、元セールス世界チャンピオンが、自分たちの新たなボスになるということで、セミナー会場は期待と緊張感が漲っていた。
やがて会場に、髪をビシッと整え、小柄で少し小太りの人の良さそうな、しかしキリッとした風格のある年輩の男性が、バリッとしたスーツをまとって登場した。
ピーンと張り詰めた緊張感と、ただならぬオーラを感じた。
明らかに、それまでの外交セールス部門にはない緊張感だった。
当時、A商品課の長だった田島部長が、新しく自分の上司となる北野氏を紹介し始めた。
「北野さんは、○○社で年間○○○セットを販売する世界チャンピオンの実績もあり・・・」
その時、後ろで控えていた北野氏は、突然、
「○△△セットじゃい!」
とドスの利いた広島弁で訂正した。
「しっ、失礼しました!」と慌てる田島部長。
会場内はいやおうなしに、ますます緊張が高まった。
そして、いよいよ壇上に上がった北野氏は、挨拶の後、プレゼンテーションを披露した。
それは、この会社に入社して以来、受けた事のない衝撃を私に与えた。
「いいですか、これから私が個人で世界一、○○社で売った営業を見せますよ」
そこで実演してくれたプレゼンは、時間にして30分程だったか、1時間程度はあったのか、もう忘れてしまったが、
そのインパクトがどのぐらい私にとって強烈だったかと言えば、幕末の浦賀で初めて黒船を見た坂本龍馬のように、度肝を抜かれたような状態だった。
当時、私は入社して2年を過ぎた頃で、電話営業部門も外交セールス部門も経験し、トップセールスも幾度も経験していた。
しかしこの頃、何となく自分自身の「営業マン」としての「スキル」に疑問を感じていた。
私の成績など、会社がお膳立てをしてくれた顧客に最後のお勧めをしているだけで、会社というベースがなければ、自分など、使い物にならない存在なのではないか・・・
心のどこかに、大企業の温床に甘えている自分を感じていた。
もちろん、そんな事は百も承知でその境遇を受け入れ、淡々と、その企業の「営業マン」という役割をこなしている人も沢山いるだろう。
むしろ、それが自然な姿なのかも知れない。
しかし、若かった自分の中に芽生えていたその気持ちは、「どうせ営業をやるなら本物を極めたい」という純粋な思いだった。
だから企業に属さず、裸一貫で営業のノウハウを引っ提げ、大きな実績を上げる営業マンに対し、引け目と憧れを抱いていたように思う。
この北野氏のプレゼンは、自分の中に燻っていた思いを引き出し、一気に燃やしてくれる熱さがあった。
そこで私が北野氏に見たものは、火の玉のような情熱・熱意・興奮、そして自信と確信だった。
それはまさに、名実共に、この業界で個人世界チャンピオンのプレゼンだったのだ。
「ゆでガエル」の話は有名だ。
沸騰した熱湯にカエルを入れれば、ものすごい勢いでお湯から飛び出し、カエルは助かるが、心地よいぬるま湯につけておくと、知らぬ間にカエルはゆであがってしまう。
北野氏のプレゼンは、一企業内の営業マンというぬるま湯につかっていたそれまでの私を、「アッチ~~!!!」と火傷させるような強烈なエネルギーだった。
「ワシは、社長にこの外交セールス部門を最強の営業軍団にさせるように頼まれてきたんじゃ!
電話営業部門だぁ? ふざけるんじゃない!そんなもんに負けるか!
ワシらは、世界最強の営業軍団になる!
ついて来れん奴は辞めていい!
ビシビシいきますよ!」
魂を射抜かれた感じだった。
「世界最強の営業軍団」・・・
それも、単なるハッタリなんかじゃない、「世界一の男」に、それを伝授してもらえるのだ。
私は猛烈に燃えた。
今井次長の異動で、少し腑抜けになっていた自分を完全に目覚めさせてくれた。
まさに、夢から醒めた感じだった。
この北野氏は、今井次長や、電話営業部門時代の山川本部長とは全く違う意味で、私がこの会社に所属した数年間の中で、最も私に大きな影響を与えた人物と言えるだろう。
いや、その数年間だけではない。
私の人生そのものに多大な影響を与え、生涯において、私の「師」と呼べる人物の一人、と言ってもいい。
北野氏は、ピリッとした緊張感と畏怖を与える人だったが、その鋭い眼光の奥には、深い優しさと暖かさがあり、大いなる愛を感じる人物だった。
以後、私は北野氏と深い関わりを持つ事になる。
しかし、この時はまだ、北野氏から見たら、私など、どこの課に所属しているのかすら分からない、ちっぽけな存在に過ぎなかった。