《第33話》
私はこの時期、営業実績を積み上げていく中で、ちょっと気になっていたことがあった。
自分自身はこの能力開発教材で、ある程度、自分の望むような結果を出して来た。
しかし、自分が教材を販売したお客様はどうだろう・・・
どんなに優れた性能のパソコンを購入したところで、使いこなすことが出来なければ、ただの鉄屑だ。
私は、自分がこの教材で幸せになれたように、私が使ったこの教材で、お客様にも幸せになって欲しい…
それこそが、私が営業活動をするモチベーションの根源だった。
しかし実際には、その頃の私はあまりに業務多忙で、自分が教材を販売したお客様の数も大変なものだったし、
言い訳をしたくはないが、正直に言えば、一人一人にまできめ細やかなフォローをするには、どう考えても物理的な無理があった。
しかも、私は2つの課の責任者としての立場がある。
課の責任を負う以上、絶対に業績も落とす訳にはいかなかった。
精神的な板挟み状態だ。
そしてまた、この頃の私は、あらゆる「心の世界」の探求をし、その相乗効果で更に実績が伸びたこともあって、心の世界の奥深さをまざまざと体験していた頃でもあった。
すると段々と私の心の中に微妙な変化が起こり始めた。
「能力開発」や「成功哲学」「願望実現」の分野が、とても狭く見えたのだ。
精神世界、心理学、瞑想、神道、NLP・・・
「もしかしたら、私の扱う教材よりも優れた物が、この世の中にはまだまだあるのではないか・・・」
そんな想いが、チラリと頭をよぎった。
本来は、どちらが優も劣もない。
世間にある様々な教材や手法、教義などは、そもそも役割や目的が違ったり、その性質や特性が違うだけである。
そしてまた、それを扱う人の相性に合うか合わないか、たったそれだけの違いである場合も沢山ある。
だからどの手法も、きちんと使い分けをしていけば、何の問題もないはずなのだが、私自身の興味の対象が、自社の商品から、少しずつ別の世界へシフトし始めてしまったことに、深い本音では気づいていた。
だが、私の脳裏にチラリとかすめたその想いは、私の立場では、決して口に出してはいけないものだった。
部下を迷わせてはいけない。
まして、自分を信頼して契約していただいたお客様を、絶対に迷わせる訳にはいかない。
また、自分の心にある本音を認めてしまうと、心に在るその想いが現実化され、業績に大きく影響を与える。
その「想念」の強大なパワーを、私はそれまで自分が積み上げて来た実績を通して、嫌というほど分かっていた。
私は、自分の心の奥深くに芽生えたこの想いが表面化しない様に、堅く堅くフタをした。
しかし、一度燻ってしまったこの想いは消えることなく、ずっと胸の奥で、私の心を少しずつ蝕んだ。
私がまだ、電話営業部門にいた頃、「ユーザー上がりは売れない」と、レッテルを貼られた私の違和感。
そして、これまでの自分の実績を作り上げてきた、私の商品に対する絶対的な信頼と熱い想い。
「自分が好きな商品じゃなければ絶対に売れない」
そういう私の商品に対する強烈な思い入れと、揺るがぬ営業マインドが、逆に私を猛烈に苦しめた。
この時代には、私は自分の部下に対し、「営業マン自身が、その商品の一番のユーザーでなければならない」と教育し、部下は全員、その商品を愛用することを徹底しており、そのマインドは既に、完全に定着していた。
「ユーザー上がりは売れないなんて、二度と言わせない」そんな想いが、ずっと胸の中にあったからだ。
その想いには、当時も全く変わりはなかった。
もちろん自社の教材に、まだ愛着もあった。
だが、当時の私の最も強い興味の対象は、既に他の世界へ移っていた。
まるで、無邪気な子供が新しいおもちゃを手に入れて、その楽しさを友達みんなに教えたい、と思うように、
私を信頼してくれたお客様にも、自分の扱う教材以外の別の世界の面白さも有用性も、本心では口に出してしまいたかった。
それが、自分の販売した教材のフォローとしても有効だと知ってしまったことで、殊更そう思った。
しかし、私の立場で、そんな無責任な行動は、絶対に許される訳がなかった。
少しずつ、モヤモヤとした嫌な気持ちが自分の中に蓄積して行くのが分かった。
私の中にあった、商品への熱い情熱。
そして、北野本部長への強い忠誠心。
それまでの自分を最も成功へ導いてくれたはずの、この2つの強い想いが、ほぼ同時に違う方向へシフトを始めたのは、やはり偶然で片付けるべきではないだろう。
強大な求心力が、磁力の変動で大きな遠心力へと変化する。
その遠心力は、どんどんとパワーを増し、次第に私を、その会社から引き剥がそうとした。
私の心の葛藤をまるで見透かしたかのような、巨大なうねりが、私を呑み込もうとしていた。