《第7話》
私のプロレス三昧だった学生時代。
当時はよくテレビにも出ていたので、大学からPR効果の功労として、サークルでは異例の活動費支援を頂いたりもした。
しかし、そんなことばかりに熱中していた私は、当然、勉強などに時間を費やす暇はなく(!?)、
当時、ユング心理学のゼミを専攻していたのだが、学プロ活動をもって、ゼミの履修にしてもらったり…。
(おっと、大きい声で言っちゃった(^^ゞ)
あの時代によくいた、いかにも「学生らしい」大学生活を送っていた反面、
小難しい心の世界の本を読んでは、もっともらしい格言や、精神世界の知識を語り、周囲の友人からは、変なやつ扱いされていた。
そして毎日、ウダウダと思いを巡らせては、相変わらず「悟りたい」のに「悟れない」、あやふやな自分の心と対峙していた。
そんな私にも、ちゃんと卒業の時期は近づいていた。
当然、現在の仕事に通ずるような「心」を扱う方向の職業に進んだかと思えば、現実は全く違った。
ここから私の「迷走時代」が始まるのだ。
当時、時代はバブル経済の真っただ中。
私の1~2学年上は、「就職戦線異状なし」という映画や、「青田買い」という言葉に象徴されるように、大変な売り手市場だった。
現在の就職活動に日夜奮闘している学生諸君には大変申し訳ないほど賑わっていた。
そんな時期に就活をしたせいか、私の場合、自分の夢や生活、そして将来のために「職に就く」という意識が、随分と薄かったように思う。
「とにかく、そこそこ人並みの給料がもらえて、休日もしっかりあって、ちゃんとした会社ならいいや」と、とんでもなく適当でいい加減な判断基準だった。
そうは言っても一応は、昔から趣味だったアマチュア無線の某大手メーカーを選び、仕事をやるからにはそれなりに好きな分野でやっていこう、ぐらいには考えていたのだが、
生涯の仕事を必死に探し求めたか、と聞かれれば、疑問を持たざるを得ない。
しかし、そんないい加減な就職活動のツケは、充実した大学生活(というよりプロレス生活)を終えた後、社会に出た我が身に、重くのしかかってきた。
新卒当時、私は某大手アマチュア無線機メーカーの東京営業所に配属され、ルートセールスとして秋葉原地区の担当になっていた。
初めは確かに、自分の趣味として慣れ親しんだ業界という事もあって、仕事には難なく馴染んだ。
根がクソ真面目な性格もあって、土日のセールは率先して得意先の店にヘルプに出るなどして、方々の得意先から随分と可愛がられ、結構な信頼を頂いたりもしていた。
しかし、決して嫌な仕事ではないのに、どうしても仕事への情熱が持てない。
そんな自分はまずいと思い、「情熱を持たねば」と、新商品のプレゼンのために徹夜までして勉強し、誰よりも詳しく商品説明をこなしたりもしたのだが、どうにもやりがいを感じない。
パワーが出ないのだ。
来る日も来る日も、同じお得意先を回るだけのルートセールス。
だんだんと無気力さが自分の心を蝕み、入社1年を過ぎる頃には、月曜日が来た途端に土曜日が来るのを待ち焦がれる様なサラリーマンになってしまった。
「秋葉原に行ってきま~す!」と営業所を飛び出しては、そのまま山手線に乗ってぐるぐる回り、車中で読書したり昼寝をしたりした。
山手線を3週(3時間(^^ゞ)ぐらいすると、ようやく秋葉原で降りて、得意先にちょっこと顔を出し、全ての得意先をショートカットで回って帰る。
社長という立場も経験した今になって思えば、当時は、随分とひどい社員だったと思う。
その頃はまだ、バブルの名残もあって、世間にも、会社のブランド名だけでも食べて行ける様な甘さがあった。
だからボンヤリとぬるま湯の中にいても、なんとなくやって行けてしまったのだ。
しかし、実際にはお荷物社員だったのに、なぜか営業所長には気に入られていた。
当時はまだパソコンが珍しかった時代に、所長がわざわざパソコンの使い方を教えてくれた。
そこで覚えた表計算ソフトを駆使し、それまでは丸1日以上かけて集計していた報告書を瞬時に計算したりして、将来が楽しみな存在にも思われていた。
そんな風に愛され、期待もされていたはずなのに、その時の自分は、残念ながら周囲に応えられるほど、まだ人間が出来ていなかった。
若かったのだ。
虚しさは増し、またしても私は心の世界への興味が湧き上がってきた。
しかしそれは、人生について深く考える、というより、まさに精神世界への「逃避」に近いものだった。
その頃から、こんな考えがいつも頭に浮かぶ様になった。
「男はこの先の人生、ほとんどの時間を、仕事をして過ごさなきゃいけないのに、こんなにやりがいのいない仕事なんかで、飯を食うために、我慢して仕事なんかしたくない」
やりがいが持てないことを、自分ではなく、全て仕事のせいにした。
本当のやりがいは、仕事や環境ではなく自分の「内」にあるのに、この頃の自分は、その事実に気づけずにいた。
自分の心が映っただけの外界に原因を転化し、またしても、「外」にある答えを求めた。
「外にあるはずの無い答え」を求めたのだ。
私の迷走は、続いた。
自分が充実し、納得した人生を送るために、「満足できる仕事」「最高の人生」とは何かを探るため、精神世界や成功哲学の本などを、またしても買い漁った・・・
そして再び、人生の転換期を迎えることになる。