先日、我が家の最愛のペット、雌のモルモット、チャコちゃんが天国に旅立ちました。
言葉にできないような、もの凄く深い悲しみと寂しさで、でも、そんな感情をこうして表現しなくてもいいかな…とも思っていたのですが、
この世に生まれて、私と私の家族とこの家が、ほぼ唯一の世界であったモルモットのチャコのために、その出逢いの真理と、この世界に生きた証を残し、その意味を私が受け止め、忘れないために、まだ気持ちの整理もつかない今の気持をこうして書き記すことにしました。
また、今は正に、その渦中にいる私ですが、ペットロスで苦しむ人が、少しでもその痛みを良い意味で共有し、その事で少しでも真の癒やしに向かうきっかけになればという気持で、
その気持と同じような意味を持つ表現だと、私、田久保剛が捉えている作品も引用してお伝えします。
目次
突然の兆候
チャコの名の由来は、茶色の毛並みの女の子なので…というシンプルな理由ですが、我が家のペット、モルモットの二代目で、3年ほど前にも初代のモカとの悲しい別れがあり、その直後、寂しさを埋めるようにして我が家に迎え入れた子です。
先代のモカを亡くした時の教訓から、モルモット飼育の専門書をよく読み、様々な知識をもっと詳しく身につけ実践し、飼育環境や食事にも気を遣い、毎朝30分ほどかける掃除を続け、本当に可愛がってきて、
自宅兼事務所の私としては、いつも常にそこに居て、生活の一部に溶け込んでいてどうでもいい事をつい話しかけてしまう話相手でもありました。
何を言っても、我関せずで(当たり前か(^_^;)、そんなのどうだっていいよと言わんばかり、私の姿を見るとケージをガリガリ囓りまくって餌や野菜等を要求したり、
日頃の恩を忘れるように時に警戒したり、懐かない時があったりとワガママモルちゃんでしたが、そんないろんな姿が全てかわいくて本当に癒やしてくれる存在でした。
ちょっと具合が悪い時は自己判断せずに、先代を亡くした時の思いは、もう絶対にしたくなかったので、すぐに信頼出来る動物病院に連れて行ってアドバイスを頂き手当をして、ここまで事なきを得てきました。
そんな真面目さで向き合ってきたので、お陰様で、つい一月程前までは、健康そのもので、自慢の毛並みもすごく良く元気だったのですが…まさかこんなに早くお別れが来るとは思いもしませんでした。
今年の7月初旬、例年より早い梅雨明けと同時に日本を襲った猛暑の頃、ちょっと気になる症状があったので、病院に連れて行ったのですが、その辺りから体調が少しずつ悪くなってきて、やがて食欲がなくなってきました。
モルモットが食欲を無くすことは、かなり良くない兆候なので、とにかく病院の先生からアドバイスをもらって投薬や餌を液状にしてシリンジで口に流し込む強制給餌など看病をする中、食欲が回復してきたと思ったら翌日はまた元気がなくなったりと、一喜一憂の日々でしたが、でも、徐々に弱ってきているのは明らかでした。
症状が悪化してきて、動物病院の先生に病状を伝えてアドバイスを求めましたが、「その症状から察するに、希望はないとは言わないけど、厳しいかもしれない」という辛い宣告があり、反発したい気持はありましたが、長年、専門に診ている先生の冷静且つ客観的な言葉だったと思います。
先生からの、唯一の望みとしてのアドバイスは、「とにかく口から食事を採らせる」との事だったので、私としても、できる限りの愛を注ぎ、また、時には嫌がる強制給餌を3時間毎にして、つきっきりの看病を3日ほど続けましたが、その弱々しくなる姿を見て、このままお別れなのかな…という気持も出てきました。
悲しい別れ
しかし、それでもその時はあと数日で…なんて想定もせず、とにかくこの夏はどこにも出掛けずに看病して、絶対に回復に導こう…なんて思っていた矢先、夜の強制給餌から間もなくして、急激に弱々しくなってしまいました。
いよいよ覚悟をしなきゃダメかな…なんて思ったら、急に悲しさや怒りや怖さの感情がわき上がってきて、その時、たまたまつけたテレビの、マツコ・デラックスさんの番組で、猫グッズのショップを訪問しているシーンになり、マツコさんと、その店主さんで、こんなやり取りがありました。
マツコ:「猫とか犬とか飼いたいな…って思うんだけど、最期、亡くなってしまうじゃない…それを考えると怖くて飼えなくなっちゃう…」
店主:「見送るというのが飼い主の大切な使命。見送られちゃダメ。その悲しさよりも、いろんな事をもっとたくさん教えてくれる。」
(「夜の巷を徘徊する」より)
絶妙なタイミングで示されたこの言葉は、きっと「上の方」が、そのテレビを使っての私へのメッセージだと確信しましたが、同時に、そんな別れを前提にしての予防線は張りたくないと、そのメッセージを受け入れたくない自分が交錯していました。
翌日、オンライン講座のサポートの仕事でビデオを収録する私の横に置いて看病していたのですが、その、私がカメラに向かって夢中で話をしている時、一時的に元気に動き回り出したのです。
この数日の、一縷の望みでの看病が功を奏したんだと嬉しくなりましたが、その日の夜には、またあまり動かなくなってしましました。
そして、私にとっては、その日はあまりに突然でした。
翌朝、起きてまっ先にケージを覗くと、チャコは小屋から顔だけ出して、じっとしていて、そっと抱きかかえましたが、既にあの元気な鳴き声は擦れています。
すぐに水や、薬や、液状の餌を用意しましたが、飲み込む力もありません。
抱きかかえて体を撫でると、いつもは満足げなかわいい鳴き声で知らせてくれるのですが、この時も、きっとそれを伝えようとして、でも声は擦れて上手く出せず、呼吸も少し粗い感じです。
そこから多分、1時間ぐらいたった頃、体を支えられなくなって腕の中で横になったかと思うと、2、3回痙攣を起こし、私は咄嗟に心臓の鼓動を感じようと手でそっと積み込みましたが、その直後、ぱっちり開いた目を私に向けたまま、そこから魂が抜けた瞬間を看取りました。
悲しみの奔流が全身に流れ込み、何も考えられず声を出して泣きました。
今朝、小屋から顔を出していたのは、きっと私が起きてきて、最期のお別れをと待っていてくれたようです。このまま夜の間、逝ってしまうこともできただろうに…
それにしてもあっけなかった。昨夜までは生きていたのに、つい半月前は元気に動き回っていたのに…
ペットとは、いつかはこの日がくる。それは分かってはいたけど、こんなに早く、こんなに突然だなんて…
そういえば、先代のモカも、私の腕の中で看取りました。2度目もこんなに早くその経験をするなんて思いませんでしたが、でも逆に、こうして最期の瞬間、私の腕の中で静かに逝くことができてよかったのかな…
チャコはこの時、病気だったとは思えないほど毛並みが良く、ぱっちり開いた目は輝いていて生気が漲っていて、思わず普段通りに声をかけたくなる感じで、本当に起き上がるんじゃないかって錯覚する程、死んでいるとは思えない姿でした。
優しく穏やかな顔でくつろいでるようにも見えます。
その姿を見て、「ああ、まだそこにいるんだな」そう感じました。
チャコは、自分に何が起きたなんかわからないけど、明らかにさっきまでの、病気に侵された肉体に宿っていた苦しみから解放されて、楽になったはず。
良かったね…と、そう言って体を撫でましたが、でも心臓の鼓動は感じられず、体は徐々に冷たくなっていきました。
悲しみの深さが示すもの
これから、チャコのいないこの部屋で過ごすことを想像すると寂しさに押しつぶされそうになって悲しみが襲いかかります。
日々の世話の大変さや、病気になる度にする心配から解放されたんだ…そんな理屈を言い聞かせても、何の慰めにもなりませんでした。
どんなに世話が大変でも、心配が絶えなくても、そんなもの全部受け入れていいので、また逢いたい…という気持が100%です。
部屋に残った、大量の牧草の袋や餌のストックが目に付くと、この一月ほどの事を一つ一つを振り返り、
「もしあの時ああしていれば…」「もっと早くこうしていれば…」という判断ミスがあったんじゃないかって、自責の念が次々と湧いてきてしまう状態で、何をしていても思い出して苦しくなるのです。
この日は、台風が接近していて、強い雨が窓を叩く音が、その悲しみや苦しみを色濃くする演出になって辛さが増します。
しばらく、悲しみが深すぎて何もしたくなかった状態だったのですが、心の中から二日前に聞いた、「別れの悲しみ以上に、教えられることがある」というテレビからのメッセージが甦ってきました。
その苦しさ、辛さは筆舌に尽くし難く、できたら早くこの苦しさから抜け出したい…とも思っていたのですが、私は、この「悲しみ」は、やがては癒えてしまうことも知っていました。
そう思ったら、この「悲しみ」「苦しみ」「寂しさ」は、排除、切除するのではなく、無理に癒やそうとするのでもなく、辛いけど今は向き合っていこうと思えたのです。
「悲しみ以上に、教えられることがある」
そう、この悲しみや痛みは、注いだ「愛の深さの証」なんだ。
もし、この深い悲しみの痛みを取り去る代わりに、出逢いの事実、愛を注いだ日々の思い出もなくなるとしたら、どっちがいい?
その問いの答えは一切のぶれなく明白でした。
それが明白になったから悲しみが即座に癒える訳ではありません。
でも、いつかは痛みの伴わない思い出となる。だとしたら、「共に生きた愛の証」である、その辛く痛い悲しみを受け入れ、今しか味わえない、この感情に向き合っていこうと思えました。
痛みがある今は冷静に受け止められないけど、冷静になったら味わえない愛の深みを今、痛み苦しみを通して味わっておこう…
そう思えたら、溢れる涙は、悲しみや寂しさからではなく、本当は愛の涙なんだとも感じました。
愛を学ぶ経験の対価
それは、注いだ私の愛であり、注がせてくれたチャコの愛であり、お互いの魂の共同創造、この地上での魂の約束だったのだと感じます。
そして、この地球上で、私たち人間が人生で味わっている、辛く痛い悲しみの数々もその仕組みは同じではないかと思ったのです。
正直、上手く言えないのですが、悲しみや痛みを経験したのではなく、その、ある意味に於いて「悲しみや痛み」という対価、代償を支払って、「愛」を経験しにきたんだと。
フォーカスすべきは、「愛」の経験であって、それを経験する為の対価、代償である「悲しみや痛み」ではないんだと。
両者は同じものの裏表だとも思いますが、そのどちらを味わいたいのか、という事です。
悲しみの深さが愛の経験の証、悲しみの痛さは、愛の経験の対価、代償だと思ったのです。
注いだ愛が浅ければ、こんなに悲しく痛くないと思うのです。
この痛みの深さの分だけの深い愛の思い出、経験をしたんだ。
だとしたら、この痛烈な悲しみは、注いだ愛の深さとして誇りに思おう。
私たちの魂はきっと、愛を学ぶ為に、相対が色濃く表現されたこの地上というステージを自ら選んで、愛を鮮明に経験する代わりに、その相対の想いを対価として支払う覚悟を決めてきたのかもしれない。
この地上の物質現象への執着、囚われは、必ずしも悪いものなのではない。
その執着があるからこそ、学べる事があるのだと思う。
「肉体なんて魂の一表現形態で、死は表現のステージが変わっただけだ…」
「執着が強いから悲しくて辛いんだよ…」
なんて悲しみや苦しみを味わうことを否定して、霊的真理を涼しい顔で平然と語っていられる、この地上の住人になるんだったら、私は霊的真理なんて学ばない方がいい。
もちろん、全ての人は、その真理にいつかは目覚める。それは識っている。
でも、この地上にいる限りは、私はこの地上の特性を生かし、この地上ででしかできない経験を味わっていきたい。
そして、その真理を悟ってなお、この地上に肉体を持っていたのなら、その経験に基づいた役割に目覚め、それを全うし尽くしたい…そんな想いに繋がりました。
「虹の橋」の真実
なお、上記の事とは別にして、正確な霊的真理を淡々と書き綴る「黎明」の情報には、やっぱり魂が共鳴してその真理を思い出させてくれますし、この人間的感情表現を抜きにした淡々さも、やっぱり大好きです。
次の「黎明」の引用は、飼い主が肉体を離れた時に、虹の下で飼っていたペットと再会するという、いわゆる『虹の橋』現象の裏付けとも言えます。
こうした霊的真理を表現した「黎明」という作品は、感情表現がなくとも、今の私を暖かい真理の愛で包んでくれます。
愛は宇宙最大のエネルギーですから、動物もまた人間から愛情を注がれることが最も早い進化に繋がりますので、
その動物の個体意識が肉体を離れた後にも、地上で関わった人が強い愛情を向け続けているような場合には、
そのエネルギーに因って動物の個体意識はアストラル体を保ち続けることができますから、その人の地上生活が終ってからアストラル・レヴェルで再会することもよくありますし、
その動物が充分に進化していれば、人間として初めて個別化される魂の過去生の経験として吸収されることさえ起り得ます。
(改訂新版「黎明」葦原瑞穂著・太陽出版・上巻P167より引用/赤字は田久保)
チャコちゃんとは、何時の日か、「虹の橋」で再会を果たすのでしょうか…
はたまた、私と地上で関わった“しるし”を過去の記憶としてもった人間として個別化されるのでしょうか…
そんな様々な展開をいつか一望できる時を、これからのお楽しみにしておきます^^
君と僕のしるし
さて、今回は長編になりましたが、最後にもうひとつ、私の今回の体験を包んでくれる素晴らしい作品をご紹介します。
Mr.Childrenの『しるし』は大ヒット曲なので、知ってる人は多いと思いますが、この大恋愛ソングの歌詞を生み出した元には、桜井和寿さんのペットロスの痛みからきていることは、知る人ぞ知る事実です。
別れの歌とも取れて、恋愛真っ只中の歌としても取れるような感じなんですけどね。そんなふうに全方位の歌詞が書けたらいいなぁって思っていた時に……飼っていたペットが死んだんですね。それで、あまりにもショックだったんで、少しどっか旅行でも行こうかって言って、その旅行先でーー車で行ったから車の中で、歌詞ができて行ったんです。
(中略)
その時の自分の想いみたいなものを全部歌にして浄化していくような作業になっていて。だから、その<ダーリンダーリン>っていうのが、たとえば自分が本当に愛する人に託した想いだとすると割と恥ずかしくて言えなかったのかもしれないけど、死んでしまったペットをどっかで擬人化してたから、<ダーリンダーリン>って言うのも自分の中では恥ずかしくなく……裏のメッセージというかね。
(MUSICA 2007年12月号・桜井和寿インタビュー記事・P16より引用)
この事は、ミスチルファンの私は以前から知っていましたので、私的にはやはり、この「しるし」を聞く時は、恋愛ソングではなく、ペットへの想いを重ねてしまいます(^_^;
♪「「同じ顔してる」と誰かが冷やかした写真」
とは、以前のファンクラブ会報で、「来年は猿年と言う事で我が家の愛猿モンちゃんをご覧あれ。」というメッセージと一緒に掲載されていた、リスザル君と一緒に映っていた写真じゃないかと思います。
さて、今回の記事は、まさに、私のチャコちゃんとの想いを浄化するような作業だったと想いますが、同時に、これが歌詞に出てくる「左脳に書いた手紙」なのかな…なんて想った次第でもありました。
作品の解釈は人それぞれで、固定化すべきものではありませんので、これが本作品の真意などという主張をしたい訳ではないのですが、
今回私が味わった、深い悲しみと寂しさと痛みは、まさに、この世界で出逢い、それぞれの魂の経験を遂げた、私とチャコの生きた証、深い愛の経験という“しるし”だったんだな…そう思うもです。
この曲、今聴いたら、ちょっとヤバイな…と想って最初は聴かなかったのですが、先述の気づきによって、いや、今聴かなければ味わえないものがあるぞ…と思い、聴いたのです…
それは、全ての歌詞の表現と、その美しくも切ないメロディーが私の今の想いや記憶と符合して共鳴して…本当にヤバイです(T.T)
きっと、この「しるし」の深い感動を味わえたのも、チャコちゃんからの愛の贈り物だと想います。
まだ心の癒えない渦中にいる私ですが、
♪「狂おしく鮮明に僕の記憶を埋め尽くす」
この気持を「しるし」に代弁して頂き、紹介します。
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