《第22話》
例えば、物理の世界でも、音叉は目に見えない空気の振動によって離れた音叉に共振を起こして共鳴する。
また、私は父の影響で中学生の頃、無線の免許を取得し、目に見えない電波が世界を駆け巡る様を実体験した。
私は物理学を本格的に学んだわけではないので、その理論と私の確信がどれだけ合致しているのか、私にはわからない事を予め断っておく。
しかし、量子物理学、波動理論、素粒子論、共振共鳴、類が友を呼ぶ法則……
どれをとっても私の中にある確信を的確に表現していて、うなずくしかない。
私の中には、そういう論理的な理屈を超えた確信がある。
これは思い込みというより、そう考えた方がむしろ辻褄があう、という経験を、現実的に幾度も体験してきたからだ。
当時もそうだったし、心に関連する仕事に携わるようになってからは、更にそういう事象がものすごい確率で起こる。
物理的な存在と精神的なものを分離して捉える感覚が、私の中には初めからないのだ。
このチラシの成約率の原因の理論は、あくまでも私の感覚なので、第三者に明確に証明できる物質的な証拠などはないのだが、
結果として現れた数値だけを見ても、仮に他の要因が少しはあったとしても、明らかに通常よりも高い水準だった。
そして、この後にも、私はこのような「思いの力」を、まざまざと目の当たりにする世界が展開されていくのだが、その展開は、もう少し先の話である。
話は元に戻るが、こうやって早朝と夕方はチラシ配りとポスティング。深夜は仕込み作業。
日中はその反響のあったお客様とアポイントを取るか、電話口でのプレゼンテーション。
体力的には確かに大変だったが、私も若かったし、体力勝負の努力が何となく、当時は性に合っていたというか、むしろ頑張れた気がした。
私は、肩の力を抜きつつも、電話営業時代に培った根性で、外交セールス部門の社員が全員帰った後も、電話営業部門の営業マンと競うように電話を手に取った。
もちろん、他の人と同様に、直接会ってセールスをしたことも沢山あったが、電話だけでも成約に至ることが他の営業マンより圧倒的に多かったので、成約までのスピードが周囲より早い、というメリットがあった。
そんな風に、自分なりの努力を重ねた結果として、外交セールス部門のトップの成績を収めることが出来たのだ。
ちなみに、この成績がどんな数字だったかというと、
当時、外交セールス部門のトップセールスを目指す営業マンの金字塔ともいえる目標数字があった。
その数字は、当時の部門(会社)の歴史上、2名がそれぞれ1回ずつ、達成したことがあったが、これも継続的な数字ではなく、
その頃の部門の中でトップセールスマンだった小野さん(以前、私に代理店販売の指導をしてくれた人だ)の実力を持ってしても、難しい数字だった。
私は、異動して僅か1ヶ月目に、その数字を当時の歴代3人目として達成してしまったのだ。
この瞬間、私が社会人になって以来、ずっと憧れていた夢の月収額をも達成し、初めて実質的な現実の社会で、成功を勝ち取った事を実感した瞬間だった。
このとき、私には忘れられない出来事があった。
私の異動前の厳しい上司だった山川本部長が、外交セールス部門にふらりとやって来た。
そして、ホワイトボードに書かれたその成績を見たのだ。
私が出したその数字は、当時の営業マンにとって本当に難しいものだったので、山川本部長は、興奮するように私の腕を取り、「田久保!トップか!立て!立て」と、私をその場で立たせた。
そして、外交セールス部門の社員の方を向き、まるで、プロレスの勝者の手を高々と挙げるレフリーのように、私の手を高々と持ち上げたのだ。
(どうだ!電話営業部で鍛えた田久保は、たった1ヶ月でチャンピオンになったぞ!)
山川本部長が、本当にそう思っていたのかは知る由もないが、
自分の部下としてなかなか芽が出なかった私が、ここに来てやっと花開いたことは、喜びというより、安堵感の方が強かったかもしれない。
その時の、満足そうな山川本部長のほころんだ顔は、私は今でも決して忘れることが出来ない。
しかし同時に、私の脳裏にはある不安が過ぎった。
入社当時、新人の中で一番に成約したことを思い出した。
新しい部署に異動した直後だったから、またこの成績も、単なるビギナーズラックだっただけで、この後は成績が低迷するのではないだろうか・・・
しかし、この不安は単なる妄想に過ぎなかった。
約1年間に渡って鍛えられ、積み上げてきた努力は、ウソではなかった。
最初にこの数字を達成した月から、翌月、そしてその翌月も、なんと外交セールス部門のトップの座を、ずっと守り続けることになったのだ。
ここから、私の快進撃が始まった。
・・・ここまでを読まれて、この話を、単なる私のサクセスストーリーだとは思わないでいただきたい。
何故なら、ここからまた大きく歴史は動き、更なるドラマが、私の目の前に展開されていくからだ。
私の自分探しの旅は、まだまだ終わらない。