Q.「ネガティブな事を言われても、それを愛としか感じない人に誰もがなれますか?
その方法を具体的に教えてください。」
という質問に対する田久保剛の回答です。
Q.「ネガティブな事を言われても、それを愛としか感じない人に誰もがなれますか?
その方法を具体的に教えてください。」
という質問に対する田久保剛の回答です。
『普遍意識体感セミナーin八ヶ岳』のメインイベント、「阿久遺跡」見学ツアーで、数々の天のサインかのような不思議な現象と、その背後の完璧な計らいを感じた事を前回の記事で書きました。
この八ヶ岳合宿セミナーの準備段階から、感動的なフィナーレを迎えるプロセスを通して、田久保剛が学んだ事を、参加者の感動の声を織り交ぜながら、このシリーズの最終回としてお伝えします。
前回に引き続き、『普遍意識体感セミナーin八ヶ岳』2日目、地上の思いとは裏腹に、着々と天の計画が進められるような展開が、徐々に浮き彫りになってきます。
合宿セミナーのクライマックス、阿久遺跡見学ツアーで何が起きたのでしょうか。
その奇跡の展開を体感した参加者の声と共にお伝えします。
『本当の自分』の体感と魂の使命を想い出す2日間というテーマの『普遍意識体感セミナーin八ヶ岳』が、去る2018年4月14・15日に開催され、大盛況の内に幕を閉じました。
まさに、「普遍意識の体感」のテーマ通りの学びが、「そう来たか…」という感じでダイナミックに味わえた、素晴らしいセミナーでした。
一ヶ月近く経った今も、余韻が残っている感じなのですが、今回の体験を文字で表現するのは大変困難で、
このレポートを書くのは時間もかかり苦労しましたが、後日頂いた参加者の皆さんからのご感想も交えて、この合宿セミナーから私が改めて学んだ事や、
このセミナーの背後で進んでいたであろう「天の計画」を成就する共同創造の片鱗として田久保剛が感じた事の解釈などを、参加者の声を交えながらお伝えします。
私は若い頃、「わかっちゃいるのに、なかなか行動できない自分」を恨めしく思い、
「やる気」「モチベーション」
を上げるにはどうしたらいいのか…
という事に関心を持ち、そのようなスキルを勉強しまくりました。
そういったスキルの中には有効なものもありますが、ある一定期間は「やる気」が出ても、気が付くと元の自分に戻っていました。
永続的で力強い「やる気」「モチベーション」はどうしたら身につくでしょうか。
田久保剛の体験によって実感した「真のやる気」についてお伝えします。
よく、「“自分軸”を持ちましょう」と言われています。
私はあまり「自分軸」という表現は使いませんが、私が高校生の頃、悩み、迷い多き自分を変えたいと思っていた時、直感的に、
「きっと自分には中心があるはずだ」
「心の中にコアがあるはずだ」
というフレーズが内面から湧き上がり、それを見つけようと大きな書店に駆け込んだのが、そもそもの真理探究の始まりでした。(このことは、田久保剛の『自分探しの旅』で詳しくお話ししています)
今思えば、まさにこの時、自分の内面から湧き上がった衝動は、自分の中心に在る、大いなる意識からきたものだとわかります。
さて、この“自分軸”とは、どう定めて行けば良いのでしょうか。
私たちが、日常生活や仕事に於いて、どうも最近、調子が狂う、上手く物事が進まない、アイデアが浮かばない、スランプに陥ってる、イライラしている、すぐに怒ったり、心細くなったり、人の意見が気になったり、逆に批判的になったり、心配になったり、不安なったり…
ネガティブな精神状態は挙げていけばきりがありません。
そんなような状態に陥ったとき、そこから抜け出す上で、私、田久保剛の体験に基づいた、かなり核心的なヒントとなる話をシンプルに書きます。
ここまで、「カウンセリングの本質」というテーマで、記事を書いてきました。
前回の記事でお伝えした、最高峰のカウンセリング、「PEAKカウンセリング」を身につけて頂く為の塾を開講するにあたって、塾長を担当する、田久保剛からのメッセージをお伝えします。
困った問題に直面して誰かに救いを求める時、一緒になって「困った困った…」と言っている人に手伝ってもらう(メンタルケア・カウンセリング)と、事態を悪化させかねません。
それでは、“困った事”をより強化する、火に油を注ぐような状態になってしまいます。
困った時には、“困っていない存在”に手伝ってもらうのです。
アルバート・アインシュタインの有名な、
「問題は、その問題を作り上げた意識では解決できない」
という明言に、多くのメンタルケア分野の現状の問題点が言い表されているのです。
「最高峰のカウンセリング」とは、“問題を作り上げた意識ではない意識”“問題は元々存在していない意識”それは、まさに我々の実在で在る普遍意識の顕現による、「最高峰の意識」によるカウンセリングの事なのです。
この「最高峰のカウンセリング」についての田久保剛の解釈をお伝えします。
私は、この一連のテーマの冒頭記事で、
心理系、スピリチュアル系のメンタルケアの現場の、本質が見落とされた現状を見る度、“良かれと思っての善意の行為”が生み出す悲劇、「飛べない蝶の悲劇」の寓話が重なって見える事が多く、“強い憤り”さえ感じる…
という私の本音を表現しました。
今回は、この私の“強い憤り”に向き合った結果、行き着いた結論についてお伝えします。