私たちが、日常生活や仕事に於いて、どうも最近、調子が狂う、上手く物事が進まない、アイデアが浮かばない、スランプに陥ってる、イライラしている、すぐに怒ったり、心細くなったり、人の意見が気になったり、逆に批判的になったり、心配になったり、不安なったり…
ネガティブな精神状態は挙げていけばきりがありません。
そんなような状態に陥ったとき、そこから抜け出す上で、私、田久保剛の体験に基づいた、かなり核心的なヒントとなる話をシンプルに書きます。
私たちが、日常生活や仕事に於いて、どうも最近、調子が狂う、上手く物事が進まない、アイデアが浮かばない、スランプに陥ってる、イライラしている、すぐに怒ったり、心細くなったり、人の意見が気になったり、逆に批判的になったり、心配になったり、不安なったり…
ネガティブな精神状態は挙げていけばきりがありません。
そんなような状態に陥ったとき、そこから抜け出す上で、私、田久保剛の体験に基づいた、かなり核心的なヒントとなる話をシンプルに書きます。
《第10話》
さて、この研修での成果は、プラスイメージ習得だけでなく、多くの人との出逢いや、情報という付加価値があった。
そこで知り合った人に、「研修や教材も買うだけじゃなく、実益に結び付かなければダメ」と言われ、
「心の分野の勉強と収入が得られるいい話がある」
と誘われたのが、ネットワークビジネスの世界だった。
ここまで、「カウンセリングの本質」というテーマで、記事を書いてきました。
前回の記事でお伝えした、最高峰のカウンセリング、「PEAKカウンセリング」を身につけて頂く為の塾を開講するにあたって、塾長を担当する、田久保剛からのメッセージをお伝えします。
《第9話》
前回は、無線機メーカーを退職するまでの心の変化を書いたのだが、この先の退職後の話をする前に、話しを少し遡らせて、別の角度から、退職直前に私が始めた色々な世界について、少し触れておきたいと思う。
なぜなら、「会社を辞めても大丈夫だ」と安易に無謀な決断をし、更にその後、成功哲学の世界へ本格的に身を投じるまでに、この退職直前に色々経験した経緯が、欠かすことの出来ない大切なプロセスだったからだ。
それは、虚しさを抑えきれなくなった入社2年目の初夏から、退職するまでの1年弱の間にあった出来事である。
続きを読む
困った問題に直面して誰かに救いを求める時、一緒になって「困った困った…」と言っている人に手伝ってもらう(メンタルケア・カウンセリング)と、事態を悪化させかねません。
それでは、“困った事”をより強化する、火に油を注ぐような状態になってしまいます。
困った時には、“困っていない存在”に手伝ってもらうのです。
アルバート・アインシュタインの有名な、
「問題は、その問題を作り上げた意識では解決できない」
という明言に、多くのメンタルケア分野の現状の問題点が言い表されているのです。
「最高峰のカウンセリング」とは、“問題を作り上げた意識ではない意識”“問題は元々存在していない意識”それは、まさに我々の実在で在る普遍意識の顕現による、「最高峰の意識」によるカウンセリングの事なのです。
この「最高峰のカウンセリング」についての田久保剛の解釈をお伝えします。
【『自分探しの旅』を初めから読む】
=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=
禅宗には「不立文字」という言葉がある。
悟りとは言葉によって表現できるものではない、という意味だが、
その言葉の通り、心の世界は掴みどころが無く、どれだけ繊細に表現しても、それを受け取る相手の心によってフィルターがかけられ、いかようにも意味が変化してしまうきらいがある。
【『自分探しの旅』を初めから読む】
=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=:=
私は、この一連のテーマの冒頭記事で、
心理系、スピリチュアル系のメンタルケアの現場の、本質が見落とされた現状を見る度、“良かれと思っての善意の行為”が生み出す悲劇、「飛べない蝶の悲劇」の寓話が重なって見える事が多く、“強い憤り”さえ感じる…
という私の本音を表現しました。
今回は、この私の“強い憤り”に向き合った結果、行き着いた結論についてお伝えします。
《第8話》
前回は社会人一年生の頃の、ずいぶんとダメ社員ぶりを暴露してしまったので、もしかしたら、「メンタルケアの講師だなんて相応しくないのでは?」なんて思われてしまったかも知れない。
しかし、ここに書いている私の経験は、何一つ飾ることの無い、私の等身大の話だ。
心の世界というと、何か神秘的な、不思議なパワーとか、難しい専門用語とか、そんな、耳触りの良い言葉で自分を飾り立て、すっかり分かった様な気持ちになることがある。
しかし、実際はどうだろう。
本当の学びは、常に自分の足下に示されていて、その事実に気づけるか、見過ごしてしまうのか・・・
少なくとも私が若い頃には、いつも目の前にあった「答え」に気づかず、何か「神聖な世界」に答えがあると信じていた。(精神世界を探求する多くの人が陥っているような気がします)
そんな私の経験がもしかすると、今なお迷い続ける人々の何かのヒントになるのでは……そんな気持ちで、話を続けていこうと思う。
前回の記事でご紹介した、「飛べない蝶の悲劇」の寓話が、現在の心理系、スピリチュアル系のメンタルケアの現場に起きている事に、重なって見える事が多いとお伝えしました。
今回は、この善意の過ちの“悲劇”を生み出す元凶は何だったのか…その核心についてお伝えします。