Q.「『神の道具が使命』、等というのは、偉大な聖者クラスで言える事で自分のレベルではまだ思えません。聖者は、時に激しい訓練、修行の過程があったから、その境地に至ったと思いますが、私たちが、その境地に至るには、具体的にどういうプロセスが必要なのでしょうか?」
大自然に囲まれた八ヶ岳合宿セミナーの特別講話で頂いたご質問に対する田久保剛の回答です。
Q.「『神の道具が使命』、等というのは、偉大な聖者クラスで言える事で自分のレベルではまだ思えません。聖者は、時に激しい訓練、修行の過程があったから、その境地に至ったと思いますが、私たちが、その境地に至るには、具体的にどういうプロセスが必要なのでしょうか?」
大自然に囲まれた八ヶ岳合宿セミナーの特別講話で頂いたご質問に対する田久保剛の回答です。
先日のトークイベントでは、久々に不思議モードに入る体験をしました。
この不思議モードは、時々やってきます。
記憶に新しいのは、1年半前の「パラレルワールド体験」?…でした。
今回の出来事がどういう事だったのかの、解釈は定まってないのですが、取り急ぎ何があって、どんな感じだったのかを、参加者のアンケートと共に、記録として記載します。
Q.「田久保さんは瞑想を継続していますが、
瞑想を習慣化するのは簡単ではありません。
瞑想を習慣化、また、ハマったきっかけは何ですか?」
というご質問についての田久保剛のコメントです。
Q.「ゴキブリを殺してもカルマが返ってくるんじゃないかとか、家族が腐らせた野菜を自分が掃除して捨てる時も罪の意識を感じて、他者のカルマも自分が背負ってしまんじゃないか…とか、
小さなカルマの跳ね返りを気にしすぎる余り、使命を果たすとか、何も出来ないでいる自分に自己嫌悪を感じます。
私が気にしていることは真実なのか、小さなカルマは無視してもいいのでしょうか」
というトークイベント中のご質問に対する、田久保剛の回答です。
私達が、地上での創造活動をするエネルギーは、分離意識が強いと枯渇してしまいます。
しかし、常に供給されている無限のエネルギーと繋がれば、大いなる普遍意識・神の力と共に、大いなる創造活動が可能になります。
田久保剛が、マントラや瞑想など、様々な霊的向上の手法を実践する動機はそこにあります。
「マントラ」は言葉を用いる道具、という意味で、人間に内在する神の創造力を発動させるものですが、それを使う動機、前提、出発点が、その効力に大きく関わってくる…
そんなテーマでお伝えしたトークイベントの一部です。
田久保剛が、人間としてこの地上での活動をするに辺り、様々な手法を駆使する動機、前提で、いつも価値を置き、注意をしているポイントについてお伝えします。
前回の「地球に生まれて来た理由(その2)」の続きです。
自由自在の神の領域から見れば、ある意味で、この不自由極まりない「地球」で、肉体を纏った人間を表現するからこそ経験できる事がある。
そう捉えると、
『今起きている事の意味』
がわかってきた…という、田久保剛の体験に基づき、その意味についてお伝えします。
前回の「地球に生まれて来た理由(その1)」の続きです。
絶対の存在で在る、私達の実在、「本当の自分(普遍意識)」、つまり神からしてみれば、この地球という次元は、どんな意味をもったところなのか。
それが分かってきた時に、今、私達が直面している、この地球での人生で起きている事の意味も見えてきます。
それが分かった時、私、田久保剛は、この地上人生に対し、こう感じました…
私達人間の多くは、先に人生の答えを求めたがります。
しかし、私達人間が『地球に生まれて来た理由』は何なのか、という視点で観ると、その発想が変わるかも知れません。
『地球に生まれて来た理由』は何なのか…そんな問いを田久保剛が普遍意識に放ち、気づいた事をご紹介します。
最近、私、田久保剛が強く実感している事。
それは、
「新しい時代の地球上では、『エゴの望み』は、ますます抵抗が強くなり、実現しにくくなり、『神(宇宙)に沿った望み(神のニーズ)』は、ますます追い風になり、宇宙の無限のサポートが入って実現しやすくなる」
という事です。
でもこれは、燻ぶるようにして、既にそこに有る、「エゴ(自我意識)の望み」を捨てよ…
という事を言いたい訳ではありません。