《第28話》
北野本部長から、営業マインドの基本を徹底的に教えてもらったあの頃。
正直に言うと、ここから約2年間の記録というものがほとんど残っていない。
実は高校時代から、ほぼ毎日のように付けていた私の日記は、この頃、プツリと途絶えている。
なぜ、この時期だけポッカリと、日記やその他の記録が残されていないのか。
それは多分、この時期はあまりに充実していて、自分の心に真剣に対峙する必要性を感じなかったのではないかと思う。
《第28話》
北野本部長から、営業マインドの基本を徹底的に教えてもらったあの頃。
正直に言うと、ここから約2年間の記録というものがほとんど残っていない。
実は高校時代から、ほぼ毎日のように付けていた私の日記は、この頃、プツリと途絶えている。
なぜ、この時期だけポッカリと、日記やその他の記録が残されていないのか。
それは多分、この時期はあまりに充実していて、自分の心に真剣に対峙する必要性を感じなかったのではないかと思う。
先日、我が家の最愛のペット、雌のモルモット、チャコちゃんが天国に旅立ちました。
言葉にできないような、もの凄く深い悲しみと寂しさで、でも、そんな感情をこうして表現しなくてもいいかな…とも思っていたのですが、
この世に生まれて、私と私の家族とこの家が、ほぼ唯一の世界であったモルモットのチャコのために、その出逢いの真理と、この世界に生きた証を残し、その意味を私が受け止め、忘れないために、まだ気持ちの整理もつかない今の気持をこうして書き記すことにしました。
また、今は正に、その渦中にいる私ですが、ペットロスで苦しむ人が、少しでもその痛みを良い意味で共有し、その事で少しでも真の癒やしに向かうきっかけになればという気持で、
その気持と同じような意味を持つ表現だと、私、田久保剛が捉えている作品も引用してお伝えします。
スピリチュアル情報を学んで、悟りを目指そうとする方の多くが、そのゴールを「非日常体験、神秘体験」に置く傾向があります。
悟り体験の一側面に於ける「非日常体験・神秘体験」という現象は、それを必要とする一部のタイプの方に結果としてもたらされる、ひとつの一里塚のようなもので、悟りの必須体験ではありません。
この「悟り」と「非日常体験、神秘体験」を結び付けてしまう背景を田久保剛の経験に基づいた解釈でお伝えします。
前回の記事では『「見えない世界」を正しく学ぶ方法』というテーマで、「目に見えない世界」を学ぶ手掛かり、正しい識別、判断は、
自分自身の「内側から導き出す」ものであって、様々な「外部情報に依存する」ものではない事をお伝えしました。
ちなみに、今回お伝えする事は、「真理を悟る」というスピリチュアル情報を理解する上で、ある意味“最重要事項”と言っても過言ではないと私は捉えています。
多くの精神世界、スピリチュアル分野の情報を学ばれる方の多くが、求める成果をなかなか得られない、その中核的な理由が、この“最重要事項”の誤解ではないかとさえ私は思っています。
前回は『なぜ「目に見えない世界」を学ぶ必要があるのか?』というテーマで、「見えない世界」を学ぶ重要性や価値についてお伝えしました。
ではこの、
「目に見えない世界」は、どうしたら学べるでしょうか?
どうしたら「見えない世界を悟る」ことが出来るのでしょうか?
そして、その「目に見えない世界」の情報を通して、どうやって本質を見極め、自分自身の人生の諸問題を解決していく答えを得られるのかの田久保剛の見解をお伝えします。
理不尽、不条理、不可解…
世界に巻き起こり、個々人に降りかかる様々な不調和現象にどう向き合えば良いか…
その答えは、「目に見えない世界」に隠されています。
見えない世界を知る理由について、田久保剛の見解を書きました。
昨年2017年8月の「黎明」改訂新版の発行を機に開催した、「黎明」著者、葦原瑞穂さんの講話録音を公開する特別セミナーは、多くの「黎明」読者の皆様にご参加頂き、大変好評を頂きました。
そして、更に2018年6月にその第2弾を公開しましたが、より深い内容と、そこに秘められたメッセージについての田久保剛の解釈と参加者の声をお届けします。
西日本の大規模な豪雨災害で被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
被災者の方々が一日でも早く、平穏な日々を取り戻し、心の痛みが癒やされることをお祈り申し上げます。
こうした事態に際し、被害を受けていない立場の人ができる支援についてお伝えします。
【『自分探しの旅』を初めから読む】
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仏教の世界でよく使われる「因・縁・果」という言葉がある。
私は、仏教について深く語れるほどの豊富な知識を持ち合わせている訳ではないが、この3つの言葉の奥に秘められた意味を、このように解釈している。
「縁」とは、その存在だけでは自分にとって意味を成さないこともあるが、自分の中にその縁に反応を起こす「因」が存在すると、花が咲き、やがて「果」となる。
「縁」とはすなわち「自分自身に出逢うこと」なのだ。
自分の中に「因」があるのだから、その必要な「縁」に反応を起こすタイミングは、自分自身が決めている、と言える。
【『自分探しの旅』を初めから読む】
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それが「営業マン」時代だ。
この頃の私は、自分でも不思議なぐらい急激な成長をし、多くを学び、また喜びも挫折も沢山味わった。
その充実度から考えると、当時の年齢を思い出して自分でも不思議な気持ちになるが、実はこの頃は、まだ私は20代の後半だったのだ。