《第35話》
お金には、強力なパワーがある。
それは時として、人間に錯覚を起こさせる。
経済的に豊かになる、という目標は大切だ。
私は、「清貧の思想」を掲げるつもりなど毛頭ない。
豊かさが豊かな人間を育成し、貧しさが心を痩せさせてしまうこともあるだろう。
しかし、豊かな経済力が常に正比例して、豊かな人間を作るとは限らない。
その違いは何かと考えると、その経済的な豊かさが、精神的な豊かさの上に成り立っているのか、何かの犠牲の上に成り立つものなのかの違いのように私は思う。
精神的な豊かさが欠落しているものは、本当の豊さとは言えないのではないだろうか。
少なくとも私は、ずっと以前に、
「これだけお金が手に入れば豊かに成れるはずだ」
と思って立てた目標を達成しても、
精神的には常に満たされない自分がそこにいた。
本当の豊かさとは何だろうと、改めて考えた時、それは「縁」の中で生かされている自分の存在の本質に気づく事ではないかと思う。
理屈では、確かに自分は会社から給料をもらい、環境を与えられ、恵まれていたことは理解していた。
しかし、心のどこかに「これは自分の実力で掴んだものだ」という錯覚があったことは否めない。
自分の存在の根源にある、全ての「縁」への感謝を見失っていた。
私たちは、幼少の頃から、学校やあらゆる場面で、「人に感謝しましょう」と教わるが、
本当の感謝は、頭で理解したり、人から教わったりするものではないのではないか。
人は皆、「因と縁」の中で存在しているのだ、という、当たり前で、絶対普遍的な真実が見えれば、感謝は心の一番深いところから自然と湧き上がる。
どんなに「自分は人に感謝出来ない人間だ」と頭では思い込んでいたとしても、「本当の自分」は、感謝と愛に満たされた存在だから、その真実が見えればいいだけなのだ。
今、思えば、この時の私はその本質が見えなくなっていた。
口では感謝が大事だなんて言っていたかもしれないが、そういった、あらゆる縁に支えられて自分がいる、という事実が見えずに、感謝の心を忘れ、盲目になってしまっていたのだ。
しかしそれは、私が「本当の感謝」「本当の自分」を観念ではなく、実体験として味わうために用意された、必要な「学び」の過程へと私を誘うための「錯覚」だった。
私がその必要過程を経験するため、まるで偶然のように、幾人ものお客様が、私の錯覚を助長するようにこう言う。
「なんで田久保さんは独立しないの?」
「自分でやったらもっと成功できるのに」
「そろそろ旗揚げじゃない?」
「田久保さんは一企業内で骨を埋める人物じゃないよ」
(・・・そうかもしれない。もしかしたら、自分には才能があって、みんながそれを教えてくれているのかも知れない。
そうさ、こうやってトップの座を不動のものにしているじゃないか。
・・・そうだ、俺は出来るんだ。
今こそ、自分の理想の能力開発サービスを誰にも気兼ねすることなく、思いっきりやる時期なんじゃないか?
今の俺ならなんだってできる。俺は実力があるんだ・・・)
今考えると、あの時の自分の傲慢で無知な発想は、あまりの恥ずかしさに、顔から火が出そうだ。
企業には、創業者がいて、会社があって商品があって、それに関わる人、マーケティング、広報に関わる人、総務、財務、あらゆる間接部門に支えられ、お客様に支えられ、それを直接販売する営業マンがいる。
営業マンだけでは自分の実績も成り立たないという、小学生でもわかりそうな事実が、見えなくなってしまった。
もう、誰にも遠慮せず、思いっきり自由になって理想を追い求めたい、という気持ちに火が付いて、日に日に大きくなっていった。
会社の管理体制が厳しくなればなるほど反発心も生まれ、「早くこの会社を辞めたい!独立したい!」という想いが拡大していった。
こうやって過去を振り返ると、相変わらずの自分のパターンにあきれる。
何か気に入らない事があると、すぐに逃避先を見つけようとする。
そう、この時の私の発想は、まさに逃避だった。
しかし、その一方で、自分を足止めする、もう一つの思いとの葛藤があった。
「独立って言っても、一体どうすればいいんだ?」
そもそも、この会社に入社する前、独立して成功を夢見ていたものの、
自己管理の出来ない自分に嫌気が差して、あえて会社員という管理体制の中に再び身を置く決断をした。
その経験が自分を現実に引き戻し、独立の発想は、自分の心の中に押し込められた。
そんな時、私の運命の扉を開ける人物が、改めてその役割を果たすべく、私の目の前に現れる。
その人とは、北野本部長の後を追う様にして辞めた、東山さん、その人だった。
この東山さんは、私の自分探しの旅の中で、とても面白い役を演じてくれた。
少し前の記事『「The key-man」…その鍵穴はどこにある』の中では、その鍵穴の存在を表現しなかったが、実は彼は1つの鍵ならず、2つの扉の鍵を持っていたのだ。
そして、まもなく彼は1つ目の扉を開けるべく、私の前に運命的に現れる。
そうして、私の運命は、また大きく歯車を回転させ、私の心の中に出来た、大きな空洞を満たすべく、
更なる自分探しの旅へと、私の足を踏み込ませていったのだ。