《第27話》
その翌日、私は正式にB商品課の課長に昇格した。
主任から課長代理に就任して、僅か半月ほどで一気に課長に昇格したのは、会社始まって以来の出来事だったと聞いている。
正直、北野本部長も勢い余って言ってしまっただけのような気もするのだが、
まさにこの出来事がきっかけで、北野本部長と私の間には、不思議な信頼関係が生まれた。
B商品課のメンバーは喜んだ。
何故なら私の昇格は、単なる個人的な昇格だけでなく、B商品課の存在を社内に示すものであって、
会社に対しても強い影響力のある新ボスからの、強烈な心理的後ろ盾を得たことにもなるからだ。
当時の私は、自分で言うのも何だが、業績だけでなく、年上の部下を持ち、課の責任を背負って立つに相応しい、それなりの風格と自信が備わりつつあった。
格闘技の世界に、
「チャンピオンベルトがチャンピオンを作る」
という言葉がある。
この頃の私は、まさにこの言葉の通りであったと思う。
世界一の男から認められたという自信と、名実ともに部署長の称号を与えられ、それに相応しい自分になるよう、その地位に押し上げられるように力を付けていった。
外交セールス事業部内の業績争いは激化した。
当時、A商品課には3つの課があり、それぞれのヘッドは、以前も登場したベテランの小野さん、私の良きライバルの近藤さん、そして、若手で期待の佐野君。
そこに、B商品課の私たちが加わり、この4課で、月間チーム業績の熾烈な優勝争いが行われた。
私は燃えた。
A商品課の3課と肩を並べて競ってはいたが、私たちB商品課は、あらゆる面で条件が悪く、まだまだ営業活動の上での重いハンデを負っていた。
しかし、もしも当時のこの状況で、「この4つの課の中から自由意志で課を選択できる」と言われても、私はもっとも条件の悪いB商品課を、迷わず選んだことだろう。
それは、今井次長の想いを継承するという側面も確かにあったが、
この悪条件を乗り越え、A商品課を差し置いてトップを勝ち取る、というスタイルに、得体の知れぬ高揚感があったのだ。
B商品課の優勝と、個人でもトップの業績を収める事を毎日イメージし、そのための努力は厭わなかった。
・・・このように営業の業績ばかりに焦点を当てて話すと、まるで業績のためなら強引にでも商品を売る様な、ガリガリとした営業マンの姿を想像する人もいるかもしれない。
しかし、私の中には、確固たるマインドがあった。
世の中に良くいる、表面的な心理操作などのテクニックや、上辺だけのトークを使う営業マンを、私は毛嫌いした。
いや、商品メリットを正しくお客様に理解していただき、情報を的確に伝えるためのテクニックは非常に重要だと思っていたし、そのための研究も誰よりもしていた自負はある。
しかし、そのテクニックは、「お客様に対する真心から絶対的に軸をずらさない、強固なマインドに裏付けられたものでなければならない」という信条が私にはあった。
時期は少し先になるのだが、ある時、北野本部長が部下の前で、こんな講話をしたことがある。
「この森羅万象、山川草木が喜ぶような人間としての在り方が、そのままセールスに現れるんじゃ!」
私はこの時、自分がこの言葉の深い意味をどこまで理解していたかは分からないが、とにかく強烈に魂に響いた。
その場の掴みどころのないような雰囲気から見ても、もしかしたら、この言葉に感銘を受けたのは、私ぐらいだったのかも知れない。
しかし、私は今になって、なぜあの言葉が私の魂に深く刻まれたのかが分かる。
今思えば、北野本部長は「営業」という仕事を通して、自らが愛そのものの自分、そして大自然や宇宙と一体の存在である「本当の自分」に目覚めることの重要性を説いていたのではないかと思う。
私にとって、営業で業績を上げることは、単なる地位や名誉や自分の収入というエゴのためだけでなく、
私自身がユーザーの一人として、その商品によってちゃんと自己実現を果たし、幸せを手にし、一つの成功例となるためでもあった。
私が人の手本となれるような立派な人間だったかどうかは別として、そうやって、その商品を売る自分に恥ずかしくない自分であるためにも、実績を身につけたいと思った。
そして、自分を自己実現に導いたその商品を通して、お客様にも絶対に幸せになってもらいたいと、心の底から願った。
どれだけ「この商品で自己実現できますよ」と言ったところで、営業マン自身が全く実践できていなければ、信用などされない。
だからこそ、自分が扱う商品への信頼と自信がなければ、お客様に紹介など出来ないと真剣に思っていた。
この想いは、振り返ってみれば社会人になった当初から、ずっと自分の中に、本質的な私の性質としてあったように思う。
しかし、北野本部長の下にいたこの頃は、その想いが顕著に表面化した時期だった。
北野本部長の言葉は、その私の心の奥深くにあった想いを的確に言い表したのだと思う。
だから私は、その言葉を聞いた瞬間に「これだ!」と思った。
森羅万象山川草木が喜ぶような人間としての在り方・・・
それをどうやって、今日のセールスに生かしていけば良いのかなど、全く分からない。
「でも、俺が本当にやりたいことはそれだ!」
そう、深く心に刻んだ。
講話の後で、北野本部長に感動を伝えようと、
「営業の世界で、あんな言葉は聞いた事がありません。私はこれを極めたいです」
と話すと、
鬼軍曹のような鋭い眼光の北野本部長が、目を潤ませ、
「ワシは今までの人生で、田久保みたいな純粋な男に会ったとはない」
と喜んでくれた。
あの時の、北野本部長の澄んだ瞳は、今でもくっきりと脳裏に焼き付いている。
私が仕事をする上で、今でもお客様に接する時や、商品への想い入れなどは、この頃のマインドが基盤となっていることは間違いないだろう。
当時の北野本部長の営業マインドは、私自身という人間の形成に、大きな意味をもたらした。
北野本部長の語る言葉、部下に接する態度の一つ一つは、私に、北野本部長の純真さを深く感じさせた。
決して表面ツラの付き合いは出来ない。
北野本部長に対しては、居合の様な真剣さと、嘘偽りのない自分自身の姿で、いつでも本音でぶつからなければいけないような何かを感じていた。