象と解って匕首で向かう 〜『サンクチュアリ』(聖域)に隠された神の視点〜(後半)

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自分探しの旅・田久保剛

【『自分探しの旅』を初めから読む】
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●◎○● コラム[心の旅の協力者]●○◎●
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「サンクチュアリ… 聖域」
(後半)
前半より続き)

この「サンクチュアリ」の他にも、世の中には、人の心を魅了して止まないストーリーが沢山存在する。

そのストーリーの背景に多くあるものは、神話に起源を置く「ヒーロー」の存在だ。

実はこの事は、神話学者ジョーゼフ・キャンベル「英雄の法則」(ヒーローズジャーニー)や、英雄の法則をコンセプトにして書かれたクリストファー・ボグラーの名著、「神話の法則 〜ライターズ・ジャーニー」などに、もっと詳細に記されている。

とても乗り越えるのは難しいと思える問題や苦難、しかしそこに果敢に立ち向かうヒーロー。

成長の過程を経て、あり得ないほどの幸運や実力以上のパワーを発揮し、ヒーローは栄冠を手にする。

ヒーロー達の物語について深く語ることは、前述の著書など専門家に任せておきたいと思う。

私がここでお伝えしたいのは、物語の内容ではなく、それを受け取る時の私たちの心の反応だ。

私たちには、冒険ものやヒーロー達の活躍の物語を読んだ時、ワクワクしたり、ドキドキしたり、感動や強い感銘を受けたりする心がある。

特に幼い頃には、誰もがそのような反応を自然にしていたことだろう。

そして、大人になっても、つい子供のようにはしゃいでしまったり、時には感動で涙を流したりすることも、決して珍しいことではない。

一方で、大人になるにつれ、だんだんと「そんなのある訳ない」「どうせただの物語だろ」と醒めた目で見てしまったり、

共感している周囲の人を見て、「なにを現実離れした話で盛り上がっているんだ」と批判的な目を向けたりすることもある。

どちらの感情が「良い」「悪い」とか、「正しい」「間違い」ということでは無いのだが、

少なくともその感情を現実に転化したとき、私たちが驚く様なパワーに変わるような影響力を持つ感情は、前者だと言える。

では、その感情とは一体なんなのか、なぜ、その感情が強大なパワーを引き出すのか、更に深く追究してみたいと思う。

私の持論ではあるが、行き着いた結論はこうだ。

前者は「神の視点」、後者は「人間の視点」である。

ただし、「神」と言っても、例えば宗教などで言う教祖や、白いヒゲを生やして杖をついて、天国から降りて来るような(笑)、自分とは別の個体として存在する「神様」のことではない。

ここで言う「神」とは、私たちの実相、宇宙意識であり、普遍意識、無限の存在、「本当の自分」のことだ。

あまりに唐突なので、少々解説したいと思う。

「本当の自分」とは、人間の表層意識を超えたものとして、潜在意識とか集合的無意識などと言われることもあるが、

それらの潜在意識領域すら超越した、(または潜在意識の中でも最も深い部分とも表現される)まさに「宇宙意識」「普遍意識」こそが、究極的な私たちの実在、「本当の自分」である。(※ちなみに、これらを単に知識として身につけることと、現実に生かすために理解を得ることは全く別物です)

そして、その真の自分を自覚するために、あえて「肉体」と「心」に自分を閉じ込め、そこから得られる体験経験を通して、その「相対」から「絶対」の存在を自覚していく事が人生の意味である、という捉え方がある。

しかし、私たちは知らず知らずのうちに、自らを閉じ込めた「肉体」と「心」という枠組みからでしか、世界を捉えられないようになっていく。

更に、人間は年をとる毎に、あらゆる経験という過去の記憶を積み重ね、様々な知識をインプットして、その枠組み(固定概念)を強化していく。

先ほど説明した、後者の「人間の視点」とは、この枠組みの中から見た視点だ。

あらゆる経験が培った過去の記憶が、目の前の事象と過去に起きた似た様な出来事を参照して、「こうなるに違いない」と、結論を予想する。

つまり、長年身に付けた「この肉体こそが自分である」という、自分を有限の存在としか捉えられない強固な感覚が邪魔をし、本来自分が持つ無限の可能性にフタをしている可能性があるのだ。

そうして、ヒーローのような現実離れした物語を見て、「そんなことあるわけない」と判断してしまう。

一方、人間の本質は無限の可能性を秘めた存在であり、「本当の自分」は、普段の私たちが思う能力の限界を遥かに凌駕する、巨大な力を秘めている。

それは「潜在能力」などというレベルではない。

完全で完璧で無限に豊富な、宇宙そのものの存在である。

ワクワクといった感情や、精神の高揚感、深い感動などは、その実在である「本当の自分」を呼び覚ます引き金になっているのではなかろうか。

あの自分を強烈に惹き付ける「共感」こそ、自分の実在である「本当の自分」からの呼び声であり、本当の自分からの強烈なメッセージなのではないか。

少なくとも私は、そのような感情が湧き上がった時、無限の存在、実相である普遍意識の方向に、意識が向いているのではないかと捉えている。

何故なら、「本当の自分に出逢う」ということは、それを意識しているか、していないかの違いはあるにせよ、全ての人間に取って最も価値あることだからだ。

普遍意識が現れる時、人はこれまでに味わったことのないような深い感動を覚え、魂が震えるような感情が湧き上がる。

この、頭で考えるでもない、自分の心の奥深くから自然に湧き上がる、ワクワクや高揚感といった感情は、「本当の自分」に出逢う道筋を示しているのだと思う。

だから、このような強い感情が伴った時、人は普段の自分たちからは想像が出来ない様なパワーを引き出す。

奇跡と思えるような幸運を引き寄せたり、自分の思っていた以上の能力を発揮したり、そういう環境や使命に導かれたりするのだ。

「足るを知る」という言葉がある。

この言葉を、「我慢する事が大切」「今に満足しなさい」といった教訓的な意味と捉えている人もいる。

しかし私は、この言葉の本当の意味は、「自分の実相は、豊富で満ち足りた存在そのものである」ということを知る、という意味だと捉えている。

まさに、「無限なる本当の自分に出逢う」という意味なのだ。

現実逃避として、虚構の成功に転化させたワクワクという勘違いではなく、本当の自分に出逢う道筋を示された本当のワクワクの片鱗こそ、「人間の視点」で捉えた有限のワクを打ち破り、「神の視点」に沿って大きな力を発揮していく「神話」に、多くの人が共感する理由であり、誰の心の深奥にも「神」が常に在る現れではなかろうか。

私たちが、ヒーローもののストーリーに、いくつになっても胸を躍らすのは、私たちの心の中に、「本当の自分」という「聖域(サンクチュアリ)」が実在することの現れなのだと思う。

匕首を手に立ち向かった象は、実は相手ではなく自分。

魂ではすでに解っていながら、理性では、自分は匕首であると錯覚している自分が、その魂の「真実の姿」に向う行為こそ、今井次長が「サンクチュアリ」の言葉を引用して、私たちの心を鼓舞させた真実ではないだろうか。

あれから十数年、こんな解釈をしてみました。

今井さん、あってますかね?

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