自分軸を持ち周囲に振り回されない本質的な方法

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田久保剛/CTPeak

よく、「“自分軸”を持ちましょう」と言われています。

私はあまり「自分軸」という表現は使いませんが、私が高校生の頃、悩み、迷い多き自分を変えたいと思っていた時、直感的に、

「きっと自分には中心があるはずだ」

「心の中にコアがあるはずだ」

というフレーズが内面から湧き上がり、それを見つけようと大きな書店に駆け込んだのが、そもそもの真理探究の始まりでした。(このことは、田久保剛の『自分探しの旅』で詳しくお話ししています)

今思えば、まさにこの時、自分の内面から湧き上がった衝動は、自分の中心に在る、大いなる意識からきたものだとわかります。

さて、この“自分軸”とは、どう定めて行けば良いのでしょうか。

“自分の中心”にきちんと意識の焦点を降ろす

実は、“自分軸”を持つために、様々な情報や人の意見、この私のブログの情報も含めてですが、つまり「外的」なものをたくさん集めて判断しようとすると、この情報の多さが、むしろ迷いを強くします。

誰かから何かを言われて、(ああ、そういうものかな…)と思っていると、別の人から、「それは違うよ、真実はこうだよ…」みたいに言われると、ちょっと動揺したり。。

そして、また別の人が、「いや、あの人は実はこれこれこうでね、信用できないのよ…」なんていわれて、またそれで動揺する。。。

いつも「外的」意見、情報に振り回されて、あちこちフラフラして、結局、自分の表現が確立できない状態に陥ってしまいます。

これは、“自分の中心”にきちんと意識の焦点が降りていない状態です。

“自分の中心”に意識のフォーカスを合わせ、“自分の中心”から出してきた答えであれば、人が何を言おうと、それに対して一切揺らぐことがありません。

過去の偉人たちの中で、世界中が反対するような状況に対しても一切揺らぐことなく偉業を成し遂げたような方々を、「信念を貫く」という表現をしますが、

私は、「信念」というよりも、きっとこの“自分の中心”、つまり、普遍意識にフォーカスが合っていたので、この宇宙の中で、自分の役割というものを実感としてわかっていたのだと思います。

だから周りが反対しようが、どんな抵抗があろうが、自分が「こうだ!」と言う事に揺るぎがなかったのです。

私は、“自分軸”という表現は、フラフラ揺らぐ自分を支える支柱みたいなイメージがあって、あくまでも個人的なものですが、適切な表現じゃないような感覚があります。

つまり、“自分軸”というものは、なんか脆く儚い、作られた、応急処置のようなイメージがあるのです(^_^;

でも、元々在る、自分の中心、普遍意識に意識の焦点が合う、降りる、繋がる、というと、その表現だけで、偉大なる何かと繋がる感覚があります。

そういった、「本来の自分」という内側から答えを引き出す在り方、これが究極の自分軸を持った状態だと私は思います。

一切ブレない“自分軸”から答えを出す方法

では、“自分の中心”から答えを出す在り方は、どうやって身につけるのでしょうか。

この“自分の中心”とは、つまり、誰かの意見や本の情報といった「外側」ではなく、「内側」という事になります。

私は、冒頭で話したように若い頃、こうして、「外的情報」「人の意見」を頼って、徹底的に答えを「外側」に追究した結果、「そこに答えはなかった」という壁にぶち当たり、やっと、自分の内側から答えを見出すにはどうしたらいいのか、という課題に向き合いました。

さて、自分の「内側」から、という表現を聞くと、肉体の内部なのかな…とか、心の中なのかな…なんてイメージをしがちですし、じゃあ、そこからどうやって、“自分軸”を定めたらいいのか?という疑問もでると思います。

この内側の中心に“自分軸”を見出すというのは、日常生活の様々な場面で、

「いつも自分で判断をする」

「いつも自分で答えをだす」

という姿勢、その日々の積み重ねによって徐々に見出されてくるものなのです。

いわゆる、日々のトーレーニングの積み重ねです。

その事によって、自分の内側の深奥に在る普遍意識と繋がる通路が徐々に整ってきます。

もちろん間違えることもあります。しかし、自分の判断は正しかった、と確信できることも増えて来ます。その差異、つまり、どういう精神状態や気持、感覚で判断をしたから間違っていて、どういう精神状態や気持、感覚で判断をしたからより鋭敏に精妙な答えを感じ取れたのか、そういう感覚を磨いていきます。

田久保剛/CTPeak

この時、内なる普遍意識、その全知全能、無限の叡智という存在に対する霊的知識をもち、信頼を寄せることも大きなポイントにはなります。

そして、判断の時に、マントラや瞑想などで、普遍意識に意識を合わせる事もも大きな後押しになります。

念のために言えば、人の意見を聞くのも、本で情報を集めるのが悪いといっているのではありません。そういう外的なものは、すべてあなたの「協力者」として捉える、というのが本質です。

そして、その協力を借りて、参考、ヒントにして、その判断、情報が正しいのか、間違っているのか、最後の判断は必ず自分で降ろす。

この地道なトレーニングで識別心が高まり、内側から疑う余地のない答えを見出す感覚が養われていきます。

なにか天啓のようなメッセージが突然降りてくるといったイメージもありますが、そんなものは滅多にありませんし、そもそも、そういう天啓のように降りてきたメッセージが正しいとは限りません。

「わからない」状態の保留は自分軸を見出す秘訣

それからもうひとつ重要な事として、「わからないこと」は、そのまま保留にする。

「わからない」ことを「わかったつもり」で扱って判断していくと、そのうち、自分が間違った判断をしていることが、だんだん分からなくなってきて、識別心が磨かれるどころか、どんどん鈍くなっていきます。

自分の確信に基づかない判断を下し続けると、その反動が問題として返ってきて、ー確かにそのプロセスで磨かれる側面はありますがー 状況がややこしくなってきます。

「わからないこと」は一旦保留し、そして、内なる全能なる普遍意識に、その答えが自分に必要な時に示してもらえるように問い、オーダーを発しておいて、あとは注意深く、日常に示される答えに意識を研ぎ澄ませて行きます。

すると、日常生活の中で、必要なタイミングで、たまたまつけたテレビや、手に取った本、さりげない他者の会話の中、あるいは、ある朝起きたら、既にそのことを識っている自分と繋がっている自分に気付く…

という様々な形で、やがて答えは示されます。

こうした経験を積み重ねると、確信も深まり、より内側の“自分の中心”から答えを出せるようになってきます。

自分の中心の普遍意識から出した答えであれば、人が何と言おうと揺らぎません。

その判断は、誰かや外部の情報のものではなく、自分自身のものです。

普遍意識が、その人の役割として与えたものは、人から来るものではないのです。
自分自身で識別、判断することで、初めて宇宙と一体、周囲に振り回されない、究極の“自分軸”になるのです。

「誰の言うことも聞くなよ!」

竹原ピストルさんの表現を借りれば、

♪「俺を含め、誰の言うことも聞くなよ。」
(「よー、そこの若いの」竹原ピストルより)

⇒ということなのです。凄くいいフレーズですね^^

ちなみに、この歌の歌詞から伝わるメッセージは、すごく私のスタンスと近いです。

じゃあ、誰の言うことを聞けばいいのか…その私の解釈は、この記事で書きました。

♪「こんな自分のままじゃいけないって
頭を抱えてるそんな自分のままで行けよ」
(「よー、そこの若いの」竹原ピストルより)

そう、わからないことはわからないままで行く。「わかったつもり」になったり、自分に嘘をついていると、何が分からないかも分からなくなってしまいます。

「いつも自分で判断をする」

「いつも自分で答えをだす」

そして、大いなる本当の自分「普遍意識」に意識を合わせていく。

これらはまさに、『カウンセリングの本質』にも通じますし、『瞑想』の本質でもあるのです。

参考にして頂けましたら幸いです。

▼歌詞を書いていたら、聴きたくなっちゃったので、のせておきます^^


日常生活で「普遍意識に意識を合わせ続ける」手法!!

●『普遍意識瞑想セミナー』(2018年5月5日・東京)


 

⇒普遍意識に意識を合わせる『瞑想』についての動画(Youtube・全9動画)はこちらをどうぞ。

 

⇒「瞑想」関連記事;

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