頭では解っているのに実践できない事の真実

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田久保剛/黎明

「スピリチュアル、霊的真理の知識を“頭では理解できた”けど、実際の現実に生かせず、学びを諦めたり、自分を責めてしまう…」という悩みを持っている人はとても多くいるように感じます。

この、「頭では解っていたのに、実践出来ていない」という事を“真実の視点”から見た時に、それは悪いことどころか、むしろ必要なプロセスなのだと気付きました。

真面目な真理探究者の方々に、今、田久保剛が、とてもお伝えしたい「力が身に付く真実の瞬間」についてお話します。

知識があってこそ迎えられる事

例えば、私が、奥さんと言い合いになって、いつもは「相手の完全性に意識を合わせるんですよ…」なんて皆さんに言ってる私が、その時に「相手の完全性になんて意識を合わせていなかった…」なんて気づくことが、いっぱいあるのです。

「この自分って、遅々として全く成長してないんじゃないかな…」

と一瞬思ってしまって、そして自分自身を振り返るのです。

しかし、例えばですけど5年前、10年前、20年前といったスパンで見ていくと、やはり確実に成長していることは間違いない。

以前は、すごく気になって囚われていたような事に、今は全然囚われてなかったり、

以前は色々と突きつけられて、繰り返し起きていたような事象が、今は全く起きなかったり、起きても全くそれに囚われなかったりとか、そういう捉え方をすると、確かに成長はしている。

でも今、今日のある瞬間の、何かに感情が巻き込まれてしまった自分を見ると、全然、遅々として成長していないんじゃないかな…と思ってしまうことも確かなのです。

この2つを比較した時に、でも事実、成長している側面もあるぞ…と言うところを見た時に、「では、いつ力が付いたのだろうか、いつ成長したのかな…」ということに真面目に向き合ってみたのです。

そうしたら、「あぁそうか」と気付いたのです。
まさに「力が身につく瞬間」というのがあったのです。

それは何かというと、頭で解っていることと、実際に腑に落ちる、というのは全然違うのですが、

まず頭で解っていて、そして、それを試すような現場に直面して、その頭で解っていた事を忘れちゃっていた自分を経験する事がありますね…

その後に、ちょっと冷静になった時に、「ああ、田久保さんから、もう何度も言われたのに…私もわかってたつもりだったのに、出来なかった…」というように思う、その瞬間なのです。

つまり、知識を知っていなければ、「ああ、できてなかったな…」ということすら思わないのです。

次は少しでも出来るようになろう

そして、そこからもう1ステップあって、

次は、少しでもそれが出来るようになろう…

ちょっとカチンときてしまったままだった、あのような時に、今度は、そのカチンときた自分に、少しでも気付いて「ゆるし」を実践するなり、何か自分でマントラを唱えるなり、俯瞰視点をもって、そして少しでも、「相手の完全性」に意識を合わせてみよう…

今度は、同じような時に、少しでも実践できるようになろう…

というふうに思う選択肢と、

解っていても全然できない私てダメだわ…

と思う選択肢の分かれ道があって、

どちらかというと、私の場合、その「前者の選択をしてきた」ことは間違いないな…という事がわかったのです。

つまり、

「ダメだ…」

と落ち込んで自分を責める選択ではなくて、

「では、次は少しでも出来るようになろう…」

且つ、頭で解っていたからこそ、今、こうして反省しているんだな…

解っていなかったら、そもそも反省どころではなく、「まったく…文句ばかり言いやがって!」で終わっているかもしれないのです。

でも、あの時に、相手ではなく、自分にフォーカスを当てて、ああ、あの時、もっとこうすべきだったな、ああ、まさにあの瞬間こそ、相手の完全性に意識を合わせるんだな、あの瞬間こそ、俯瞰視点を適用する時だったんだな…

そう反省して気づける、ということは、知識があったからなのです。

知識があったから気づく。

そして、では、次は少しでも出来るようになろう。

祝福すべき成長のための1回

更に、この先を言うと、そうやって誓ったのにもかかわらず、次も全く成長していなかったようなことを、実は繰り返すのです。

このことも、もう少し広い視点として知っておくことです。

私はこの事を「腕立て伏せ」に喩えたのですが、「い〜ち」と一回やっただけでは、筋肉は付かないのです。

「に〜い、さ〜ん…」と繰り返し、10回やって、休んで、また何セットかやる。

しかも、それも1週間ぐらいやっただけでは付かないのです。

この10回の腕立て伏せを何セットかやっただけの時は、やる前と比べて、たいして変わらないのです。

だから、なんだ筋肉が付いていないんじゃないか…と思うけど、

「“頭で解っていた”“実際にやってみた”“全然出来なかった”“少しでも次は生かそう”」

という、これで、「腕立て伏せで言う1回」、「い〜ち」なのです。

それをまた、「に〜い(解っていたけど出来なかった、でも次は生かそう)」「さ〜ん」「よ〜ん」…ということを何度か繰り返していくのです。

その瞬間は、全く成長していないように思う自分がいる。

それでも「ダメだなぁ…」と受け止める選択ではなく、まあ、たまには「ダメだなぁ…」っておもう選択をしてしまった自分も、「いいよ、いいよ(そんな時もあるよ)」で受け止めながら、それを何度か繰り返していく。

その結果、私の場合、力が付いてきた…成長してきたんだな…ということが解ったのです。

だから、“出来ていない”という部分。この全体の一プロセスである、今日、ついさっきまで、ワ〜ワ〜と人と揉め事になって、そういう時に適用すべき、霊的真理の知識を頭で解っていたのに、全然出来ていなかったあの瞬間は、むしろ祝福すべき(腕立て伏せでいう)“1回”なのです。

但しその1回だけで、「ああ、もうダメだ、こんなんじゃ筋肉なんて付かないじゃないか…」と言って、床にベタっと倒れこんで、そのまま「もうや〜めた」と投げてしまうと、やっぱり、なかなか筋肉は付きません。

やがてまた、「ああ、そろそろ腕立てやんないとな…腹筋やんないとな…」と復活してもいいのですが、せっかく身に付きつつあった筋肉が、また元に戻っちゃうので、効果的ではありません。

力が身に付く真実の瞬間

だから、“出来ていない”ということは、ジャッジポイントではないのです。

「“解っていた”“出来なかった”“でも次は少しでも出来るようになろう”」

そして、それと同じようなことを何度か繰り返していく。

でも、少しずつ少しずつ変化しくのです。

「あ、今日はちょっとだけ冷静な自分でいられたぞ…」
「今日は少し、何か、ちょっと今迄と展開が違ったぞ…」

ということを、少しずつ少しずつ長期スパンで感じながら身に付けていくのです。

だから私は、その“解っていたけど出来なかった”というプロセスは、「ダメだな…」ではなくて、むしろ、“なくてはならないプロセス”のような気もしてきたのです。

まさに自分に少しずつ負荷をかけながら、腑に落としていく。

本に書いてあったから…ビデオで言ってたから…どこかの先生が言っていたから…

「あっ、はい、わかりました…OK!」

って解ってしまう(身に付いてしまう)のは、実は、この次元に来て別に学ばなくても(経験を積まなくても)いいことで、どこかで学んで来てるはずのことなのです、一発で解ってしまう事は。

「い〜ち」だけで、モリモリって筋肉が付いてしまうようなことは、今回のこのステージ(今生)でやることじゃな可能性が高く、僅か1回で付いた筋肉を使って、もっとやらなければいけない役割、もっと鍛えなきゃいけない別のポイントがどこかにあるのです。

だから、1回、2回で変わらなくて、むしろ正解なのです。
むしろ何回も繰り返すプロセスは、歩んだ方がいいとさえ思います。

そうすると、すごく緻密な経験での学びも、筋肉が付いていく、力が身についていくプロセスを通してわかってくるのです。そして、霊的真理の学びで言われていることが、何故そうなのか、どうしてそうなのか…ということの、その行間がわかってくるのです。

この学びをされている方からいただくもしく、もしくはセッションの時に、必ず1回は出てくる発言が、「解っていたんですけどね…出来ないんですよね…」なのですが、私もそれを聞く度に(ああ、俺もそうだよな)って思うわけです(^_^;

(俺も解っているんだよね…解っていて、且つ、解っていることの確信は深まりつつあるんだけど、でも、みんなに言ってることを、全然、実践できていなかった自分も、ついさっきまでいたんだよね…)

という事もあるのです。

でも、それに対して「自分を責めていない自分」がいることは間違いなかったのです。そして、振り返ると筋肉が付いている…

「ああ、真実はここにありだ!」

と思ったのです。

「“解っていた”のに“出来なかった”“でも次は少しでも出来るようになろう”」

という3ステップが、腕立て伏せに於ける、腹筋運動に於ける1回なんだ…

一回やっただけで筋肉つかないよね…

ああ、なんだ、これを繰り返していけばいいんだ…

と思ったのです。

力を身につけるプロセスの真理

そして、繰り返す時間が長ければ長い程、その行間にあるものの理解も生まれていく。

今度その行間の理解は何に生かせるかというと、2つあるのです。

ひとつは、この次元に於ける自分の役割として、後から辿ってくる方に手を差し伸べるための筋力になる。

もうひとつは、これは先の話なので、私もわからないですが、いつか肉体次元を離れた時に、本来の霊的ステージで仕事をする時の基礎固めになります。

見てないからわからない…と言いましたけど、これを私は真実だと思っていてます。

だから、今この地上でやることというのは、本来のステージで困らないためにやらなければいけないのです。

それから、本来のステージ、つまり、肉体を卒業した後、霊的次元に移行したとき、その次元でのティーチャー(霊的指導者・指導霊)の嘆きというのがあるらしく、その嘆きというのは、

「お前、地上で何してきたんだ…」

という嘆きらしいのです。

そして、私たちのような、霊的真理の普及の仕事をする役割の人に、「もっと、ちゃんと教えてきてくれ…」と「こっち(霊的領域)では、こっちの指導があるのに、学んで来ないままこっちへきちゃったヤツがあまりにも多いから、それ教える前に、そのこと(正しい霊的真理)まで教えなきゃいけないじゃないか…」みたいな、そういう嘆きがあるらしいですね(^_^;

私たちが、「頭で解っていて、出来ない」というプロセスは、必ずしもダメな訳ではない…ということです。そうやって身に付いていくことなんだ、ということを、私の体験を通して、凄く大切だと思っています。

この事は、今、私がすごく伝えたい事です。

本当に多いのです。「解っていて、出来ない」…というプロセスで、マイナスな選択(あきらめる)をしてしまう。

「解っていて、出来ない… お、順調だぞ! い〜ち…ってやっているぞ。でも次はもうちょっと生かせるようにやってみよう…」

この捉え方を、ぜひ参考にしていただくといいと思います。


 

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