前回の記事では、自分の内側に神(=普遍意識)の光明を観だす在り方の重要性、「自燈明・法燈明」のお話をしました。
では、「自分の内側に神の光を見出す」にはどうしたらいいでしょうか。
それには、“識別心”を磨く必要があります。
“識別心”を磨くことで、外側の人、情報などを「自分の内側から自分で答えを見出す」協力者として生かし、常に「自分の内なる光(神)に因る判断」ができるようになります。
この、識別心を磨く為の各ステップ、ポイントについて田久保剛の解釈をお伝えします。
前回の記事では、自分の内側に神(=普遍意識)の光明を観だす在り方の重要性、「自燈明・法燈明」のお話をしました。
では、「自分の内側に神の光を見出す」にはどうしたらいいでしょうか。
それには、“識別心”を磨く必要があります。
“識別心”を磨くことで、外側の人、情報などを「自分の内側から自分で答えを見出す」協力者として生かし、常に「自分の内なる光(神)に因る判断」ができるようになります。
この、識別心を磨く為の各ステップ、ポイントについて田久保剛の解釈をお伝えします。
前回の記事、「スピリチュアル情報の解釈『群盲象を評す』」では、
他者の解釈を鵜呑みにしたり、その情報に惑わされるのではなく、それらを全て、
「自らの内に光明を見出す」
ためのヒント、協力者として、自分の視点、自分の解釈を、自分の状況に置き換えての“実践”通して、「普遍意識が自覚に至る」事が重要、
とお伝えしました。
今回は、「自らの内に光明を見出す」ことの重要性について、田久保剛の解釈をお伝えします。
私が長年、スピリチュアル情報を学ばれている方々の悩みに向き合ってきて、皆さんのご意見をお聞きする時、いつも思い浮かぶのが、「群盲象を評す」という寓話です。
有名な寓話ですので、ご存じの方も多いと思います。
この寓話は、様々な角度で表現、解釈されている情報ですが、田久保剛なりの解釈で表現します。
私達人間が「エゴ」を手放し、自分を通して本当の自分、「普遍意識」が自覚に至るヒントになれば幸いです。
偉大なる精神世界の名著、『黎明』著者・葦原瑞穂さんが逝去されて今日で3年になります。
この日を機に、『黎明』の一読者として、葦原瑞穂さんに意識を合わせ、私、田久保剛が感じた事を書きました。
私たちの日常には、私たちの霊的向上をサポートする「神の声(高次の自己のメッセージ)」が届けられています。
それは、常に普遍意識からのメッセージが示されているとも言えます。
しかし、自分の意識状態に注意しないと、自分から、その声を聞こえなくさせてしまうのです。
普遍意識(神)の声を阻む要因とそれを受け取るヒントを田久保剛の解釈でお伝えします。
ネガティブ感情が伴う「浄化」現象で、どうしても意識が合ってしまうのが、辛さ、痛み、苦しさ…です。
しかし、大切なのは、その背後で何が起きていたのかを正しく理解する事なのです。
ネガティブ感情が表出する浄化現象に対して田久保剛が思う正しい理解、そして正しい対応の仕方のヒントをお伝えします。
この地上で魂の修行をしている人間である以上、ネガティブ感情が出てくるのは当たり前です。
これを「浄化」現象とも言いますが、それが悪いことではなく、その「浄化」の真意を正しく理解し、正しく対処していく事が大切です。
ネガティブ感情が表出する状態の田久保剛の経験を通した見解をお伝えします。
私たちの目の前に展開している「現象世界」の本質とは何でしょうか。この世界にはどんな意味があるのでしょうか。
「現象世界」を現している根源の視点、普遍意識から見た一つの捉え方について、田久保剛のトークイベントからお伝えします。
この世界に生まれてきた、自分の「使命」とは何でしょうか。
「使命」と言っても、社会的な枠組みを前提とした仕事、職業なのか、霊的背景を前提した魂の役割なのか、その解釈は様々ですが、
田久保剛なりの「使命」を見出すポイントについて、八ヶ岳の大自然の中で開催した「普遍意識体感セミナー」の特別講話からお伝えします。
「日常で周囲に良い表現をする為に『素直な自分』で生きようとしても、むしろ、つい自分や人を責めるジャッジの心、ネガティブ感情が出てきてしまいます…」
大自然に囲まれた八ヶ岳合宿セミナーの特別講話で投げかけて頂いた上記の事に対する田久保剛の見解です。