Q.「社会的に凶悪とされるような事件をニュースなどで目にした時に、むかっとした自分の心の反応に対してはどのように対処すれば良いのですか?」
という質問に対する田久保剛の回答です。
心の反応から離れ冷静になる
A:いわゆる、例えば法律上反すること、詐欺とか殺人とか、とんでもない事件、確かに今、いっぱいあります。
そのような事に対して、とんでもないな…と思ってしまいます。
例えばそれが、自分の目の前に起きた時は、冷静になることなど出来ないぐらいの状態に恐らくなると思います。
ただ、自分がニュースを通して、そういう社会的に許せないような出来事を知った時は、ワンクッションあるので、その時にムカついたり、腹が立ったりしている自分からちょっとスペースを取ることは、私の場合は出来ます。
もちろん、「何だ!(怒)」って反応することはあります。
でも、やっぱり直接的なことではないから、どんな酷い事でも次の日ぐらいからは冷静に見れる自分になれます。
そして、自分がその犯人のところまで行って何か出来るというポジション(直接関与できる、関係がある役割)だったら、もちろん相応の対処をしますが、私たちは通常、何も手出し出来ない立場の事が多いのです。
そういう時に私の場合、どうするかというと、まず、少しでも冷静になる。その時、出来うる最大の冷静な状態になる事です。
自分のポジションで全体に影響を与える
そして、では自分が、この事に対して何が出来るか。
つまり、今、自分がどこにいて何をすべきかという事を意識して、
今日の自分の仕事に少しでも愛を持って向き合うことが、結果的に、味あわなくても良いようなネガティブな出来事を一つでも軽減出来るんじゃないか…
というのが、私の理論なのです。
イメージとしては、今、社会で起きているネガティブな出来事は、本当は全体意識、つまり、個人意識ではなく、過去の人類の色々なエゴ・分離意識というものがあったからこそ生み出された、色々なネガティブ想念を正しく対処しなかったから蓄積されたものがあるのです。
そして想念は、一度放たれたら必ず解放されなければならないのです。
その解放される最終段階が「現象化」、まさに現象世界に形として現れるものです。
もちろん、100出したものを100は返っては来ないのですが、でも何らかの形で刈り取らなければならないのです。
蒔いた種は刈り取る、という話があります。
想念の世界では地球意識として、我々人間が約70億人いて、本当は一つの意識として繋がっているわけです。
そして過去、人類が放った色々な想念が、どんどん蓄積されて、これが解放される時に、(またこの背後にも色々な法則が絡んでいるんですが)誰かがそれを解放する担当をすることがあるのです。
これが、例えばですが、何か犯罪を犯したり、何かの事件を起こす人の背景です。
何らかの因果によってその人が、ネガティブ想念の何かを表現する担当者になってしまっている場合があって、起きた事件を私たちが別の場所からニュースで聞いたりするわけです。
つまり、全体意識の世界から見ると、自分(全体意識)がやったことが何処かに出てきている。
例えば(この地球が)人間の人体だとした時に、右手におできが出来たとします。
「あぁ、何か右手の先におできが出来てやがる…」って、他の人がニュースで見て、非難するというよりも、
「あ、右手におできが出来たら、左手で薬を塗ろう」とか、目は「それをちゃんと正しく見よう」、じゃあ足は「お医者さんに連れて行こう」とか、色々なことをします。
だから、全体で一つの事に対して自分が出来ることは何か、ということをやると同じように、
私たちも、もしもそれを見るというご縁があった時に、カチンと来たりムカッと来たりするという反応に対しては、冷静でいるという事がまず一つ。
そして、なるべく冷静になった上で、自分がいるところで、今日与えられた事に対して、少しでも良い波動、愛の行為を通して、「神を降ろす」「神を表現する」。
そうすることによって、少しでもこの原因想念が軽減していく。少しずつ少しずつ。
明日のネガティブニュースを生み出さないために今できること
結局、私たちが出来ることは私たちのポジションでしか出来ないのです。
左手には左手にしか出来ることがない。
鼻には鼻にしか出来ない… 鼻がお医者さんまで歩いて行くことは出来ない訳です。
だから、自分のポジションで何が出来るのか、という、采配された場所でやるべきことをやるしかないんだ、と私は思っています。
更に言えば、もしかしたら今日、もう一歩、自分がこの仕事に愛を込めてやったら、明日、もしかしたら起きるはずの出来事を現象化させなくても済むかもしれない、ぐらいの気持ちで、
一見、全然関係のないように思えても、全然関係ない仕事だと思っても、自分のポジションで然るべきことをやることが、こういう全体に起きていることを起こさなくすることなんだ、というのが私の処理の仕方です。
つまり、この背後には、全部、神が創った法則が働いていて、それは何かというと、いわゆる「カルマの法則」「因果の法則」「原因と結果の法則」蒔いた種は刈り取らなければいけないというものです。
例えばですが、それを担当した人にもまた色々と、今、その担当をするカルマが何処かにあったりもするのです。
だから実は、究極の全体から見ると、何処にも間違いが起きていないのです。
私たちはその部分で見ているから、「その人がそんな担当をするのは何で?」とか、色々思ってしまいますが、実は、我々の見えないところで完璧な法則通りになっている、ということが言えます。
コンピューターでランダムに選ばれるようなものではなく、ちゃんとその人に、そういう表現をするカルマがあり、またその担当をする事によって、どこかの大きなカルマを解消していたりとか、
もしくはその事によって、もっと人類が平和のことを考えたり…
ネガティブな事件が起きたり、その事を思い出す式典等があると、やっぱり深く考えますよね、そういう形、表現がよいということではないですが、やはり多くの人が「全体が調和したらいいな」ということを考える良い機会になるのです。
そして、全部然るべくして、因果の法則によって、何かが何かを担当してる。
理屈上で説明するとそういうことです。
ただし、これは非常に気をつけなければいけないのは、例えばそこの当事者であるとか、どうしてもこんなことを受け入れられないというポジションにいらっしゃる方もいます。
なので、あくまでも自分自身の理解とする。そして、ではこうした捉え方を仮説として受け入れた時に、そういう場面でどうするかということは、ご自身が、日常のちょっとしたところで、カチンと来たりムカッと来たりした時に、どう受け止め、どう転換したら何が起きるか、
もしくは、ニュースで飛び込んで来た、自分では手の出しようのない、地球の裏側で起きているような出来事に対して、すごく憤りを感じた時に、それをどう受け止め、どう対処したら何が起きるかということを、少しずつ自分で実証していただくのが良いかと思います。
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