田久保剛です。
以前、私が主催した、『黎明』著者、葦原瑞穂さんのワークショップで、こんな投げかけがありました。
「同年代の人が、自分よりお金を稼いだり、社会的に地位のある立場になっているのを見て、自分には価値がないように思えてしまう」
この投げかけから、葦原瑞穂さんが話された、霊的な価値、普遍意識(神)にとって最も価値ある本質を見失わないための真の価値の話をご紹介します。
アベルとカインの供え物の意味
「黎明」の中に、「聖書」の創世記の謎解きの話が出てきます。
普通、牧師さんに聞いてもなかなか答えが出てこないのですが、アダムとイブに、長男のカインと弟のアベル、二人の男の子が生まれて、アベルは羊飼い、カインは農夫でした。
ある程度の時間が経って、神様にいろんなお供え物をする時に、アベルは羊飼いだったので、「その年に初めて生まれた羊の赤ちゃん」と、それから「丸々肥え太った羊」を神様に供えました。
カインは農夫でしたから、「農産物」を神様に供えました。
すると神様は、アベルとその供え物は受け取りましたが、カインとその供え物は受け取らなかった…という不思議な記述があるのです。
実は、これにはちゃんと理由があって、カインとアベルの違いというのは、元のヘブライ語に関わってくるのですが、
「物質」と「霊(スピリチュアルなもの)」
を象徴しているのです。
羊というのは「魂」。
「その年、初めて生まれた赤ちゃん」というのは、「魂」として初めて人間を表現した、という意味。
「丸々肥え太った羊」というのは、地球で、いろいろな経験をして、もう地球から卒業できる、「熟した魂」の事を表しているのです。
それに対して、カインの供えた「地の産物」っていうのは、「物質」に属する、「お金とか地位とか名誉」のことです。
そういうものは、神様にとっては、どうでもいいと言いますか、要するに、「その転生が終われば無に帰してしまうもの」なのです。
そういう事を象徴的に書いてある訳なのです。
「魂の成長」に必要な事
カインは怒って弟のアベルを殺してしまい、エデンの園を追放されることになるのですが、
結局、人間が、神様から見ればどうでもいい、自分の「魂の成長」よりも、この物質世界のいろんな欲望にどんどん意識が囚われていった、という事が、創世記の中では、象徴的に書かれているのです。
上の方の守護霊とか、普遍意識にとっては、「魂の成長」以外は、あまり関心がないのです。
地上でその人が何をやるか、それは、もちろんその人が如何に「愛の表現」をし、「他の人達に奉仕」し、「地球環境に奉仕」したか…というて事なのですが、それは、その事によって「魂が成長するから」なのです。
その事で、利己的な部分が少なくなっていくからなのです。
普遍意識にとっては、その人が善いことをやろうが、悪いことをやろうが、あまり関係ないのです。これもよく誤解されて、「じゃあ、悪いことなんでもやろう」などと誤解される人がいるから、いけないのですが…どんな事をやっても、その事から「魂がどれだけ成長するか」という事しか普遍意識の世界にはないのです。
だから、善悪の問題というのは、そこには出てこないのです。
価値を決めるのは何か
お金の問題、あるいは、社会的地位ですね。今、世の中ご覧になってると、社会的地位にある人が、結構とんでもない事をやっているのが、次から次へとニュースを賑わしています。
それは、私たちが暗黙の内に了解している権威、一生懸命勉強して、良い大学に入って、社会的にみんなから尊敬されるような人になる…もちろん、「尊敬されるようになる仕事をする」のは良いことです。
ただ、肩書きで、その人が医者だからとか、あの人は弁護士だから、あの人は大学教授だから…となると、その肩書きには霊的には何の意味もありませんから、それなりの社会的地位がありながら、誰から見ても明らかに変な事をやらかすような事が次から次へと出てくるのです。
それが、今の時代の特徴的な学びなのです。
大切なのは、逆に仕事が何であれ関係なく、その人の自分の仕事をどれだけ一生懸命やってるか。それには価値がある…ということです。
仕事の種類について人間というのは、高尚の商売と、あまり上等ではない商売があるって、何か勘違いしている方がいるのです。
どんな仕事でも、その人がプロ意識をもってきちんとやっていれば、その人の「魂の成長」にもなるし、世の中の役にも立つ訳です。
ですから、すべて、それに関わる時の自分の意識の在り方で、それに価値が入るか入らないかということが決まる。
世間の人達が評価する、「あの人はこういう今、地位にいます」とか、「こんな仕事をしました」とか、
それが本当に意味のある、いわゆる「霊的に価値のある」もの、たとえば「世の中の人にこれだけ多くの愛を届けた」という事であれば、それは価値があります。
だけど、それが形だけになってしまうと、私たちは本質を見失ってしまうという事になるのです。
(CTPeak主催『黎明』スペシャル少人数ワークショップ・葦原瑞穂氏講話より。文語変換、強調等は、田久保編集)
物質的価値から霊的価値にシフトして生きる
この話の正しい解釈は、今生を如何に生きるかを“思い出す”上でとても大切です。
私たちは、この地球にいったい何の為に生まれて来たのか?
その価値は、物質世界だけで判断しようとすると、本質を見失います。
全ての人は、この答え、「地上人生で何をすべきかの本質」を魂で知っていて、しかし、この物質次元や社会的価値に巻き込まれていく内に忘れてしまい、見失ってしまっている…私はそう感じます。
しかし、心の深奥のどこかで、それを覚えているからこそ、要所要所で、起きる、何かの出来事がきっかけで、物質的、社会的価値への疑念に気付くのだと思います。
私がそうでした。
それは世捨て人になるとか、お金や社会的価値を否定するのではなく、この地上での生活、仕事は、何の為にあるのか、その真の価値、
まさに、「その転生が終われば無に帰してしまうもの」に価値をおいて、それを追い求める人生ではなく、
魂にとって、その本質において、この地上の生活、仕事を通して最も大切なことは何なのか、それを霊的視点から思い出し、「魂レベルで価値ある」仕事をしていく…という事です。
私自身が、「物質的価値」vs「魂の成長」という葛藤の中で、その先に見出した確かな真理、「魂レベルでの価値」に基づいた、仕事や人生への向き合い方、
その実践の結果、宇宙の完璧なサポートに守られている真理への確信、
そして、常に襲いかかるようにして、その価値を幻惑する自我意識、エゴと如何に対峙して、乗り越えていくか、
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