普遍意識を思い出す〜『黎明』・葦原瑞穂さん逝去から2年〜

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黎明/葦原瑞穂

精神世界の名著、『黎明』の著者、葦原瑞穂さんの逝去から今日で丸2年になります。

あの日のことは、過去にも多く触れましたので、今日は、この節目の日に葦原瑞穂さんに意識を向けて、『黎明』や葦原瑞穂さんに対して田久保剛が感じている事を、心に浮かんでくるがままに勝手気ままに書き綴ってみました。

誰にも備わっている霊能力

あの日を想うと、なんだか、つい先日のような気もするし、ずっと何年も前のような気もする、不思議な感覚になります。

2年前のこの日も今日のような秋晴れでした。あの日、おそらく、葦原瑞穂さんが肉体次元を去ったであろうその時間に、ちょっと不思議な虫の知らせ現象を体験した話は、1年前の記事に書きましたので、そちらもどうぞご覧下さい。

虫の知らせ現象は、一種の霊的感性によるものだと思いますが、私には、一般的に言われるような霊的能力を自覚していません。

この場合の霊的能力とは、簡単に言えば、人間の五官という知覚器官で知覚できる範囲を超えた波動領域を認識できる能力のことで、その精妙な波動領域を、視る、聴く、感じる、といった、まさに霊能力としては説得力のある、ある意味、わかりやすいアレのことです。

ずいぶん前の事ですが、自分にはない、そういった能力に憧れて、友人の霊能力者が、当たり前のように、人間の通常の肉体的知覚器官では認識できない対象に、「見える、聞こえる、感じる…」と表現する事に対し、いちいち劣等感や反感を持ったり、逆に、そういう能力を開花させようと努力しようとした事もありましたが、

そんな涙ぐましい努力も実らず、ちょっとやさぐれている私に、その霊能者の友人から言われたのは、「田久保さんは、視える、聞こえる、感じる、という能力を挟まずに、既に識っている、根拠無く、理由無く分かっている、という霊的能力がとても優れている」と言われました。

見えたからわかる、聞こえたから認識する、感じたから理解する、という認識のステップを挟まずとも、既に識っている、分かっている、という能力です。

その場に一緒にいた、スピリチュアル情報に詳しいあるヒーラーの方が、「それはクレアコグニザンスって言うんですよ」なんて言われたのですが、それをどう呼ぶのなんて、どうでもよいさんず…って感じでしたが(^_^; でも、そう受け止めれば、確かに合点のいく感じはあります。

これは、私なりの解釈ですが、霊的領域の表現を視る、聴く、感じるという能力は、知覚器官を司る繊細な波動感知に関する能力で、それぞれの性質や役割に関係のある個性、または、過去世での経験の名残で、まさに個々の背景、事情によって差異があるのだと思うのですが、

この、「識っている」というのは、性質や役割によって備わっている霊能力と言うよりも、すべての人が持ち合わせているんじゃないか…と思うのです。

識っている、わかっているという感覚

そして、その感性は、自分が好きな分野、情熱を注いでいる分野に、特に強くはたらくのだと思います。

好きな分野への根拠のない情熱、熱意、その対象に没入して、極度の集中状態を経験している内に、肉体的機能を超えた、精妙な波動を感知する感性が研ぎ澄まされ、一種の霊能力として高まっていく。

その洗練された感性が結果的に、本来のより精妙な波動領域に既に表現されていたものを感じ取ることが出来る。

見えないし、聞こえないし、感じるというわけでもないし、理由も根拠もよくわからないけど、それがそうであると分かる…という感覚です。

この、好きな分野という事は、別の表現をするならば、過去世での経験値や縁が強いもの、とも言えると思います。

田久保剛/葦原瑞穂

ですから、どんな人でも、そういう対象に対しては、根拠も理由もわからないのに、「識っている、わかっている」という霊的感性を自覚出来るんじゃないか、と思うのです。

“センスがある”とか、“もっている”と表現される状態も、単に今生での努力で身につけたものだけではなく、その背景にはこうしたものが関与していると感じます。

ただ、物質次元の様々な現象や観念、常識に強烈に囚われてしまっていたり、唯物主義に頑なになっていたり、

「好きな事で飯が食えるか!」的な、いつしか世間に根付いた社会的価値に準じて、好きな分野の探求を諦めてしまったりするような事で、

折角のそういった霊的感性が鈍ってしまっている…という場合もあるような気がします。

この事は、『黎明』の中のコメットハンターに関する記述が参考になると思います。その事に書いた私の過去記事(天上界との共同創造)も参考にして下さい。

情熱を捧げて研ぎ澄まされた感性

さて、私がここまでの人生で強い情熱を注いだ分野は、正に精神世界、スピリチュアル、霊的真理の分野です。

その中でも、著書『黎明』との出逢いは、単なる縁と言うよりも、太古の時代からの深遠なる縁と、魂の計画によって仕組まれた強力な引力のようなものを感じました。

私にとって『黎明』とは、世界中に存在する万巻の書物の一つではなく、『黎明』という、ひとつのエネルギー体、分野、どこか遠い、久遠の昔の記憶なのです。

私は野球が好き、プロレスが好き、音楽が好き、手芸が好き、旅行が好き…など度々、世間で言う趣味の分野、好きな分野の表現は様々ですが、私は、精神世界分野の読書が好き…とも言えないですし、スピリチュアルな事が好き…でもありません(^_^;

でも、霊的真理への熱意、その理解、そして、その事を誠実に明快に現した『黎明』が好き、いや、好き、というよりも、その表現を超えた、正に強力な引力のように惹かれるもの、惚れ込む何かをそのエネルギーに感じて、出逢いと同時にのめり込みました。

そのエネルギーが、この物質次元で、本という体で、紙に書かれた文字という媒体を採っていただけで、あの『黎明』というタイトルの、本という物質そのものが好きなわけでもありません。

その想いというか、エネルギーというか、思考体系?想念体系?そこに記された、『黎明』が指し示す、霊的真理、本質、この宇宙の真理、我々の実在への、何というか、望郷の念に近い、そんな好意を抱いているのです。

だから、『黎明』との関わりには、不思議な現象の体験がたくさんあります。

そもそも、『黎明』初版が出た20年ほど前、今のようなネット情報が少なかった頃、私も多分に漏れず著者の正体に関心を持ち、とある掲示板にあった、「『黎明』の著者は、ズバリ『●●』という本の著者▲×さんだ!」という情報を見て、直ぐに精神世界専門書店でその本を見つけたとき、

確かにタイトルもテーマも書いてあることも宇宙意識に関する、『黎明』と同分野と思うようなものでしたが、読んだ瞬間に、「あ、全然違う!」と根拠もなく、そうじゃないと分かるのです。

まさに、波動が違うのが分かるのです。

この「波動の違い」こそ、情熱を捧げて研ぎ澄まされた感性によって識別できるものだと思います。

葦原瑞穂を識別する・同姓同名にご注意を…

だから、葦原瑞穂さんが亡くなった後に、実はいろんな憶測や、チャネリング情報と称した流言飛語が無責任に様々なメディアに結構飛び交っていて、中には「困ったもんだな…」と思うようなものもありましたが、そういった情報の多くに私が、「まったく違う!」という根拠無き識別がハッキリできるのも、この「波動の違い」であって、

完全な妄想は論外ですが、それを表現した方に悪意はなく、実際に何かを感じていたとしても、相当その方の波動が介入していて、コピーのコピーの曾孫コピーぐらい、原型を留めず歪曲されていることも感じました。

もちろん、私にも主観が入るので、絶対的基準を主張したいわけではないのですが、長年関わって来た範囲の中で身についてきた感性(今生だけではないと思いますが)から識別するに、あまりにも違いすぎるものもあった、という事です。

またつい数日前、これも不思議だったのですが、私なりに葦原瑞穂さんに意識を向けていた、まさにその時、このブログに問合せメールが入ったのです。

そこには、「以前、葦原瑞穂さんが発行するメルマガ読者の中で、何故か自分が選考されて言霊の指導を受けていたが、最近、メールしても返信がなく、どうしているかと思ったら、亡くなっていたのですね…」というような主旨のお問合せでした。

実は数年前にも、主催した葦原瑞穂さんの講演会で参加者の方から、「葦原さんのメルマガ読んでます」と言われた事があって、それで同姓同名のメルマガ発行者がいるらしいと知ったのですが、確かに、魂とか言霊という表現もあるので、勘違いしちゃったんだな…と思った事があります。

しかし、その方の表現は、もう全然波動が違うので、あえて言わなくても解るだろう…ぐらいに思って、私もそのまま放置していたのですが、実際に、今でもそのメルマガ?(今は発行されていないらしいです)発行者を『黎明』の著者と信じて読んでいた方が他にもいたことを知って、ビックリし、

そもそも、私が葦原さんに意識を向けた瞬間のメールだったので、上の方から「田久保さん、お願いします」と言われたと受け止め、念のため、この場を借りて明言します。

『黎明』の著者、葦原瑞穂さんは、葦原瑞穂として自らネット媒体、メルマガ、Twitter等で情報配信をした事は一切ありません。葦原瑞穂さん自らが霊的真理の情報を表現している媒体は唯一、著書『黎明』だけです。

そもそも同姓同名という事はありうることなので仕方ないですが、もし、発行者が『黎明』という著書の存在を知っているとしたら、紛らわしい表現には配慮が欲しいものです。まあ、そもそも仮に知っていての行為だったとしたら、本人に大きな霊的カルマが返る事で学びを得る事なので、事実を明記するだけで、後は自然法則に委ねますが…

ただ、いくら「波動が違う」と言っても、通常は表現されたこと(この場合は、名前の表記)で判断せざるを得ないのですから、そういった勘違いをしてしまう犠牲者を出さない為にも、それを分かる人が役割として表現して行く必要があると思います。

同姓同名と言えば、こんな話があります。

実は同姓同名のポルノ作家の女性の方がいらっしゃるんですね(笑)

それで、中にはね、『黎明』と同じ著者の本を読みたいってことで取り寄せて「こういう本が書けなければ、こういう本は絶対書けない」とかね、変な納得される方もいたりして、まあ困ったもんですけど、

実はその、ポルノ作家の葦原瑞穂さん、私より前に登録しているんで文句は言えないという、そういうことがあります。

私は実は大和言葉で「あしふぁらのみすふぉ」なんですね。当時「は行」が「ふぁ ふぃ ふ ふぇ ふぉ」の発音で、あと濁音が無かったんで、本来そういう発音で、ローマ字の所(※著書奥付の表記「MISUPHO ASHIPHARA」)見て頂くとね、わかります。
(葦原瑞穂・講話より)

普遍意識は思い出せばいい

話題を戻しますが、この「識っている」という感性を、私の場合は『黎明』の波動に強く感じる、それを確信した大きな出来事は、

今から16年前のある日、何の前触れもなく突然、私のいた事務所に尋ねてきた一人の男性を、玄関のドアを開けて初対面したその瞬間に、直感的に「葦原瑞穂さんだ!」と直感した、あの日の事で、あの時に感じた感覚がずっと今でも残っているのです。

今生ではあった事もないし、逢いたくて探しても会えない人だったのに、太古の時代の関わりを、識っていたから分かったのだと思います。

要するに地上で普遍意識に目覚めるというのは実はもの凄く大変なんです。不可能ではないんですけどね。

だけど本来、普遍意識にいた人達っていのうは、思い出せばいいだけなので、その為の種って言いますか、「スターシード」って言うか、そういったものが、地球上にはそれだけの人数、既に神の采配で、埋められていて、そういう方々に、昔、識っていたことを思い出して頂く為に、この本が書かれた、という事ですね。

日本で一番最初に、これが出版された、地球に埋めこまれた、目覚めるべき魂っていうのが、実は、大半ですね、たぶん六割以上が日本に生まれている。この地球のアセンションと言いますか、新しい時代に移っていく時の計画が、日本の神代の時代から計画されていて、それがこの日本で起こる。

田久保剛/CTPeak/黎明

それは、本来の意味での縄文時代にあった、日本人の潜在的な精神性、文化を、この時代の日本で立ち上げて、世界を引率していく、その為に西洋の競争社会とか、エゴとエゴのぶつかり合いみたいな、あるいは物質偏重っていう、そういう人間が行きすぎて、行き詰まった世界を正常な状態に戻す為に、今、日本がこういった、霊的な意味でのリーダーにならなければいけない。

そういう意味で、皆さん方は、いろいろそれぞれ役割を持って、今、この日本に生を受けている、という事なんですね。
(葦原瑞穂・講話より)

この記事を読まれている『黎明』読者の方の中にも、『黎明』を読みながら、どこかで学んだ訳ではないのに、何故か、そこに書かれている事が、根拠もなく真実である、と確信できる感覚を味わった方は多いのではないでしょうか。

私は、まさにその感覚こそ、「識っている」ことだから感じるのだと思うのです。

太古の昔、日本の神代の時代の関わりと、その時、この時代の地球に送り込まれる『黎明』の情報をきっかけにして、その役割を果たす種が発芽し、開花し、使命を成就する約束、そして、完全なる普遍意識が表現された故郷にいた時の記憶を。

『黎明』の情報はどこからきたのか

冒頭で、私には一般的に言われる霊的能力はない、と言いましたが、葦原瑞穂さんも同じく、

「こういう本を書いているから、いろんな霊能力を使えるだろうとよく思われるんですが、全然ないんですよ(笑)」

とよく言っていました。

その背景には、本人曰く、葦原さんのある過去世で、ありとあらゆる霊能力を駆使できたそうなのですが、その誤用によるカルマを造り、今生ではそのカルマの解消のため、全て封印してきた…との事です。

しかし、私は、前述した、既に「識っている」「分かっている」という霊能力を葦原瑞穂さんも主に無意識のうちに駆使されていたのだと思っています。

それは、葦原瑞穂さんはどうしてこんな厖大且つ緻密な、しかも確認のしようのないような精神世界の情報、宇宙の霊的真理、

そして、その中でもご自身の本来のお仕事でもある、地場調整の詳細な知識を書けるのか… まさに、何を根拠に、どこで学んで、それらを表現できるのか…という、多くの『黎明』読者の疑問についての答えなのです。

私は、葦原瑞穂さんも普遍意識にいた時に、そして、様々な過去世での宇宙での仕事の経験を通して、「識っている」ことを、様々な外的きっかけや、内的な感覚によって、思い出すようにして現したのだと捉えています。

葦原さんは、『黎明』を「普通の方法※に因り書かれたもの」(※チャネリングなどの霊能力ではなく、の意)と、エピローグでも表現していますが、厳密には、“普遍意識とその様々な個的表現の記憶が著者を通して、物質次元の現象的には普通の方法を採って書かれたもの”だと解釈しています。

その結論に至ったのは、単なる感覚ではなく、ここまで、『黎明』や葦原瑞穂さんのお話や在り方、行為を目の当たりにして深く関わってきた結果、感じている事なのです。

北海道での天と地の共同地場調整

私と葦原瑞穂さんが、共に肉体を通してこの物質次元でお仕事を具体的に始めたのが2014年。

それから約2年半後の2016年10月2日、「阿久遺跡復活プロジェクト」という地場調整の大詰めのお仕事を終えて、約10日後、最後の少人数ワークショップを終えていつも以上に満たされた、やり切った喜びで最期の晩餐のような食事を楽しんだ日から5日後、突然、葦原瑞穂さんは、その表現のステージを肉体次元から移行されました。

しかし今度は、表現の場の担当を、この物質次元と霊的次元に分けての仕事が、昨年2017年に始まったと、私は解釈しています。

その一つが、昨年スタートして既に10回の開催を終えた、『人類意識の夜明け・特別セミナー』(旧称:「特別セミナー『普遍意識の自覚と地球の夜明け』」)です。

その理由、背景については、関連記事に詳細を記していますのでお読み頂きたいのですが、今、もっとも葦原瑞穂さんが地場調整を必要としている場所の一つは、北海道だと思います。

この『人類意識の夜明け・特別セミナー』の次の開催地は北海道・札幌です。

もちろん、今年は数多くの自然の猛威が、私たちの安らぎを奪うように襲ってきていますので、そんな今だからこそ葦原瑞穂さんは『黎明』の読者の方には、今いる場所、自分の担当場所で、愛(光)の影響を表現して調和のエネルギーを降ろす、地場調整の本質を望まれていると思います。

それと同時に、必要な場所に直接赴いての地場調整も、上の方から必要とされていると私は、この一連のセミナー開催経験を通して感じています。

そして、『人類意識の夜明け・特別セミナー』の札幌開催が決まったのは、7月でしたが、実は、その開催を決めた理由は、三次元的な仕事という事情ではなく、もし仕事としての判断基準を持ち込むならば、その時点での事情では到底開催できるような状況ではありませんでした。

実際、CTPeakは北海道の実績はなく、マーケティング調査した訳でもないので、三次元的には無謀な開催なのですが、まさに根拠なく、なんとなく行った方がいいと感じていて、その後押しとなったメッセンジャーの方はいらっしゃったのですが、実際は、直感で決めたのです。

そうしたら、この地震です…。

北海道で開催しようだなんて根拠もない想いを実行したけど、そういう事だったのか…

「葦原さん、わかりました…」

そう天に向かって言いました。

当初は、札幌で開催するので、北海道の方々に参加して頂くことしか考えていなかったのですが、天と地の共同作業として行われる地場調整は、地元の肉体の波動を持った存在の方はもちろん、どこに住んでいても肉体という媒体(この場合、少しでも『黎明』に縁のある波動が有効)があればよく、

昨今の地元の方のご事情や、また、北海道に地盤のないCTPeakの発信力だけでは情報がなかなか地元の方々に届かない事情もあり、地上担当の媒体(つまり参加者)が、私の視点ではまだかなり少ないように感じます。(結果的には上の方が最適化するので心配は無いのですが…)

ですから、むしろ可能な方は、北海道在住ではなくても、この札幌の『人類意識の夜明け・特別セミナー』にご参加頂き、ご自身の学びと同時に、上の方との共同の地場調整の媒体として貢献して頂いてはどうか、と考えていました。

セミナー参加だと、普通の観光とは違う感じにはなると思いますが、北海道の美味等も味わうなど、セミナー以外の観光予定も組めると思いますし、そもそも『黎明』下記引用にあるように、

観光と言う言葉も、本来は「光(実相)を観る」と言う意味で、物見遊山に興じることではなかったのです。
(「黎明」葦原瑞穂著・太陽出版・上巻P118より引用/赤字は田久保)

こうした、本当の意味での「観光」で、この機会に北海道以外の方もお出かけになってはどうかな〜なんて思っていた矢先、北海道の復興支援として国の観光支援補助金により、10月1日から、「北海道ふっこう割」という制度が始まったではありませんか。

北海道の宿泊が、5〜7割引にもなるというのです。

これも天の計らいかな、なんて都合の良い解釈である側面も承知の上でお伝えさせて頂きました。

●北海道ふっこう割、観光復興支援情報まとめ|旅行で応援

北海道の方はもちろん、それ以外の地域の方も、物質的社会的には、北海道の復興支援の意味、

そして明日、10月3日の創立7周年を迎えるCTPeakの今後の役割のご支援の意味^^、

そして、『黎明』読者としての地上での役割として、著者の葦原瑞穂さんもきっと関わっているであろう(私は確信していますが)、今もっとも必要な地場調整の一つを支援する意味

いろんな意味で、意義を感じ、もし可能な方は、是非、『人類意識の夜明け・特別セミナー』in 札幌〜「黎明」著者・葦原瑞穂の講話録音と田久保剛の解釈から学ぶ集い〜にご参加ください。

先述しましたが、明日10月3日は、お陰様でCTPeakの創立7周年記念日です。

葦原瑞穂さんは、創立5周年の前日にこの世を旅立って、大きなお仕事の数々を託して行かれたので、この日は忘れることは出来ません^^

私が霊的真理を必要な方々にお届けし、また、『黎明』に秘められた約束を果たす為の地上担当の役割は、まだまだ続きます。

『黎明』著者、葦原瑞穂さんが地上を旅立ったこの節目の日に、そんな、これからの役割と、師への感謝を向け、静かに味わって過ごそうと思います。

関連記事

●「黎明」著者・葦原瑞穂さん逝去から1年

●普遍意識の自覚と地球の夜明け(特別セミナーレポート)

『人類意識の夜明け・特別セミナー』in 札幌
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●北海道ふっこう割、観光復興支援情報まとめ|旅行で応援

 

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