人間は地上での人生で何をすればいいのか(人間の本質的な使命)

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「私たち人間は、この地球上での人生で、いったい何をすればいいのでしょうか」

様々な職業、芸術、スポーツ、専門分野等といった、人間の作った社会的、具体的な表現手段ではなく、“本質的な真理の観点”で、人間の存在の意義を捉えたら、どんな意味があるのだろうか…

今、自分がやっている事に迷いを感じたり、ここまでの人生に疑問を持ったり、これからの生き方に不安を感じたりしたとき…

人生を振り返るような年齢になった人は、多かれ少なかれ、こうした問いが湧き上がるかもしれません。

この問いを、自分の内面に向けた時に、田久保剛が体感を通して見出した、人間の本質的な「使命」の解釈をお伝えします。

人間は“神の道具”である

私は、

「『人間』は、神が、この物質次元の地上に、神自らを表現し、経験するために創造した、『神の道具』である」

そのように捉えています。

ここで言う「神」とは、私達人間を含め、この世界の全てを創造した、私たちの根源の意識のことです。

この意味での「神」を、私は「本当の自分」とか、「普遍意識」と表現することもあります。

人間である自分が「神の道具」である、と言われると、自分とは別の存在である神が、自分を道具として使う、といった、分離の発想になりがちですが、そうではありません。

これは、喩えて言うなら、「人間の肉体全体」と、「肉体の各部位」の関係性で表現できます。

たとえば「手」は、「人間の道具」とも言えます。

手を使って食事を採ったり、手を使って文字を書いたり、手を使って様々な作業をする、まさに「手」は「人間の道具」なのです。

しかし、同時に「手」は「人間」の一部ですから、「手」を、人間と言うこともできます。分離した別々の存在ではありません。

「人間は“神の道具”である」という表現は、この譬えの関係性に似ていて、「人間」にあたるものが「神」。

そして、「手」にあたる道具が「人間」だとした場合に、それは「神」と「人間」という分離ではなく、「神」の一部であり、一側面を表現した「人間」という関係性です。

神が人間という道具にさせたいこととは…

では、「神」は、「人間」という道具を使って、何をしたいのでしょう。私たち“道具”に何をさせたいのでしょうか。

まず、ここで言う「人間」とは、そもそも何でしょうか。

ここでの定義は、物質次元で表現されている人間の「肉体」と、そこに宿った「魂の個的表現(一なる全体が個々に分離した表現の意)」です。

つまり、ここで言う「人間」とは、「魂の個的表現」が、物質次元の肉体を通して表現している存在です。

あなたのその肉体は、物質次元に表現されています。そして、その肉体には、あなたの魂が宿っています。

ちなみに「魂」という表現は抽象的に感じる場合もありますが、ここでは、肉体に宿った私たちの生命の本体と捉えて頂ければと思います。本記事は、人間は「神の道具」であるというテーマに焦点を絞って話しを進めますので、その定義の詳細はここでは触れません。

「神」は、「人間という道具」を創造して、その道具を使って、この物質次元の地上に、神、自らを表現したいのです。

もしくは、その表現の「プロセス」を通してできる、様々な「経験」をしたいのです。
(プロセスは、原因即結果の本来の波動に近い精妙な次元では体験できないものです)

「地上に神を顕現する」という表現がありますが、これがまさに、神の創造した、すべての「人間」に与えられた命の使い方、「使命」とも言えるのです。

「地上天国」とは、人間を通して、地上に神が顕された世界の事です。

その道具としての役割を果たすことが、人間のやること、本質的な使命です。

主体は常に普遍意識

さて、ここまでの情報は、「私たち人間(自我意識)」が主体ではなく、「神(本当の自分・普遍意識)」が主体となっていることにお気付きかもしれません。

これが、私が重要だと思っているポイントです。

「神が、私たちを通して何をしようとしているか」が真理の捉え方であって、それは、個の私たち(自我意識)の「人間の視点」だけで決めることではありません。

私たちの自我意識は、全体から分離されているという、一種の幻想を生み出している意識であり、更には、肉体の五官という限られた窓から世界を認識するという、非常に部分的な、不完全な視点です。

その不完全な人間の視点を主体とすると、不完全な発想になります。

しかし、とかく私たちは、「“自分(自我意識)”が、何をしたらいいのか…」というように、自我意識を主体にしてしまうので、全体を見失い、迷ったり、こんなはずではないのに…という不満が生まれてしまうのです。

CTPeak/田久保剛

低いところから高いところは見えません。

そもそも、低いところから高いところを先に見ようとするから迷いが生じるわけなのですが、これは私達人間の多くが、ついやってしまいがちな過ちとも言えます。

低いところにいるのには、それなりの意味、役割があるのです。同時に、その役割を果たす担当としての姿勢を理解する必要があります。

それが、常に主体は普遍意識(神)であるという真理の見方です。

「神の望み」と「自分の望み」を一致させる

このように言うと、「いや、人生は自分で創るものであって、何にでも望んだ通りになれるんだ…」という意見もよくでます。

私は、そうとも言えるし、そうではないとも言えると思います。

また、そのような信条で人生に向き合う事に異議を唱えるつもりもありませんし、否定するつもりもありません。

そのようなスタンスであるには、いくつかのポイントがあります。

ひとつは、人間(魂)には「自由意志」が与えられている、という事です。

この宇宙で、魂の自由意志に介入できるものはありません。

これは、法則として与えられているものなので、仮に第三者が介入してコントロールしようとしても、それは大きなカルマとして返ってきて、この絶対的法則の存在を学ばされます。

この仕組みも今回の主旨ではないので、これ以上の詳細には触れませんが、「自由意志」とは、この現象宇宙の中で与えられた、魂の成長過程の特権なのです。

しかし、「自由意志」は、ある程度の範囲の中で…という前提があって、常にその力は、全体の意思、普遍意識、神意識の支配下にあり、最終的には全体の方向性には抗えません。

お釈迦様の掌の上である程度は自由に暴れられる程度とも言えます。

この事はつまり、「人生は自分で創るものであって、何にでも望んだ通りになれるんだ…」という生き方を選択するのも、どんな生き方、在り方を選択するのも自由であって、最終的には、その全ての選択とそこから生まれる結果、経験は、すべて貴重な学びとして、一なる普遍意識に統合されていくのです。

何をどうする…ということよりも、様々な担当を通して、その担当分の様々な経験をして、そのすべての経験を自分(普遍意識・神)の経験として持ち帰る、というのが全体の目的なのです。

次に、「人生は自分で創る」ということは、まったくその通りなのですが、この“自分”がどこを指すかによって意味が変わってきます。

この“自分”というものが、分離の強い個体意識に焦点の合った状態の“自分”なのか、意識が拡張してより広い意識の焦点としての“自分”なのかによって、意味が変わってくる、ということです。

CTPeak/田久保剛

また、「望んだ通り」というのも、分離の強い意識(エゴ)が“望む”ことと、全体意識の“望む”ことはまったく違うものになります。

つまり、どの意識次元でこの言葉を表現するかによって、意味が変わってくるのです。

究極は、自分の望みと神の望みが一致したとき、大いなる神の力が自分のものとなる。つまり、自分に抵抗するものがない世界。全てが協力者となる世界が実現するのです。

この仕組みを理解するヒントとしては、この図のように、意識がより高い次元に焦点を合わせてくると、自我の力は弱まります。自我が弱まるとは、普遍意識に抵抗する度合いが減ると言う事です。

この図だけで言えば、一番低いところは自我意識100%の状態で、個の都合、個にとって何がいいか、という視点で、当然、全体の方向性とは真逆になり、大いなる普遍意識の力を遮断して、味方につけられません。

一番上は、普遍意識100%、つまり、自分=神となっているので、神の望みが自分の望みとなる意識次元です。

こうすれば、大いなる普遍意識の力が、そのまま自分の力になるのです。

本当にすべきことを神に問う

私は、人生の節目節目で、自分の方向性を省みたり、自分は本当にやるべき事をできているだろうかと迷ったりする時があります。

そんな時に、どんどん迷妄に陥りそうになって、ふと気付くのが、先述したような、主体をはき違えている自分なのです。

「ああ、自分(自我意識)主体で考えていたな…」と。

そして私は、その気づきをきっかけにフォーカスチェンジして、普遍意識に向かって問いを発します。

「神は、田久保剛を通して、何をしたいのですか?」と。

ある時、そんな問いかけをしたとほぼ同時に答えが返ってきたことがありました。

『“田久保剛”をしたい』

と。

文字面だけだと、人を食ったような返答にも受け取れますが、私はその真意を直感しました。

これは、理屈での納得も、もちろんあるのですが、「ああ、そうだよね…」という納得は、むしろ、今まで悶々としていたときの自分の波動が一瞬にして歓びの波動に変化したのです。

気分が変わるというよりも、暗闇の中で自分の居場所も行き先も見えなかった状態から、光が差し込んできて、一気に全容(真実)が見えるような、そんな爽快感です。

だから、あくまでも主観的な体験ですが、それが真実の答え、神の答えだと、自分なりにわかるのです。

そして同時に、人間の作った社会的価値、固定概念に囚われていた自分にも気付きました。

この場合の囚われとは、「〜でなければならない」といった縛りです。

CTPeak/田久保剛

往々にして迷っている時は、自分の内面ではなく、世間や常識といった、外部によって定められた外的価値に翻弄されているときです。

今、自分が置かれている状況、環境、立場…

「自分は本当にやるべき事をできているだろうかと迷ったりする」という事ですら、それが、どんな状態であろうとも、その状態だからこそできる貴重な経験として、神が味わっているものなのです。

それを放棄して、誰かの、何かの基準に近づけようとしたり、自分がどんな「神の道具」であるかも知らないで、他の道具の担当者と似たようなことをしようとするのは、

まさに、せっかく宇宙で唯一の自分という「神の道具」を創造して頂いた「本当の自分」、つまり、神へのある意味で冒涜であって、神の望み通りに生きないことの苦しみを経験するという意味以外に意味のないことなのです。

あなたの名前の存在の担当は誰だ?

神は、無数のやりたいことの中の一つに、田久保剛という存在を通してできる経験をするために、私を創造した。少なくとも、私の世界に於いて田久保剛をすることが、神の望みだ。

「神の望み」どおりの道具として「人間としての自分」を使うことを、神が歓ばないはずはありません。別の言い方をすれば、「神の望み」どおりのことに、神が力を貸さないわけがないのです。

神の力が供給されないのは、“自分”で、エゴにしがみつき、“自分で”その力を遮断するときだけです。

「俺が田久保剛をやらずして、誰がやるんだ」

そんな、当たり前のようで見失いがちな気づきに至ったのです。

具体的に何をやるとか、職業であるとか、手段というのが先に立つのではないのです。

まずは、今、自分がいる場所で、導かれた環境で、担当している職業、手段、状況など、今の現状こそが、「自分をする」ことであり、そこを一歩一歩、「神の道具」としての役割を果たす、別の言い方をすれば、課題をクリアしていけば、自ずと必要な展開やインスピレーションなどが、後になって示されてきます。

仮に今がネガティブに思える状況でもーもちろんネガティブな状況を肯定する訳ではありませんがー、それが今、起きているのだとしたら、それを通してできる経験を神は望んでいる訳で、その経験を満たす、その状況を通して何かを学ぶ、成長することで、

結果的に、ネガティブだった状況と相対的に見てポジティブな状況、つまり、クリアされて新たな展開を引き寄せる、という変化を辿っていくのです。

上記の記事の、私の名前の部分を、あなた自身の名前に置き換えた時、何か新たな、より広大な視野が開けるような、深く精妙な波動に共鳴するような、そんな感覚があったとしたならば、私の体験が、あなたの存在の意義を識る“本質的な真理の観点”を開くことにお役にたてると思います。

さて、この私の気づきはここで終わりません。

この気づきをきっかけとして、

では、自分という「神の道具」を、この人生で、日常の生活や仕事で、どう使えばいいのか。

そして、同時に私の中から湧き上がった、「神を降ろす」「神の表現」「創造活動とは」等々という様々な言葉の真意と、具体的な行動、生かし方について、次々と見えてきたことがあります。

これも、あなたがこの人生で本当にすべきことを知るヒントになるかと思いますが、これらについては、また別の機会でお伝えする予定です。

 


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【第62回】 2018年 5月13日(日) 13:30~16:00
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コメント

  1. T.K より:

    私も問いかけしてみたところ、『しっかりと陰を踏むこと(践むこと)』というインスピレーションが湧きました。突然のことで、どう理解し心に落とし込んだら良いのかよくわかりません。一度に、ワッ!となったので。

    1. 田久保剛 より:

      コメントありがとうございます。様々なケースがあると思いますので、即座に理解できないという状況も受け入れつつ、「自分にとってベストなタイミングで正確に理解させてください…」とオーダーしておかれてはいかがでしょうか^^

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