私達人間の多くは、先に人生の答えを求めたがります。
しかし、私達人間が『地球に生まれて来た理由』は何なのか、という視点で観ると、その発想が変わるかも知れません。
『地球に生まれて来た理由』は何なのか…そんな問いを田久保剛が普遍意識に放ち、気づいた事をご紹介します。
先に答えを知ることで得られないもの
「とにかく答えを知りたい」
仕事に迷いがある…だから、「本当に自分に合っている仕事は何なのか…」それを知りたい。
もしくは、「これからどうなるか…」を知りたい。
「何年何月に、アセンションとやらがやってくるのか…」を知りたい。
とにかく、私達人間は、『答えを先に知りたがる生き物』だなって…私も含めてですが、思うのです。
この宇宙には自由意志が働いているので、基本的に何をやってもいいのですが、
算数ドリルを出された小学生が、自由意志でやってくださいって言われて、「じゃあ俺、後の答え、先に見ちゃおう」って言って、「ああ、なるほど、こうか…なるほどこうか…」と答えを書いて、それは当然100点採れます。
もちろん、自分で考えて、自分で努力して、書いた小学生も、全部解ければ100点。
同じ100点でも、全然違うという事は誰でも分かります。
自分の力で解いた子は、何が得られたかというと、学力とか、自分で解く力が得られる。
答えを先に見て、100点を採った子は、確かに100点という同じ得点を得られても、学力は身に付かない。
こんなごく当たり前の事を、私達は自分の人生に当てはめると、とかく忘れがちになるのです。
「先に知りたい」
…「いや、先に知ったら、こんなつまらないことはないだろう…」ということなのです。
悟っちゃったらつまらない
私はよく、
「悟っちゃったらつまらない」
という話をします。
ただ、この場合、「悟り」の前提(定義)というのがあるのです。
悟りの前提は、人それぞれあるのですが、
「悟り」とは何か、光輝き、愛そのものの、何の問題もない、何の悩みもない、何の抵抗もない、ネガティブなものがない、困難が生じてない…
そういう状況が、おそらく「悟り」なんだろうな…というふうに、思われている方が多いと思います。
それを「悟り」の前提だとした時に、「悟りたい…」という動機はどこから多くの場合来ているかというと、
今、こんな大変な事が起きていて、今、こんな苦しい事があって、悲しいことがあって、辛いことがあるから、
どうやら「悟る」と、そこから逃れられるらしいぞ…と、いう動機から、「悟り」を得たい。
「私は悟りたいんだ…」という事の動機の多くは、困難な状態、大変な状態から逃れたい、避けたい…というところから来ている場合が多いのです。
仮に、そういう状態が「悟り」だとして…つまり、何の問題もない、どこにも不安もなければ、心配もなければ、苦しみもなければ、悲しみもなければ、一切何も無い、
あなたの意見に誰も反対しない、みんな「うんうん、あなたの言うとおりです…」という、私達の視点の表現に於いて、「調和と愛」、「みんなで仲良く楽しく、嬉しい…」ただそれだけ…
だとした時に、私は、そういう事を想像した時に、「うわ、行きたくない」って思ったのです。
どういうことかと言うと、「そこから来たぞ」って思ったのです。
総てを識っている、そして、一切の矛盾がない、どこにもぶつかりがない、いわゆる、内と外がない。
愛、以上。
神、以上。
無限…限りがない、以上。
光、以上。
まさに、愛一元、光一元、神一元…
つまり、「絶対」の世界。
そこから来たのだとしたら、擬人的に言うならば、“その自分が何を思った(望んだ)か”…ということなのです。
自分を見失う設定
全部識っている。
全部識っているから経験できないことがあるのです。
もう自分の意見に誰も反対しない。みんな自分に賛同してくれる。すべて愛しかない。すべて光しかない。どこにも影が映っていないという世界にいたら、経験できない事があるわけです。
それは何か。
まさに、あえて言葉で言うと、「自分を知らないってどういう経験なんだろう…」ということです。
「自分を知らないってどういうことなんだろう」
「自分と対極の考えってどういうことなんだろう」
「自分を経験したい」
だから、その総てを識っていて、全部がそこに在る、という状態になることが「悟り」の状態を表現しているのだとしたら…
私(全ての人間、存在)は、“そこから来た”んだよな…
ということが反応する訳です。
全部識っているところから来たのに…
算数ドリルのあの答えを全部知っている所から来たのに、なんで、そこにまた行きたいんだ…と。
そんな、答えを知らないという経験をしに来たんだろ…っていうことなのです。
答えを全部識っているから、一旦、それを忘れたい。リセットしたかった訳です。
「自分で自分を見失う」
まず、そういう設定をしたわけです。
忘れた自分だから、それを全部識っていた「自分を経験できる」という事です。
『地球に生まれてきた理由』の、その答えを先に知るのではなく、何を経験しに来たのかが分かると、この地球での経験は、本当に楽しくなると思います。
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