先日、主催する『CTPeak Light-Work Club』(CLC)の「Zoom」を利用した定期ミーティングで、「魂の目的を思い出す」というテーマで話し合いました。
このテーマのポイントは、この地上人生に起きる事を、「魂の視点」を仮定して向き合う、という事です。
この『魂の目的』について、CLCメンバーの方から頂いた体験を元に、田久保剛の解釈をお伝えします。
魂の目的を「中間生記憶」から語る
「魂の視点」を仮定するとは、生まれる前の段階の、私たち人間の意識の本質である、肉体に閉じ込められた意識よりも、より大きな意識の個的表現(魂)の段階で、
「魂の成長」を遂げるために、地上でどのような経験を積むべきかを決めてくる(高次の自己、指導霊と打合せの元)…という事です。
単に地上の物質次元の枠組みや社会的価値観(人間の視点)で人生に向き合う場合と、
魂が何かの目的を持って地上の人生を選択して人間としての表現を始めたかを仮定して向き合う(魂の視点)場合では、
特に人生に巻き起こる、「嫌な事」「逃れたいこと」「困難な出来事」への向き合い方がまったく変わってくる…という事です。
このテーマを学んで理解して日常生活に向き合う事で、人生の向き合い方に大きな変化が現れているメンバーが続出していますが、
その実践報告をするCLCサイトの投稿に非常に興味深いものがありましたので、これは是非、メンバー以外のご縁のある方々にシェアしたいと思い、ご許可を頂きましたのでそのままご紹介します。
娘(11歳)は、いわゆる「中間生記憶」を少しばかり持っています。
CLC第5回のミーティングで、今世生まれてくる前に書いてきたシナリオについての話題が出てきたので、終わった後、ちょっと娘とも話してみました。下記、簡単なやりとりです。
***
私「ここに来る前さ、自分の人生について大まかに決めるよね。でもそれ忘れてくるじゃん?どうして忘れてくるの?」
娘「それ全部覚えてたら意味がないから」
私「あっちにいた時、先生みたいな人たちがいたでしょ、その人たちとは交信してるの?」
娘「してないよ。したくてもできない」
私「なんで?」
娘「だって、何かあるたびにいちいち交信して、『今困っています、どうしたらいいですか』って聞いて答えを教えてもらってたら、ここにいる意味がないんだよ。自分で決めていくの。
それにそんなことしなくても、今、自分の周りにいる人たち、家族とか友達とか、みんながヘルパーなんだよ。」
***
ミーティング内で田久保さんもおっしゃっていた、「周囲の人たちはみな協力者」ということと同じ内容のことを言っていました。
(こういう話もしますが、娘は普段はごく普通の小学生です)と、こんなことがありましたのでひとまずシェアさせていただきました。
(Y.G.さん)
「それ全部覚えてたら意味がないから」
さすが、「中間生記憶」(ひとつの魂の無数の側面として、今生の意識から相対的に見た過去生や未来生の間の幽界生活に当たる意識の記憶)を持っている視点の発言だからなのか、妙に説得力のある波動を感じました(^_^;
くどくど説明しなくても、この短い会話に「魂の目的」、「転生の仕組み」のエッセンスが全てが含まれています。
この会話での重要なポイントは、
「それ全部覚えてたら意味がないから」
「答えを教えてもらってたら、ここにいる意味がないんだよ。自分で決めていくの」
ですね。
こうした霊的情報を「人間の視点」の発想で受け取ると、「『魂の目的』があるなら是非それを“先に”知りたい!」という気持になりがちです。
まさに、
『今困っています、どうしたらいいですか』
そんな発想で、自分以外の外側に答えを求めます。
でもその発想は、魂が何の為に地上に現象我(パーソナリティ)を表現しに来たのかという『魂の目的』の本質を正しく理解していない故に出てきます。
喩えるなら、勉強の基礎を固める時期の小学生が、大変だからと言って算数ドリルの回答集を先に見て、答えを書いてしまうようなものです。
先に答えを見たら、確かに正確な回答を書いて、満点を採れるかも知れませんが、算数ドリルの本来の目的、“学力”が身に付きません。
そして、その場を上手く切り抜けられても、中学に入ったら苦労するかもしれません。
答えを伏せて、自分で考えて回答したら、中には間違いもあるかも知れませんが、“学力”は身に付きます。
大切な事は、答えを先に知ることではなく、答えを導き出す過程で身に付く“学力”であるという、そんな当たり前のことは、学校の勉強なら誰でも分かります。
しかし、この地上人生の問題集に関しては多くの人が「答え」を先に知りたがります。
もしくは、その問題集そのものを排除しようとさえします。
その問題集こそが、地上で起きる、「嫌な事」「逃れたいこと」「困難な出来事」であり、それを演じる、どちらかと言えば苦手な人なのです。
そして、その問題集の答えを伏せて(忘れて)、自分でその問題集に向き合い、自分で答えを導き出すプロセスで身に付く『魂の成長』こそが、この地上という最高のトレーニングジムを自ら選択した、『魂の目的』なのです。
確かに問題も課題もなければ平穏な日々で人生を終えられるかもしれませんが、結果、『魂の成長』が得られず、せっかく効果的なトレーニングが出来るこの地上人生を無駄にしてしまって、次なる本来のステージ、霊界での生活や役割を果たす事が非常に困難になります。
これは、「魂の視点」を意識せず、この地上人生の物質的視点、社会的価値の範囲に囚われたまま、人生の出来事に向き合うから起きる事なのです。
その『魂の目的』を忘れたまま漫然と過ごしてしまった人生を悔いて、その未解決の課題をクリアする為に、あえてまた、それをクリアする力を身につける最高のステージ、地球の物質次元を選択して生まれて来た…それが、今回の人生なのかも知れないのです。
「魂の視点」「霊的視点」を仮定して人生に向き合う事が非常に重要なことなのです。
『魂の目的』成就を協力してくれるヘルパー
「そんなことしなくても、今、自分の周りにいる人たち、家族とか友達とか、みんながヘルパーなんだよ」
この真理の理解も非常に重要ですね。
『魂の目的』を成就するに当たって、必要な人、事、物は全て、今日の私たちの目の前の日常生活に、より高次の霊的存在の方々の采配に因って完璧に用意されています。
特にその中でも、縁あって出逢っている全ての人は、お互いにとって必要な役割を(主に無意識に)演じ合っている、つまり、自分にとっては、『魂の目的』を果たす上でのトレーナーであり、ヘルパーであり、最大の協力者なのです。
ちなみに、投稿者のY.G.さんの言葉を借りるなら、
「協力者」というのは、自分と仲が良い人や、一緒にいて楽しい人のことだけを指すのではなく、例えば、さんざん振り回してくる家族、イライラさせられてばかりの上司、嫌味を言ってくる知人、苦手なママ友…などなど、それこそ「自分の心をかき乱してくる」ような人も、実はこの「協力者」の範疇に入るのだと、私自身は思っています。
かき乱してくる人こそ、自分の物事の捉え方のフィルターに気付かせてくれて、むしろ霊性向上のチャンスをくれるキーパーソン、という時も少なからずあると思うのです。
(Y.G.さん)
とおっしゃっていますが、まさに真理ですね。
私の座右の銘の一つに、
『我以外皆我師也』
という言葉がありますが、大きく分けると、この『魂の目的』を果たす上での「協力者」は二通りあって、
優しく愛で包み込んで元気づけ、勇気づけてくれるような、人間の視点では分かりやすい表現で演じてくれるタイプと、
キツく、厳しく、自分としては最も忌み嫌うような表現で演じてくれるタイプがあります(^_^;
成長を実感出来る点では、むしろ後者を演じてくれる人の方が、強力な協力者かもしれません。
『魂の目的』を具体的にどう決めて、どんなブループリントがあるのか…
そんな詳細を先に知ろうとしたり、霊能力者に教えてもらおうとしたりする必要はありません。
(※様々な協力者に因ってヒントをもらう事が有効な場合もあります)
何を決めて来たのかは今は分からない。
でも、何か『魂の目的』があって、今、この人生の出来事や人との出逢いがあるんだ…
そう仮定して人生に起きる日常の目の前の事にきちんと向き合う。
何の為にトレーニングジムの契約をしたのかを忘れて、目の前のダンベルを重い邪魔者扱いして排除するような、本末転倒な努力にエネルギーを使うことを人生でやってしまうのはあまりにももったいない事です。
ダンベルはあえて持ち上げて、正しく使うことで結果的に筋力が身に付くように、困難な人、事、物を排除する努力をするのではなく、正しく向き合って、結果として、『魂の成長』を得て、『魂の目的』が浮き彫りになってくる。
『魂の目的』が具体的に何だったのか…仮にそれが今生を終えて肉体を去った時にわかってもいいのです。
その時に、「地球という最高のトレーニングジムを本当に効果的に活用したね!よくやった!」と、高次の自己と喜びあえたらいいとも私は思っています。
私たちの生命の表現は無限であって、この肉体人生は、幼児期の魂が表現を学ぶ一時的な世界に過ぎないのですから。
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