「本当の自分(普遍意識)」が、私達を通して自覚に至るために、それを阻害するエゴ(自我意識・分離意識)を、排除、抑圧するのではなく、なだめ、満たし、解放していく「愛しのエゴちゃん」ノウハウについて、前回の記事でお伝えしました。
今回は、そのようにエゴを解放しながら、近づいていく「悟り」とそのプロセスについて、田久保剛の解釈をお伝えします。
普遍意識とは、言葉の通り、「普遍」的な意識、「普遍」とは「遍在」、つまり、どこにでも在る、すべてに在る意識、という意味です。
そして、この「普遍意識」こそ、私達人間の本質、実在、本来の意識状態です。
そもそも、「普遍意識」という言葉は、田久保剛がその理解と表現に於いて最も信頼し、参考にしている精神世界の名著『黎明』(太陽出版・葦原瑞穂著)のオリジナルの表現です。
他にも「全体意識」「宇宙意識」「神意識」「真我」等、様々な表現があります。
私たちは通常、「私」と「あなた」というように意識が別々に分かれていると思っていますが、実は、一番深い所ではひとつの意識であって、そのひとつの意識が普遍意識です。
すべて同じ意識、全てひとつの意識。
そして、それは人間だけではなくて、あらゆる動植物も、大地も、空を見上げたときに見える星々も、見えない空気も、ありとあらゆるものが全部、ひとつの意識の、それぞれの顕れである、ということです。
『普遍意識』という一なる意識が、この現象世界に、様々な側面として顕れています。
人間として顕れた普遍意識、動物として顕れた普遍意識、虫として顕れた普遍意識、植物として顕れた普遍意識、大地として顕れた普遍意識、月として顕れた普遍意識…
様々な表現を、この現象世界でしている、そして、普遍意識自らの様々な可能性を味わい、経験しているという事です。
このカテゴリーでは、「普遍意識」の理解を深める為の記事をご紹介します。
「本当の自分(普遍意識)」が、私達を通して自覚に至るために、それを阻害するエゴ(自我意識・分離意識)を、排除、抑圧するのではなく、なだめ、満たし、解放していく「愛しのエゴちゃん」ノウハウについて、前回の記事でお伝えしました。
今回は、そのようにエゴを解放しながら、近づいていく「悟り」とそのプロセスについて、田久保剛の解釈をお伝えします。
人間の意識に棲みつく「エゴ(自我意識・分離意識)」が生み出す様々なネガティブ波動は、「本当の自分」である、「普遍意識」の調和の波動が、私達を通して現れるのを邪魔します。
どうしたら、このエゴを静めることができるでしょうか。
田久保剛が実践している「愛しのエゴちゃんノウハウ」は、誰もがすぐにできて、非常に効果的な方法です。
相手がどんなに深刻な悩みや問題を抱えていても、強烈なトラウマを抱えていようと、一切動じることなく、物怖じすることなく、迷わず、冷静に向き合って、“本質的な解決”に導くメンタルサポート、カウンセリング手法、
私、田久保剛が、常にカウンセリングやセミナー等の現場で使っているメソッド、「相手の完全性(神性)に意識の焦点を合わせる方法」は、困っている人のために己を役立てたいと思う全ての方に有効な究極のメンタルサポートの本質です。
+ーーーーーーーーーーーーーーー+
個々の魂が全体意識の成長に必要な存在ならば、殺人犯や犯罪者なども必要な存在なのかと捉えると、今の自分の価値観では混乱します。捉え方のヒントをお願いします。
+ーーーーーーーーーーーーーーー+
という問いかけに対する田久保剛の見解です。
+ーーーーーーーーーーーーーーー+
よく、「自分を責めてはいけない」と言われますが、取り返しの付かないような衝撃的な失敗をした時は、どうしても自分を責めてしまいます。どうしたらいいでしょうか?
+ーーーーーーーーーーーーーーー+
というご質問への田久保剛の回答です。
田久保剛です。
多くの人の真理を探究する動機が、「苦しい状況から抜け出したいから“悟りたい”」というものです。
しかし、真理を理解すると、その動機が逆効果に繋がる危険性もあるということも見えてきます。
そんな真理の気付きに至り、世界が一転するような経験をしたことがあります。
田久保剛です。
+ーーーーーーーーーーーーーーー+
Q.「今ここ」に意識を向けなきゃ、
と思ってもすぐに未来の心配に意識が行ってしまいます。
治す方法はありますか?
+ーーーーーーーーーーーーーーー+
私のトークイベントで頂いたという質問への回答です。
田久保剛です。
数日前に蒔いたカモミールとかすみ草の種が、ここの所の暖かい陽気にも手伝われてか、早くも芽を出しました。
じっと見ていると、芽が伸びる動きが見えるんじゃないかってくらいの生命力、そのエネルギーが満ち溢れています。
つい数日前までは、種というより粒?のような物質が、こんなにも生命力溢れる表現を見せてくれるのです。
こうした発芽の場面に立ち会うと、あらためて、その背後に在る生命の力を感じます。