私達人間の役割を、霊的真理の本質から観ると、様々な表現、行為、行動を通して、この地上に光を降ろす、『光の柱』という事が出来ます。
その『光の柱』が通路となって、普遍意識、神の光を地上に降ろすためには、私達の『行為、行動』が必須になります。
しかし、私達が、失敗を恐れて、立ち止まっていると、その本質的な役割を果たせなくなるのです。
この、霊的真理から観た失敗を恐れず行動するためのちょっとしたヒントを、田久保剛のトークイベントの講話からご紹介します。
『光の柱』としての役割を放棄しないために
私は、常に『光の柱』、「私たち人間は光の柱である」ということが、人間の在り方の、一つの基準になっています。
普遍意識、つまり私達の本源、神の光を地上に降ろす『光の柱』が本当の役割で、何の仕事をするとか、いくら稼ぐとか、どういう風な評価を得るとか、そんなの全然関係ないのです。
どんな場所で、どんな状況で、どんなものであっても、その立場で出来る、あなたがその一つの状況で降ろせる光があるのです。
でも、私たちの在り方とか、意識の置き方が、ちょっと間違ってしまうと、せっかくのその『光の柱』に自分で目詰まりを起こしてしまうこともあります。
目詰まりを起こしていると、「目詰まりが起きているよ」というシグナルもちゃんと鳴っているのですが、
それすらも気付かなかったり、もしくはそれをシグナルとして捉えないような、むしろ「うるせぇな」って言って、シグナルそのものも切ってしまうような、
遮断機が下りて来ているのに、「その遮断機うるさい」って言って壊してしまうような、そういう努力をしてしまうような場合もあるのです。
正しい霊的真理で捉えるのです。
自分の意識状態に客観的に気付く重要性
この物質的な次元のその背後に、物質的な次元を成立させている、私達の人間の機能では見えない、その広大なる霊的な世界というのがあります。
そこに対して、ある程度の正しい理解をもっていると、「どうやら今、これが起きているということは、こういうことかもしれないぞ」というふうに、より正しい識別が出来て来るようになります。
そして、今の自分の在り方は、正に「光の柱」としての在り方に目詰まりを起こしてしまうぞ、ということにも気付けるようになります。
自分の心の在り方、意識状態に、客観的に気付けたらもうしめたものです。
私達が問題を悪化させてしまうのは、気付かないからだけなのです。気付けばいいのです。
悪い自分がいてもいいのです。要は、大事なのは「気付く」ということです。
「今、自分はこういう状態なんだな」と。
今まで学んで来たことが全部ぶっ飛んでしまっているような自分なんだなと。
それで良いんです。気付けば財産になります。
平坦で平和で何も起きない状態っていうのは、平和の半分、学びも無いのです。
だから、そういう意味では、自分が次の段階にステップを踏むために、ある意味では自分でズレて、自分でそのズレに気付いて、そのズレをステップとして次の段階に行く…そういう仕組みなのす、私達の地上は。
神の視点に失敗は存在しない
上(普遍意識)は、私達が何をやらかしてしまっても、それを、全体を良くするための素材に使ってくれるのいです。
「ああ、私、こんな失敗してしまった」って言っても、普遍意識は、 ー「普遍意識」って言うと、私達と違う存在のようにどうしても感じちゃうかもしれませんけどー 私達の一番賢い本源の意識は、私達が何をやらかしても、
「ああ、これをやらかしてしまったんだ… じゃあ、このやらかしたものを上手く利用して皆んなの教訓にしよう」
とか、
「こういうことを利用して、むしろ、あれがあって良かったっていうような方向に、上手く利用させてもらおう、彼のその失敗を…」
というように。
つまり、『失敗』というのは、上(普遍意識)から見ると存在しないのです。
すべて、その行為を、我々が調和に向き合うために必要なこととして利用してくれる。
だからと言って意図的に失敗する必要はないですけど、
我々が、失敗を恐れて行動しないのは、一番、普遍意識が困ってしまうのです。
だから、ある意味では、「ここまで学んだことを総動員したらこういうことだな」「こういうことをやれば良いんだな」「こういう判断すれば良いんだな」「このように識別していけばいいな」
「でも、間違っていたらどうしよう」「でも…でも…」
じゃなくて、「こうしよう」と思ったら、「よし、それをまずやってみる!」ってことです。
そうすると、神様側から見ると「ありがとう、やってくれて」。
そして、そのやってくれたことに対して、また色んな全体のためになるようにしてくれる。
上(普遍意識)は、部分のことなんて全然関心ないんのです。
誰が、どこでいくら稼ぐなんて全く関心ないんのです。
「ああそう」「うん、いいんじゃない」みたいな感じでしょうか。
稼ごうが、貧乏だろうが、世間的な評価を受けようが、「いいんじゃない…」と。
上は関心ないんのです、あまりそういう個人的なことは。
そうではなくて、神は、全体が良くなることしか関心がないのです。
全てが調和していく。あらゆることが、その「個を通してやったことが全体のために役に立つ」ということに繋がることしか興味がないのです。
だから、上(普遍意識)から見れば、私達が何をやっても「ああそう」って…敢えて言うなら、そんな感じです。
その代わり、「ありがとう」って、「ちゃんと動いてくれたからあなたのお陰でこれが出来るよ」って、その行為、行動を利用して全体のためになるように、ちゃんと采配してくれるのです。
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