普遍意識チャネリングセッションのコンセプトで開催した、トークイベントで、
Q.「本来の自分を思い出すための瞑想では、ワンネスを感じるような体験をしていくことも大事でしょうか?」
という問いに対して、田久保剛の、ワンネス体験、真理の一瞥体験、普遍意識、宇宙意識の覚醒体験といった、特別な体験の盲点、注意点、見解をお伝えしました。
目次
ワンネスを感じる体験は大事なのか
このトークイベントのテーマは、「普遍意識のチャネリング」です。
普遍意識とは何かというと、「普遍」つまり、「全体」、総てがそこに在るという、私たちの本源のことです。
こういうコメントを頂いた方がいて、
「本来の自分を思い出すための瞑想では、ワンネスを感じるような体験をしていくことも大事でしょうか?」
という、非常に大事なお話で、これは瞑想に必ずしも限ることではないのですが、いわゆる、普遍意識を体感するとか、味わうとか、繋がるとか、自覚するとか、「本当の自分」を体感する、「本当の自分」、「ワンネス」というものを感じる体験、経験って…どうしても、そこに興味がいきます。
私もすごく、そういうことに興味がありました。
いわゆる、非日常的な体験、通常でない、神なる、無限なる、光り輝く素晴らしい「本当の自分」を味わいたい、体験したい、体感したい、「どうやったら出会えるんですか?!」みたいなことです。
私は、「本当の自分」が神であり、完全であり、宇宙意識そのものであり、それが本当の自分の本源である…とい情報を本などで読んだとき…
「もしそれが本当だったら、それを味わわないで死ねるか!」
「絶対にその体験をしてやる!」
今から二十数年前ですけど、そう思い、ではそのために、いろんな情報を探求していくと「瞑想」という方法がどうやら有効らしいぞ…と分かったら、じゃあ、もうとにかく「瞑想」だ…と。
「瞑想」と一言で言っても、いろいろあるらしいぞ…と。
当時まだインターネットが、今のように発達してない時代だったので、本屋さんに行って瞑想に関するいろんな本を読み漁って、学びに行く…という時代もありました。
とにかく、悩みだらけの自分を救いたい…
でも、本当の自分は神であり、宇宙意識であり、全体意識であり、普遍意識だとしたら、そこには悩みなんて入り込む余地がない。
だったらそこにいきたいよ。それを味わいたいよ…そういう動機です。
自分が好きになれない。悩みだらけ。いろんな心配や不安を抱えてる自分を何とか克服したい。
そのためには「本当の自分」に出会おう…ていう、そんな感じだった訳です。
確かに、瞑想をして、いわゆる一瞥体験、非日常体験、広大なる自分を俯瞰で見るような視点を体験する人もいたり、
理屈では説明のできないような感覚を味わったり、もしくは、そういうイメージ、象徴を観る…といったことを体感する方もいらっしゃいます。
私は、どちらかというと、例えば瞑想教室とかで、皆で一緒に瞑想をした後、「皆さんどうでした?瞑想、やってみてどうでしたか?」って聞かれる場面で…
「いや、なんか光り輝く世界が展開しました」
「仏様の声が聞こえました」
「神様に出会いました」
そんな体験を周りの人達が発表している…そういう現場にいたことがあるんです。
私は正直、真っ暗。何も見えない。何も感じない。
この場で何も感じないって言うのも格好悪いな…と思いつつ、「あの…何も見えません」って言ったこともあります(^_^;
でも、そういった特別な神秘体験がどういうことなのかも、だんだんわかってきたのです。
前に歩こうとしたカニは挫折する
最初は、私もその一瞥体験、超越体験、いわゆる特別な体験をしたい!って思いました。
今、私はどういうところに行き着いてるかというと、非日常的な、一瞥体験は、必要な人に必要なタイミングで必要な形式で来る場合がある…と言うだけであり、つまり、人の数だけの色んなプロセスの一側面に過ぎない、ということです。
どうしても、周囲のそういう体験談を聞くと、昔の私がそうであったように、「ああ、俺も仏様の声聞きたい」とか、そういう一つの何か特別な状態に対して固執してしまうのです。
「あの人みたいに、何か光り輝く世界に行って恍惚を状態味わいたい…」って、そういう特別な状態を味わう、そういうプロセス、道筋を通って頂上目指す役割じゃない人が、それと同じようなルートを辿ることを望んでしまうと、そこから苦しみが始まるのです。
「前に歩こうとしたカニは挫折する」って言葉があります。
カニは横に歩くようにできてるのに、カニが、カニ以外の姿を見て、みんな前に歩いているから、俺も前に歩かなきゃ…って思った瞬間、カニは挫折する…っていう話です。
他の人にとって必要なプロセスで、その人の、そのタイミングで必要な感覚に対して、自分も同じようなものを味わおうとしても、
「いや、あなたの役割は、そうじゃないよ」と。
どちらかというと、その「特別といわれる状態」を味わわない、このルートで何かを学ぶ必要があったり、もしくは、その体験が、今はタイミングじゃなかったりとか、
本来の自分自身が辿るべきルートがあったのに、他の人のプロセスを望んでいる内に、自分のルートを放棄してしまうような、そういう可能性もあるんだ…そういう事に気づきました。
つまり私が、「特別な体験」に対して、どういう捉え方に至っているかって言うと、『特別な体験に固執しない』ということです。
先程のコメントに戻ると、「本来の自分を思い出すための瞑想」があったとして、(それもいろんなパターンがあると思いますが)、
ワンネスを感じるような体験は、その瞑想をやった結果として、それが味わえれば、それはOKだけども、
では、それが味わえたから、今度、その同じ瞑想やるときも、「昨日のあのワンネス体験を今日も体験しよう」と思う必要は一切ない…ということなのです。
もしくは周りの人がそういう体験したことを表現しても、そもそも、その人の表現したものと、その人が体験したものが同一かどうかも分からない中で、「あの人みたいな体験してみたい…」と思う必要は一切ないのです。
「正しい理解」と「正しいやり方」が重要
大事なのは…私も瞑想セミナーを主催したり、瞑想の教材もご紹介していますが、それを一言で言うなら、
「正しい理解」と「正しいやり方」以上。
なのです。
私の瞑想は、「普遍意識瞑想」「普遍意識瞑想セミナー」などと言ってますが、一言の表現に「普遍意識」という言葉は入らないのです。
「正しい理解」と「正しいやり方」以上。
それを、あとはやるだけです。
それを、「正しい理解」に基づいて「正しいやり方」をしたら正解であって、どういう体験をしなきゃいけない、どういう気づきを味わわなきゃいけない…
結果として、日常生活がどうならなきゃいけないか…というものはなく、その結果は全部、それぞれの、いろんな変化のプロセスに過ぎないのです。
どんな結果も、体験も、必要なプロセスに過ぎないのです。
だから「正しい理解」に基づいて「正しいやり方」をやった結果、何も起きないように見える状態が示されるかもしれません。
しかし、何も起きないように見える状態によって、「あれ、私、正しく理解できてたかな?」「あ、もしかしたらこうかもしれない」などと、色んな気づき等に戻ってくる。
そして、その結果「正しい理解」と自分が捉えたものを、実践したら、また必要なことが起きてくる。その必要なことを「正しい理解」にフィードバックするという、このサイクルなのです。
「理解」⇒「やる」⇒「起きる(現象)」そして、それをまた「理解」に戻す。
もうこれだけなのです。
そうすると、結果として必要なときに必要なタイミングで、「これをワンネス体験って言うんだろうな…」っていう体験であるとか、「ああ、これがまさに宇宙意識と繋がるという体験なのかもしれないな…」ということが、必要な方に起きてくる…ということなのです。
だから「体験をしていくことも大事でしょうか?」っていうことであれば、確かに大事です。
大事なんだけど、固執しなくていい。
特別体験を追い求める落とし穴
それから、私も何度かありますが、「ああ、これだ!普遍意識を体感するって、こういうことだな!」っていう体験があったとします。
でもそれは、その時、その場で、自分に必要なものとして示されたことであって、1ヶ月後は違うかもしれないのです。1年後は違うかもしれないのです。
でも私たちはとかく、「あの時のあれだ」ということを追い求めちゃうんですね。
もう、それはいいから…っていうのが真理なのです。
ある意味では一度体験したことは、こういう体験をしたっていう大事な記憶とともに、脇に置いといた方がいいのです。
新たなことに向き合う時は。「また、あの体験を」「また、あの声が聞きたい」「またあの景色がしりたい」もしくは、「あの人みたいに…」ってなっちゃうとズレる可能性はあります。
だから人と比較する必要もないけど、過去の自分の体験と比較する必要すらもなかったりします。
その時のコンディションによっても体験の仕方は違います。
自分自身のそのサイクルをぐるぐる広げる中で、どんどん私たちは、横から見たらスパイラル状に上に上がっているわけです。
だから、ある時の意識状態で体験したことと、今、体験したことは、その時々の意識状態で必要なこと、体験というのは全然違ったりするのです。
この「ワンネス体験」「特別な体験」というものは、あらゆる側面があるということです。
「固定されていない」…ということです。
スピリチュアルな学びの世界では、どうしても成果を固定化しがちです。
こうなったら成果。こうなったら悟った。こうなったら正解なんだっていうことに固執してしまう。
その固執とか、固定化というのは、よくよく冷静に考えると、お分かりだと思いますが、無限と逆なのです。
無限とは、全てが正解なのです。
でも、「こうなったら正解」ってのは、まさにカチッとそこに固定化してしまい、その瞬間、何が起きるかというと、そうでないものを否定する…というエネルギーがそこで生じてしまいます。
これが正解で、それ以外は正解じゃないって言う、分離のエネルギーであり、否定のエネルギーであり、排他的なエネルギーは全部、無限なる普遍意識に無い波動です。
つまり、固定した正解を求めれば求めるほど、普遍意識と逆方向に行ってしまいます。どんどん自我意識を強化してしまう。
なれの果ては何かというと、「こういう体験をしてる私たちは正しくて、それ以外の人達はだめだわ…」っていう強烈な分離意識の塊になってしまって、大きな霊的カルマを積んでしまうということです。
これは悪い、という意味ではなく、「自分で積んだカルマを自分で刈り取る」という法則が働いているということです。
でも、それを刈り取るのに、今生だけで刈り取れない場合もあるのです。
だから、何転生にも渡って刈り取らなきゃいけないくらい強烈な霊的なカルマを作ってしまわないためにも、正しい霊的理解というものがすごく必要なのです。
ワンネス体験は自分のルートを辿ったご褒美
「ワンネス体験」は、とても貴重だし、私は、それを否定するのではありません。
山を登ってる時も、ある所まで登っていって、「うわ、大変だなぁ」って思ったけど、ある曲がり道を曲がった瞬間に、向こう側の景色が見えて「うわ、すごい綺麗!」って…
今までの、ここまで登ってきた苦労も忘れるぐらい素晴らしい体験が出来る時もあります。
でも、まだ上は遠いぞ…っていって登っていくと、また全然違う、林の中に入っちゃったりする場合もあったり、崖道とか大変な所に行ったりする場合もあります。
でも、そういう一里塚のような体験が、ご褒美のように与えられる場合もあるので、そういう体験したら…私はどういうふうに捉えているかって言うと、「ああ、ありがとうございます」って、まず感謝でそういう体験を受け止めます。
「わあ、素晴らしい体験をしたな」と。
「いいもの見せてもらってありがとう」…これは、ここまで努力してきた自分に対する上からのご褒美として与えられたんだな…ありがとうございます…と、まず感謝で受け止めて、
でも次の瞬間、次からの瞑想、次からの霊的な実践の時には、それはもう、その体験は脇に置いておきます。
但し、ああいう景色を見れた…という事実は、記憶として持っていていいのです。記憶は波動として残りますから。
必要な、日々のやるべき事やってれば、必ず、またあのような、一つのご褒美を示してくれるだろう…っていう、そのぐらいの軽い希望は持ってもいいと思います。
必ず示してくれる…そう信頼する。
ただ、どういう形でご褒美が来るかは、私たちの想像を超えてるので、そういう意味では、常にご褒美が与えられているんだけど、私の知ってる形でご褒美が来るとは限らない…ということも覚えておくといいです。
そして、注意深く日常の中に向き合っていくのです。
そうすると実は、さりげなく言ったパートナーの言葉が、もの凄い神様のプレゼントだったりする…なんてこともあったりします。
なんとなく衝動的につけたテレビから出てきたメッセージ。
そこに飛び込んできたニュース。
何となく衝動的に昔買った積読しといた本をパッと開いたら、「ああ、ここにあった」とか。
そういう、いろんなところに神様、つまり「本当の自分」「普遍意識」は、メッセージを、プレゼントを残してくれていたりもしますので、そういう知識も心の片隅に置いておいて頂くといいかなと思います。
『サ道』に学ぶ特別体験の真理
『サ道』っていうドラマがあります。なんとなく衝動的に見たら、これがすごい面白かったのです。
そこに、ここまで話したことを象徴するようなことがあったのです。
ドラマは、主人公が、とにかくただサウナに行って、汗かいて水風呂入って休憩して…それを何度か繰り返すと、トランス状態に入る。
サウナトランスと言って、これを、サウナの世界で、「ととのう」って言います。
サウナに入って、水風呂入って、休憩を3回ぐらい繰り返すと…まさにトランス状態ですね。
さっきの「ワンネス体験」じゃないけど、ちょっと、非日常的な意識状態になるのです。
サウナに通ってはまってる人は、みんなこの「ととのい」を求めてる人が圧倒的に多いらしいです。
私も「ととのった〜」という体験しました。
「あ〜、これか〜ととのうってこれか〜」これは気持ちいいな…と。
このドラマは、ある意味で何の生産性もない話をサウナ仲間がべらべら喋りながら、今回このサウナに行ってきた…って紹介していくってドラマなのですが、
この、サウナトランス、「ととのった」っていうものは、つまり、スピリチュアルで言うと「普遍意識を体感した」というあの瞬間に相当するな…って、私、思ったのです。
同じ感覚…って意味ではなく、いわゆる「特殊体験」として…です。
その「特殊体験」をサウナ好きの人は求めている。
ドラマで、主人公が「ととのい」を一番最初に味わった体験があります。
あるおじさんが、ととのうためのサウナの入り方をしてるところ見た主人公が、それを真似したらトランスに入って「ああ、これは面白い」ってなり、それから毎回、サウナに行く目的は、ととのいたくてずーっと行くのです。
周りのサウナ仲間も「今日はととのった?」とか、そんな感じで話が展開するのです。
スピリチュアルの世界で言うと「今日、ワンネス体験した?」とか、そんな感じです(^_^;
みんな、その特殊体験に価値をもって、みんなそこにはまっていくわけです。
特別な状態に囚われない
そのドラマの一番最後の方で…ちょっとネタバレしちゃうようですけど、ネタバレしちゃっても面白いから、興味があったら観ていただいても全然大丈夫です…っていう言い訳しながら言っちゃいますけど、
最後の方に、その主人公が、ととのわなくなっちゃって、悩んじゃうのです。
実は、ドラマの中で、先の一番最初に影響を与えたそのサウナマスターが、こういう事を言う場面があります。
「サウナを信じるな」って言うんです。
「サウナを信じるな」とは、どういう意味だろう?
そう言いながら話が展開するのですが、この意味が最終回で、そのサウナマスターのセリフにあるのです。
「若者よサウナを信じるな。
「ととのう」とは何か?ただの言葉だ。特別な状態を追い求めてはいけない。
なぜなら、そんな状態はこの世に存在しないからだ。幸せを信じ求めることが、幸せでない苦しみを見出すのだ。
サウナとは体を温め、水風呂に入り、体を休める。ただそれだけのことだ。
そこにあるのは安らぎと喜びだけ。
それ以上求めてはいけない。あるがままに、その安らぎと喜びを感じていればいいのだ。
サウナを信じるな」(蒸しZの言葉)
(2019年放送テレビ東京ドラマ『サ道』より)
こういう言葉が聞こえて、エンディングに向かうのです。
一度「ととのわなくなっちゃった…」って悩んでいた主人公が、このマスターの言葉を言葉を聞いて、悟ったような顔してこう言います。
「私は今までと同じようにサウナに通っています。でも一つだけ変わったことがある。それは前より“ととのう”ことに固執しなくなったことだ…」
そう言ってそのドラマの最終回が終わるのです。
私、なんじゃこのドラマは…って思ったのです(笑)
そこが反応してる人は少ないかもしれませんが、私は、そこがめちゃくちゃ反応しちゃって、「これってスピリチュアル探求と同じじゃんか…」って思ったのです。
サウナのゴッドファーザーっていう人が、そのドラマの中でこういうこと言うのです。
主人公がの友達もととのわなくなっちゃって、「私の友達でととのわなくなっちゃった人がいるんですよ、どうしたらいいですかね…ゴッドファーザー?」ってたずねます。すると…
「サウナは人生だよ。ととのう時もあれば、イマイチな時もある。ととのわないのは、ととのうための準備です」
って言うんですね。。。
私の個人的な嗜好を話しちゃってるようで申し訳ないですけど、でもこの根本には、すごく霊的な探求に近いメッセージがあったな…と思うのです。
つまりこれは、ここまでの話から通じているのですが、いわゆる「ワンネス体験」とか、特別な体験とか、特に、スピリチュアル世界で表現される非日常的な体験。
「もう、この日常、嫌だ!」
「もうこんな…もう、あのクソ上司と…今日も会わなきゃいけないのか…」
「私にプレッシャー与えているから…ノルマとか」
もしくは家庭で、
「夫が…」「妻が…」「子どもが…」「親が…」とか、
いろんなことで不満タラタラの、この日常生活を、ある意味では淡々と向き合っていく…というところに真理があるのですが、でも、どうしても、そういうところから抜け出したい…非日常を味わいたい…と私たちは思います。
OKなのです。全然OKなのです。
むしろ、非日常の体験があるからこそ、また日常に戻って来やすいのですが、どうしても非日常に行くと、今度その非日常に固執してしまう。
「あの体験をしたい」
と。そうではなくて、その非日常に囚われるのではなくて、それはまさに日常に向き合った結果としてのご褒美であって、まさに、
「ととのう時もあれば、ととのわない時もある」んだと。
イマイチな時もあるんだと。
でも「そこに囚われるな!」
「サウナを信じるな!」っていう、ドラマの中の言葉は、まさにそれを言いたかったんだな…
すごく霊的な学びに関係があるな…って思ったので、参考にして頂けましたら幸いです^^
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