先日、マラソン大会に参加しました。
参加した大会は、今年で4度目を迎える、今では東京でも屈指の大人気マラソン大会、「練馬こぶしハーフマラソン 2018」です。
私は、昨年に続いて2度目のマラソンチャレンジだったのですが、前回以上に得るものがありました。
エントリーから、大会のゴールを切るまでのプロセスに秘められた、新たな発見と気づき、マラソンメソッドと霊的真理との融合から見出した真理、田久保剛流のマラソン大会チャレンジレポートをお伝えします。
目次
意欲の低下とエントリーの真意
私の地元、東京都練馬区で開催される、『練馬こぶしハーフマラソン』大会は、年々人気が上がっていて、2017年大会の前回は、インターネットのエントリー受付開始直後、5分でSOLD-OUTという盛況ぶり。私は運良く潜り込めての出場でした。
そして、今大会のエントリーは、昨年の11月だったのですが、今回から抽選になった区民先行1000人は落選でした。後で聞くと、倍率は3倍以上あったそうです。
そして後日、敗者復活となる一般先着3000人は、万全の準備でパソコンの前で待機して、何度かアクセス困難になりましたが、何度もトライしてなんとかエントリー完了。
25分程で受付終了となってまう程の競争でした(^_^;
そんな情熱でエントリーしたにも関わらず、仕事の状況などを言い訳に、思うようにトレーニングもできず、その意欲はエントリー時をピークに、日に日に下がって行き、今年の1月は練習も億劫になってきて、大雪の日を境に走るのさえ止めてしまいました。
そんな状態が一ヶ月近く続き、マラソンどころか、そもそもの運動不足を感じて体が鈍っていくの感じる日々でした。
数多くの倍率を潜り抜けてのエントリーにも関わらず、出たくても出られない方々には大変申し訳ないのですが、もうその頃は、エントリー料が無駄になってもいいので、本気で、「今回は棄権しよう…なんでエントリーなんかしちゃったんだろう…」という気持になるまで熱意が低下していました。
これは、今になって思うのですが、このエントリーも、その背後には、私の霊的成長に大きな影響をもたらす真意があったようなのですが…この時は、そんな視点で観ることができないぐらい、狭い視野に閉じ込められていました。
情熱を再燃させたメッセージ
丁度この頃、思うところがあって、私の今生での本質的な役割などを省みて、自分自身の内面に改めて向き合うことを毎日意図的に行っていたのですが、
その過程で、幾つかのインスピレーションと気づき、メッセージがあって、これについての気づきは追々、ブログ等でお伝えして行く予定なのですが、
その中に、この地上次元に生を受けた人間としての役割を果たす上で、普遍意識の媒介となって創造活動するためのいくつかの要素の一つとして、「健康」は欠かせない、というものがありました。(もちろん他の側面もいろいろあるのですが、それについては別に機会に…)
言わば、この地上で、「神の道具」として、神の仕事を全うするためには、この授かった肉体を最高の状態にする責任があると、改めて強く再認識したのです。
本質との共鳴を妨げる要因を、解っていて放置してはいけないと自覚したのです。
もちろん、40代最後の年を迎え、肉体的健康も気になる年齢になったという事もあったと思いますが、この肉体は自分のものであって、自分のものではない、不摂生とまでは行かねども、やはり授かった道具はきちんと大切に磨かないと、創造主に失礼だな…という気持になりました。
この自覚は、自分でもビックリするぐらい心に、いや、魂に火がついて、健康促進のため…とか、ダイエットのため…とか、家族の為…とか、ましてやマラソン大会で良い成績を出すため…などと言った類のものではなく、
「神の道具」として、神の仕事を全うする、つまり「神を降ろす」という役割のため、という、自分としては先にあげたものとは桁外れに強烈な動機を感じて再燃したものでした。
私が最も価値を置いているものが何なのかを再認識した気持です。
なので、その使命のためにも肉体的にも健康であらねば…と思うと、そのことに俄然、意欲が湧いてきて、ーこの段階でもマラソン大会への意欲はそんなに回復した訳では無かったのですがー
だとしたら、その為にまずは運動をしようという発想から、せっかく2年近く続けてきたジョギングを再開しようと思い、一ヶ月半ぶりぐらいに走り始めました。
この時、マラソン大会まで残り約1ヶ月です。
「正しいフォーム」で「一歩一歩」に見た真理
さて、ここからの快進撃は、我ながら良くやったと思います。
実際、マラソン大会前日までの間、雨の日だった5日間は室内のエアロバイクに代替しましたが、その日が、どんなスケジュールであろうと、毎朝欠かさず約10kmのトレーニングを続けました。
そんな日々を続けていく内に、変化が出てきました。
まず、その変化は、少しでもペースを上げて、楽に長距離を走りたいという気持から、以前、ランニングコーチとして著名な金哲彦さんが提唱する「ランニングメソッド」という著書で学んだ、丹田、肩甲骨、骨盤という3点を意識する走りを思い出し、実践していきました。
この体幹の感覚は、私にはしっくりきて、初めの数分はこの3点を意識して調子よく走れるのですが、すぐに、「あと何㎞かな〜」「今日は、あの仕事があるな〜」「ちょっとキツくなってきたなぁ…」等々、いわゆる雑念に襲われて、3点の意識を忘れてしまう事に気付いたのです。
さて、この3点を常に忘れずに意識し続けて、一歩一歩、正確なフォームで走り続けるために、私なりにやりやすい何か工夫はないかと考えた結果、私が行き着いたのが、“マントラ”でした。
走りながら心の中でマントラを唱える試みは以前も行ったことがあったのですが、これも気が付いたらやっていなかったのです。ここで、改めて、明確にしたことは、
「丹田、肩甲骨、骨盤」という3点を意識する事に加え、最後に「笑顔」という4つのチェックポイントを、数年前、アンマ(マーター・アムリターナンダマイー大師)から授かって、それ以来、毎朝、約束通りの回数を唱え続けているパーソナルマントラが、丁度4拍子だったので、この4拍子のマントラを唱えることと重ねて走る、という方法です。
ちなみに、この「笑顔」は、長く走ると当然、苦しくなって苦悶の表情になってくるので、それを意図的に形から笑顔を作って、「走る=楽しい」という一種の暗示効果を狙ったものです。
これが想像以上に効果があることは体感していたのですが、先のフォームのチェックポイント同様、気付くと忘れちゃうので、4つめのチェックポイントに入れたという訳です。
さて、この“「正しいフォーム」で「一歩一歩」をマントラを唱え、チェックしながらひたすら踏み出し続ける”、という、マラソンの専門家の方々から学んだ情報を自分なりにアレンジした方法が、非常に面白い現象を生み出したのです。
もちろん、自己流ですし、一度も本格的な直接指導を受けたことがないので、マラソン選手やトップランナーの方には笑われてしまうかもしれませんし、専門的な間違いなどはご容赦願いたいのですが、私の実体験として本当に大きな成果がありました。
まず、これで、走ることが俄然、楽しくなると同時に、体もキツくなく、タイムも伸びてきて、それ以上に大きかったのが、その意識で走っていることが、霊的真理を日常で実践するポイント、そして「カルマ・ヨガ」の本質、真理を、別角度で再認識する大きなきっかけとなったのです。
まあ、この視点が、田久保剛流の真骨頂なのですがw
マントラ走法で神に出逢う
「正しいフォーム」で「一歩一歩」の事だけを意識し、それを神の名を唱えるマントラのリズムでただひたすら踏み出し続ける。ちなみに、10km走った時間から計算すると、ワンフレーズ8歩程度、1200回ぐらいマントラを唱え、普遍意識に意識を合わせて走っていることになります。
「俺の走った道の後に、少しでも善い波動の影響を残すんだ…」
そんな事を妄想するのも、私なりにはモチベーションになります(^_^;
そして、そんな『マントラ走法』を続けて行ったある時、大げさに聞こえるかもしれませんが、私なりに、「神に出逢う」という感覚まで体感させてくれたのです。
ここで言う「神」の意味は、人間的なネガティブ想念の波動が存在しない、『今、ここ』に意識が在り続ける、愛一元の平安の世界といった感覚です。
この“「正しいフォーム」で「一歩一歩」をマントラを唱え、チェックしながらひたすら踏み出し続ける”というのは、言うが易しという言葉がピッタリ当てはまるほど、意識しては忘れ、また戻し、意識しては忘れ、また戻しの繰り返しで、身につくまでは結構な苦労と時間がかかりましたが、
それを続けて行くと、ある瞬間、あえて言葉で表現すれば、
「ああ、まさに、神は今、この瞬間にだけ在って、それが真実で、その瞬間瞬間を、正しい姿勢(在り方)で神に共鳴し続ければ、常に神と共に在り続けられる…」
ああ、日常生活も同じだな… 目の前のことに、正しい在り方(心を込めて、愛を以て丁寧に)で、一つ一つ行動していく。ただ、その繰り返しにこそ真理が見える。
先の事をあれこれ心配したり、過去の事を悔いたりと、未来とか過去という幻想に意識を向けるのではなく、唯一創造可能な今に意識を向けて動き続ける…
今にだけ、神と出逢う事が出来る。
そんな、一種のゾーンとも言えるような感覚になったのです。
唯、今、その“一歩”の事だけを、正しい姿勢を意識して踏み出す、それだけに集中していればよく、その瞬間は、絶対平安なのです。
何も起きていないのです。
あとは、その連続なので、それが上手く続くと、丁度、平安のエネルギーボールに包まれているような、そんな感覚になります。
でも、その焦点がズレると、「あと何㎞だな…」「今日は寒いな…」「ちょっと体がキツいな…」「この後、あの仕事やんないとな…」そんな妄想や、ネガティブ想念に意識が合ってしまいます。
同時に、どんどん体が重く感じ、呼吸もキツくなり、トレーニングそのものがしんどくなってきます。そして、それが苦悶の表情に現れる…といった悪循環に入ります。
ポイントは、その妄想、ネガティブ想念へ意識が合ってしまっている事にいち早く気づき、再び、『マントラ走法』にチェンジします。
とてもシンプルですが、地道な努力と、根気強く、繰り返すことが必要です。
しかし、一度、「神に焦点が合う」状態になると、そこに意識を向けている瞬間瞬間は、苦しくもなく、心配も不安も焦りも、様々なネガティブ感情が存在せず、その一歩一歩を味わって“唯在る”状態なのです。
これは、ある一定距離を走ると、このままずっと走り続けられそう…というランナーズハイという状態も私なりに体験していますが、それとは、私的にはちょっと違う感覚でした。
もちろん、次の瞬間、また元の浅い意識に引き戻されてしまうの連続ですが、でも毎日続けている内に徐々に、そこに在り続ける時間、その感覚が増えていきました。
さて、この感覚が身につきだした頃は、ジョギングよりもペースを上げたランニングに自然となってきて、どちらかと言えば、毎朝起きてから、走り出すまでは強い意志の力が必要だったものが、比較的努力を要せず、自然に走り出している…そんな感じになっていました。
そして、同時に、この調子なら、今度のマラソン大会は棄権しなくてもいいかもしれない…と気持が変化し、大会当日をターゲットにする気持に切り替わっていった、そんなプロセスがあったのです。
マントラ走法の真価を発揮
こんな体験を書くと、とんでもないマラソンランナーの境地に達したことを想像してしまうかもしれませんが、実情は、そんなに甘いものじゃありません(^_^;
一瞬垣間見た感覚を、本番の環境でどれだけ維持できるかもまだまだ未知数でしたし、マラソンそのもののスキルはド素人レベルです。
しかし、今回のマラソン大会出場に際し、2つの目標を定めました。
ひとつは当然のことながら、「完走」。
そして、もうひとつは、昨年の「自己ベスト記録を更新する」というW目標でした。
これは、40代最後のマラソン大会挑戦(マラソンは本業じゃないので、大会参加自体は、この地元、『練馬こぶしハーフマラソン』だけと決めています…今のところ)という事もあって、その40代最後のチャレンジに自分で悔いを残さない、納得のできる姿勢で挑みたい…という気持もあっての目標です。
昨年よりも5分縮めた総合タイムで、5km毎の通過ペースを書いた紙をポケットに入れ、とにかく、そのペースと、“「正しいフォーム」で「一歩一歩」をマントラを唱え、チェックしながらひたすら踏み出し続ける”という自称『マントラ走法』だけを意識して走ろうと決意していました。
さて、マラソンランナーとしては超初心者の私は、申告したタイムもあってか、今回、約5400人の参加者の中で、最終ブロック。
練馬区長によるスタートの号砲が鳴ってから、実際のスタートラインを通過するまで、なんと、7分近くかかるぐらい後方からのスタートでした。
そして、この待ち時間が、悲劇を生みます。
この日は、昨年の極寒雨空の悪天候とは打って変わって、最高の晴天に恵まれたのですが、そうは言っても朝8時前。その冷え込みで、済ませたはずのトイレに、スタートラインを超えた辺りで再び行きたくなってしまいました(汗)
スタート地点の光が丘公園を出る寸前、列を離れる数名のランナーの先にトイレがあることが判り、この後、数㎞先のトイレまで我慢して走るより、今だ!と一瞬の迷いを断ち切って、トイレに入ったのですが、トイレから出ると、なんとコースには誰もいません(^◇^;)
スタートした時は、最終ブロックの中程の位置だったのですが…そして、遙か前方に、最終ブロックの集団が見えます。文字通り、どん尻のスタートとなりました。
早速、最初の試練がやってきて、焦りましたが、その焦っている自分にいち早く気づき、私には神から授かった『マントラ走法』がある!ということを思い出し、早速、意識的に実践です。
さて、連日の練習で体で掴んだペースを守って、前方の集団も、周囲も気にせず、というよりも、ひたすら『マントラ走法』を意識して走り出した結果、あれよあれよの内に、最終ブロックの集団に追いつき、
その後は、まだスタート直後の団子状態で、逆にペースが押さえられましたが、焦らず『マントラ走法』を意識して走り続けて、周囲のランナーの間をすり抜けて、ゴボウ抜き状態になってきました。
それも、決して無理している訳ではありません。
ただ、その一歩一歩のことだけに集中して行った結果です。
目標達成と共同創造への感謝
この『練馬こぶしハーフマラソン』に再び出場したい!と思わせてくれた、大きな要因は、この大会に流れる暖かいエネルギーにもう一度包まれたい…というものでした。
私は、他の大会に出たことがないので比較はできませんが、幾多の大会に出場しているベテランランナーの方々の感想によると、「練馬こぶしハーフマラソン」の沿道の応援は尽きる事なく暖かく熱心で、ボランティアの方々の在り方、運営姿勢も本当に素晴らしい大会との事です。
もちろん、私は昨年の大会の記事にも書きましたが、その暖かい熱意、情熱に溢れたエネルギーは実感していて、今年も、沿道からの応援やボランティアの方々の想いを、その一歩一歩感じながら、自分の地元でもあり、『I ♥ 練馬』の私の波動に共鳴して、エネルギー変換するように吸収して走り続けていました。
更には、いつもは車でお世話になっている、新目白通りや環八通り、川越街道の車道を堂々と走り抜ける爽快感、豊島園の遊園地内を走り抜ける愉快さ、本当に楽しいマラソン大会を存分に味わっていました。
ハーフマラソンは、21㎞強。正直、15㎞を過ぎた辺りでは、まだまだ付け焼き刃の『マントラ走法』の精神的作用とは裏腹に、実際の肉体疲労で体が追いついてこれず、意識して一歩を踏み出しては、立ち止まりたくなる気持との戦いで、もの凄く長く感じるラスト数㎞でしたが、
それでも、極力、意識をその一歩一歩の正しいフォームに合わせ続け、きっと、昨年だったら超えられなかった壁を、確実に越えた感覚があり、最後は気力だけでしたが、無事ゴール!完走しました。
そして、タイムも、昨年を大幅に更新して、目標を更に5分近く上回る自己ベスト記録、W目標達成のレースでした。
エントリー者が全員出場していたとして、実質5400位からスタートして、総合順位から換算すると、実に、約2500人ゴボウ抜きしたようです^^
恐るべき『マントラ走法』!
しかし、この一連のマラソンチャレンジから、私が得た、本質的で大切な体験は、
「正しいフォーム」で「一歩一歩」着実に走り続けることの大切さから、「正しい在り方」で「ひとつひとつ」着実に行動する日常の在り方の重要性。
そこに神が在り、無限のエネルギーと一体となることができ、そこに真の創造が生まれる、という実感です。
表現としては抽象的ですが、私としては実に実感のある、「神、在り」の真理をまた一段ステップアップして垣間見、実感した、この一ヶ月のマラソン大会への道程でした。
そして最後に、この体験を協力してくださり、素晴らしい一体感のエネルギーを共同創造してくださった、「練馬こぶしハーフマラソン」のスタッフの方々、ボランティアの方々、沿道で応援してくださった方々、共に走ったランナーの方々、関わった全ての方々に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
▲59:20過ぎが、冒頭写真キャプチャーのあたりです^^
●『普遍意識瞑想セミナー』
次回開催決定:2018年5月5日(土)・東京
詳細・お申込はこちらから
+ーーーーーーーーーーーーーー+
『CTPeakトークイベント』のお知らせ
開催日時とトークテーマ:
●東京(練馬駅近くの会場)
【第61回】 2018年 4月4日(水) 13:30~16:00
テーマ:『本音の自分と周囲との調和』
【第62回】 2018年 5月13日(日) 13:30~16:00
テーマ:『パラレルワールドと人生の選択』
●大阪(大阪市中央区)
【第64回】 2018年 6月8日(金) 18:30~20:30
テーマ: 『分離意識をなくすには』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(場所の詳細はお申込者へ詳細情報をお伝えします)
参加費:[早割]3,000円(税込・事前振込)
[当日]3,500円(税込・当日会場払い)
講師:田久保剛
+ーーーーーーーーーーーーーー+
キャンセル待ち受付中!
〜『本当の自分』の体感と魂の使命を想い出す2日間〜
★「普遍意識体感セミナーin八ヶ岳」(詳細・お申込)