理想の仕事とお金の不安を霊的視点で見る〜魂の価値に導かれる生き方

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田久保剛/CTPeak

Q.「お金と仕事について。自営業で頑張ってきましたが、借金ができ、仕事がだめになってしまいました。ドン底で霊的目覚めがあり、黎明に出会うご縁をいただけたため、これも必然かと思っています。

これまでお金のために好きでもない仕事で無意味に命を削っているような感覚を持っていました。本当にやりたいことは精神世界、霊的なことのような気がしています。
しかし現実的には家族のために収入も考えると、またやりたくないことで頑張らなくてはいけないような気がしています。

仕事とお金、現実と理想などについてご相談させていただければ幸いです」

というご質問へ回答した、田久保剛のトークイベント講話です。

やりたい仕事とお金の問題

私も同じような体験をしています。このどん底での霊的な目覚め、「一瞥体験」という表現がありますが、実は真っ暗になった時に初めて見出せる光があるものです。光明というものがあるのです。

今回、お金の面で仕事が行き詰まったけれど、そのどん底の中で光明を見出したからこその導きとして、例えば「黎明」のような情報にも出会えたのです。まさにそのような視点から見ると、物質的な面で一見ネガティブに思えることも、霊的なところから見れば全て最善の導きなのです。

つまり、霊的な側から「もうそろそろ霊的真理から見ていきましょう」という大きな導きがあったように私は捉えています。ただし、これは本当にある意味では厳しい道でもあります。厳しいというのは、物質的な現象世界では霊的に価値ある経験は、むしろ逆行するようなことに直面することが多いのです。

霊的に価値のあることは、物質的には大変なことなのです。もっと言うと、物質的な面でうまくいってしまうと、霊性がなかなか開発されないという可能性もあるのです。これもそれぞれの魂の設定によりけりですが、多くの場合は、むしろ現象面で困ったな、大変だなと思う時だからこそ、霊性が開発されるきっかけが、そこに潜んでいるということがあります。

お金のために好きでもない仕事を無意味にやり、命を削っているような感覚に直面している方は、今すごく多いと思います。本当は魂から自分が表現したいことがあるような気がするけれど、でも何か分からないし、分かっていたとしても、それではなかなか生活をしていくためにお金を稼ぐことには結びつかないと思い、葛藤している方が多いのです。

そういう悩みを抱えているけれど、そういう悩みに向き合っていると最終的には挫折するしかないと悟って、もうなかったことにしてしまっている人も多いように感じます。つまり、そういう意味で諦めてしまって、「結局お金が必要じゃないか」というように、自分自身の魂の衝動に蓋をするような在り方をしてしまっている人も多いのではないでしょうか。

これが独身だったらまだ、思い切って踏み込めるかもしれないと思っても、家族がいるという悩みがあります。これは全て私も私なりに当てはまります。理屈で考えると絶対にできないことを私はやってきた…という自覚があります(^_^;

なぜかそういう決断をしてしまった自分がいるとか、例えば家族のことだけに焦点を合わせて養っていけなくなってしまうのではないか、お金が足りなくなってしまうかもしれないということにフォーカスを合わせていたら、絶対にできなかったような決断を色々と、この人生でしてきています。

だからそういう時って、無意識のうちに魂の方を優先している、地球に生まれてくる前の魂の感覚を瞬間的に垣間見て思い出して決断してきたような気がします。でもこれは面白いもので、その決断をすると魂は喜んでいることは分かるのです。でもその後に、では実際はどうするのかという葛藤は確かにあります。

しかし、その葛藤と努力をするプロセスで、自分がやるべきことをやるための力がついてきたという感覚もあります。

だから実は私は今、家族についてこう考えています。私の家族は今、子供も大きくなってそれぞれ楽しい人生を生きていると思っています。健康で問題もなく、幸せだなと思う時があります。でもまだ、すごくお金のかかる時期も通過してきました。

私は一瞬、家族がいなかったらもっと踏み込めるのに、冒険もできるのにと思った時もありましたが、すぐに「違うな」とフォーカスが切り替わったのです。

それは何かというと、おそらく自分が独身で自由にできたら、ここまで真剣にこの仕事に向き合ってこなかっただろうと思ったのです。つまり、みんな協力者なのです。

協力者とは言っても、「お父さんの仕事を応援しているよ、頑張ってね」というような分かりやすい形ではありません。どちらかというと何をやっているか分からないような、そんな感じです。あまり関心も持たないし、分かりやすい応援はしてくれませんが、魂レベルでは本当に全面的に応援してくれているのです。

彼ら彼女らがいなかったら、この大変な仕事、霊的なところから見なければ分からないような価値の仕事を、この物質次元でここまで続けてこなかったでしょう。
「ありがとう」という、家族に対してまずそういう気持ちがあります。

現実と理想の葛藤がもたらす価値

現実と理想のギャップがあるからこそ、霊的価値のある表現ができると私は思っています。つまり、現実と霊的にギャップがなければ、むしろ霊的な仕事って難しいと思うのです。つまり、この苦しい局面だからこそ磨かれるものがあって、その苦しい局面だからこそ磨かれたもので自分を表現することに、本当の意味での霊的な世界、霊的な仕事、表現というものがあるのかもしれません。

だからその葛藤の中から初めて生まれることもある、というのは私がここまで経験してきた中で感じていることです。常に葛藤はありました。今もそういう意味では、違う葛藤がいっぱいあります。五年前にあった葛藤、十年前にあった葛藤、二十年前にあった葛藤、常にあって、その時いつも「どうしていつも葛藤ばかりなんだろう」と思っていました。

しかし今振り返ると、葛藤があってこその霊的なエネルギーを見出せて表現できていたのだなと思います。だからもっと言うと、魂レベルでは私は決めてきたのだと思います。この人生でこの霊的な表現を通して、人々に少しでもお役に立つ何らかの仕事をすることを、おそらく決めてきたのだと思うのです。

だからそれはもう決まっていて、そのためにはここに向き合っていかなければいけない、この葛藤と直面しなければいけない。この粗い目のヤスリで自分を磨かないと、本当の意味での自分が魂で決めてきた表現ができない、というために起きてきたのではないかと思うことがあります。

お金の面も実は結構困ることがいっぱいあったし、今もそんな感じです。でも私は今度、そこでいろんなことを適用するのです。本当に困っているのか、これってお金が足りないと思っているけれど本当に足りないのか。私も普段は「もっとあったらいいのに」と思う時はありますが、今、魂レベルで役割を果たす上で必要なものは全部揃っているのです。

だから今ここで私はこうやって皆さんに情報をお届けできているのです。

なので、自分の自我意識や不完全な視点で思う必要なことと、霊的な意味で魂の価値の意味で本当に必要なこと、必要な状況というのは、かなり差があることがあります。

私はそこでまた基本に戻るのです。

「起きていることが正しい」

そうか、今起きていることが実は必要なこととして整っていて、そのお膳立てしたところで今できることを自分ができる最大限やっていけば、きっと然るべきところに導いてくれるだろうと。

そこが私の現実世界側から見たら逃げ道に見えるかもしれませんが、霊的世界側から見たら、

「ようこそ、霊的真理の視点へ」

という感じなのです。「あなたは今この大変な状況で難しいと思う局面に対して正しい視点が取れましたね。OKです。では、その視点だからこそできる価値ある仕事に今日も邁進してね」という風に言われているのだと勝手に解釈して、でもそう解釈するとすっきりして、何かふっとセンターに戻ってきたような、そんな感覚があります。

つまり、お金は本当に厄介なものですが、同時にお金が自分の物質的視点を、魂の視点に持っていく協力をしてくれているということも感じます。困るからこそ、もちろんこれは、お金がない生活がいいとか、困ったらいいとか、葛藤がいっぱいあったらいいということを言いたいのではありません。

そうではなくて、あればあるでそれをどう生かすかということがあるし、感謝の気持ちであるとか、色んなその状況を通してできることがあるので、いい状態と悪い状態は同じです。今日、「絶好調と絶不調は同じですよ」と言いました。

全部、その絶好調なことを通して霊的にどう価値を表現するか、絶不調なことを通して霊的に大事なことをどう気づいて学んで自分もまた表現しているのか。全部自分が霊的に決めてきたこの地上で自分が果たすべき役割のために、いいと思われる協力者、悪いと思われる協力者が現れるだけであって、その中にお金もあって、お金が足りているという協力もあれば、お金が足りないという協力もあるのです。

これは、どちらかというと厄介なのは、お金がある協力の方が結構厄介だということもあります。結構、お金があるからやるべきことをやらなくなってしまうことがあったりするのです。でもなかったからこそ、やるべきことに背中を押してくれたということもあったりします。

お金だけの問題に関して言えば、お金がないからお金がある状態を目指そうとすると、やはり横の努力になりがちで、やりたくないことをそのために頑張らなければいけなくなってしまう。まさに命を削るようなことになりかねない、本当の意味での命の使い方にならなくなってしまって、「使命」にならなくなってしまう危険性すらあるかとも思っています。

魂の視点を思い出すチャンス

私の場合は、お金とか仕事とか状況で困ったなと思う時は、全部魂の視点を思い出す機会だという捉え方をしています。むしろ順調な時、お金に余裕があるという時とか、なんかいろんな意味で最近なんか平和で平穏だな、幸せだなという時は、感謝で受け止めることはすごく大事なのですが、それに安住して、本来やるべき大切なことを忘れないようにしなければという、ここをしっかり意識しなければいけないなと思うのが一つです。

でも私の場合は、変な言い方ですが、あまりそういうことってなくて、もう常にケツに火がついている時があって、つまりこれは私の霊性なのです。霊格というのでしょうか。私はどちらかというと、下手に状況が整ってしまうとやるべきことをやらないから、この状況が整わないことを通してやるべきことをやるような霊格なのです。

だから私が今度ここをクリアして、状況がどうであってもやるべきことをやるという風な霊格になっていけば成長すると、今度また違うことが起きてくると思います。だから私の場合は、そういう意味ではまだそういう段階にいるのだと思うのです。だからそれは、そうなのだなという風に、これも残念ながら納得感があるのです。

私は、今お金がいっぱいあると、多分仕事をしないだろうなと思っています。「今日は面倒くさいから」などと言ってしまうでしょう。でも色々と状況的に大変だから、少しでも今日、一歩でも自分の役割を果たしていかなければという気持ちにはなってくれて、その今日一歩でも自分の役割を果たさなければという背中を押してくれている一側面が「ちょっと困ったなということ」だったりしているのです。

なので、どんな状況も全部自分自身の霊的な魂の役割を果たすための協力者なのだという、そのような視点を都度思い出してやっていったら何が起きてくるのかということは、一つの参考としてお伝えさせていただきたいと思います。

相対の視点だけでみると、お金がないからお金を稼ぐとか、こんな状況が悪いからこういう風な状況をするという、まさにそれを引き寄せたいと思っているのは自我なのです。エゴなのです。つまり、すごく不完全な視点だとそういう引き寄せ方、そういう願望の持ち方をしてしまうのです。

でもそうではなくて、それをきっかけに本当の自分の視点、魂の視点を思い出すという魂側の視点にシフトすると、この相対側に意識があった時には出てこなかった発想が出てきやすくなります。まさにインスピレーションが研ぎ澄まされてくるというか。

だから問題を問題と捉えている意識では見えないものが、問題を協力者というか、問題というものが何かを教えてくれている、何かを鍛えようとしてくれたり、

「それが全部愛だとしたら何が教えてくれる愛なのだろうか」

というような、そういうような視点に行くと初めて流れ込んでくる発想があって、そういう発想を実行に移していくと、OKサインのようなものがまた起きてくるのです。

でそのOKサインが、結果としてお金だったり、結果としてそもそも自分が思っていた解決法じゃなくてもよくなったりとか、問題が問題じゃなくなってしまったりとか、そういうような色んな形でOKサインが出てくる。「そう、あなたのあの視点からやった行為はOKだよ」という、そういうようなことも起きてきます。

経験は今度、誰かに手を差し伸べるエネルギーになってくるということなのです。もちろんそれは言葉であるかもしれませんが、もっと言うと波動なのです。同じところを経験した人は、やはり同じようなことで悩んでいる人とか苦しんでいる方がいて、そういう人と手をつなぐ共鳴する波動になってくるのです。共通波動というのですが、別の言い方をするならば、その経験は何のためにあるかというと、同じようなところで迷っている方々に手を差し伸べるために必要な経験であったという、そういう視点もあるのです。

そうやって共通波動を築いていく。そうすると、「あ、ここに自分のそれを生かす役割があったか」と。精神世界とか霊的なことがやりたいことなのかなとおっしゃいましたけど、霊的なこととか精神的なことは、例えば今私がやっているようなこういう表現もそうかもしれませんが、それのみならず、実はそこを支点とした自分の表現がいっぱいあるのです。

人の目から見たら精神世界とか霊的なものと見えなくても、その精神世界、霊的なもののその経験値をもとにその表現をすると、何か大きな人を癒すエネルギーであったりとか、それが治療であったりもするかもしれないし、普通の何か食品を扱う仕事かもしれないし、教育者かもしれないし、アーティストかもしれない。色んなものを通して霊的に大きな影響を与えることに繋がって、なぜかあの人の作るご飯を食べると蘇ってくる、何かあの人の作る書類に触れるとこちらが元気になってくる、なぜかあの人の奏でる音楽を聞くと魂が癒されるとか。それはまさにその霊的なその過去の経験値がちゃんとそこに繋がってきて、だから霊界から見れば霊的な仕事をしていることなのです。

霊的なことを直接的にダイレクトに私は表現したりして仕事をしていますけど、必ずしもそれだけが霊的な仕事とは限らずに、色んな側面を通してでも今までの経験が全部生きて、かつその波動で苦しんでいる方に手を差し伸べることもできて、結果として大いなる霊的な成長を遂げることができるということもあると思います。

そのように霊的視野を広げながら、今後の展開に向き合っていただくといいかなと思います。

ご感想、コメントは、Youtubeコメント欄からどうぞお聞かせください^^


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