スピリチュアル情報の「真偽」を識別するヒント

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田久保剛/CTPeak

目に見えない、確認のしようがないスピリチュアル情報の「真偽」をどう識別していけばいいのでしょうか。

そもそも、その引き寄せの法則や、アセンションの情報など、スピリチュアル情報を学ぶ「動機」は何なのか…

その霊的情報の真偽、見分け方、識別ポイントのヒントについて、田久保剛のオンライントークイベント講話映像からご紹介します。

真偽は先に立たず

スピリチュアル情報の「真偽」、つまり、いわゆる嘘か真かをどう識別したらいいでしょうか。

表現したスピリチュアル情報に対して、

「田久保さん、それは本当なんですか?」
「いや、何々先生はこういう風に言ってますよ」
「YouTubeでは、こういう風に言ってましたよ」

等と、人によって言うことが全然違ったり、表現の仕方が違ったていたり、

「そもそも、その情報の根拠は何なんだ」

等、いわゆる真偽のほどは何なのか、という問題がスピリチュアル情報にはあります。

私のスピリチュアル情報の真偽の捉え方は「先に立たず」です。

「後悔先に立たず」の「先に立たず」です。

霊的真理の探究は、最初に、それが本当なのか、どうなのかなんてわからないのです。

なぜなら、最初から分かっていたら、この地上にいる意味がないのです。

何のために、地上にいるかと言うと、「私とは何なのか」ということを経験するためです。

この場合の「私」は、田久保という、この個人を指しているのではありません。

私たちの実相である、普遍意識、神、愛、光、無限とは何なのか…ということを経験するために、あえて「自分を忘れた世界」、

神様が、「自分というものを経験するために一旦自分を忘れる」という、神業をしているわけです。

つまり、その経験をしたいために一旦忘れたのに、最初からは知る、分かる…というのは、おかしいのです。分からなくていいのです。

抵抗がない情報を選択する

それが本当なのかどうなのか、真偽は分からなくていいけど、そのスピリチュアル情報に触れたとき、ある程度、自分の中の感覚として、「どうやらこの情報は自分としてはしっくりくるな…」とか、「それは何か自分を受け入れやすいぞ…」という感覚は重要です。

その逆で、心理的な抵抗を感じる場合もあります。

この抵抗には二つあって、自分の学んできた事と、かけ離れてるから抵抗する場合…いわゆる「知識的抵抗」。

そして、「魂の共鳴」というのがあって、なんだか理屈はわからないけど、すごくこの話に共鳴できる…というもので、情報に触れたときに、ものすごく違和感があるという魂の抵抗も、ひとつの識別ポイントです。

情報を、このような識別をして、あとは全部自分で自由に選んでいけばいいのです。

私の話も、「強烈な違和感だ…」という場合は、「まあ、とりあえずそういう話もあるんだな…」ぐらいにしておいて、あなたなりのやり方をやっていけばいいし(笑)

でも、逆に、「何か自分なりにしっくりくるぞ…」「何かすごく納得感があるぞ…」と感じるかもしれません。

でも、それでも「信じなさい…」と言うわけでもないのです。

その真偽のほどは「先に立たない」のです。

では、その真偽は、どこでわかるのでしょうか?

起きてることが神様

それは、私が霊的真理の中心テーマとしてお伝えしている『日常生活』という、あなたに用意されたステージの中で、あなたの表現、行為、行動、その一歩一歩によって、結果として、その情報が正しかったかどうかが、正確に現象面に示されて来てわかってくる…ということなのです。

情報に基づいて行為をした結果、現象という目の前に起きる事に、答えが示されるのです。

「今、あなたの目の前に起きてること」

が神様です。

神様は「原因と結果の法則」というものを創りあげたのです。
その原因と結果の法則は完璧なのです。

どのように完璧か、と言うと、一点の原因と結果の因果関係も狂わせないのです。

どこかのインプットは必ず正確にアウトプットされます。

実際は、単純に上から物を落としたら…コップを手放したら下に落ちて割れた…という、簡単な因果関係ではなくて、その因果関係が色々と複雑に絡み合ってるから、私達人間としては、その因果関係を追いようがありません。

よく心理学とか、自己啓発の世界では、原因探求をする試みがあります。たとえば「このトラウマは何が原因なのか…」という問いに対し、「ああ、こういう前世があったからなのか」とか、「ああ、こういう経験があったからなのか」などと言います。

しかし、実はこれは、ある一部分の因果関係しか見ていないので、多少の心の痛みを和らげる緩和策になるケースもありますが、一時的な作用しかない場合があります。

そもそも、原因に関わった人の行為にも、そういう行為に至った、また原因と結果があったり、また、やむを得ない時代背景があったりと、ずっと原因を辿って行くと、もう私達が生まれる前にいきつかざるを得ない。

そこで出てくるのが今度、前世という捉え方です。

そのように、いろんな複雑なインプットとアウトプットが、ものすごく絡み合って、だけど何一つ間違わず、スーパーコンピューターでも導き出せないぐらいの完璧さで…今、あなたの目の前の日常生活が、その全部の結果なのです。

カルマと法則によって答えは示される

だから私たちがやることは、ものすごく簡単なのです。

今、目の前に出逢っている人、出来事、そしてあなたが、何らかの形で導かれ携わっている今のお仕事、

そこに対して、きちっと丁寧に、心を込めて、愛を込めて、まさに、あなたが「光の柱」となって、そこに光を表現するが如く、心を込めて愛を表現していく。

その愛の表現も、一つの原因なのです。
これを「カルマ」(カルマ・ヨガ)といいます。

私たちの一つ一つの行為は、カルマと言います。

カルマの元々の言葉の意味は、行為とか行動という意味です。

私たち人間には、どういう行為、行動の表現手段が与えられているかというと、一つは「想い」。

あなたの毎日想っていることは全部、カルマになってます。

放ってる「言葉」、これもカルマになっています。

そして、一番強力なのは、この「身体」を通して色々と表現をしたもの。

これも全部カルマです。

これが現状の原因となっています。

今までの行為の集大成の結果(=今・現状)に対して、自分が、今できうる最大限のカルマを表現していく事よって、

その結果、起きてくることから、

「ああ、あそこで言っていた情報は、まさに、こういうことなんだな」
「ああ、本当に起きてることから正しく必要な学びをすると、こういうような形で調和が示されてくるんだな」

そのような行動の結果の気づき等によって初めて、スピリチュアル情報の「真偽」というものが、あなたなりに識別できるように示されてきます。

だから、誰かの発言、言葉等の情報だけで、先に「そうなんだ…」と真偽を識別するではないのです。

浄化されると答えが見えてくる

また、その情報をきっかけとして、あなたが日常生活で色々と行為を表現していった結果、起きてくること等を通して、自分の心の中も浄化されていきます。

何かの情報の捉え方が詰まったり、違和感を感じている時は、自分の中にある何かのフィルターが邪魔してる場合もあるのです。

でも、目の前に起きていることに真摯に向き合って、ひとひとつの行為を繰り返していく(カルマ・ヨガの実践)結果として、心の中も一緒にお掃除される、ということがあります。

これは、普通のお掃除もそうですね。

「めんどくせえなあ…」とやってる時は、心の中も、どんどん汚れてきますけど、「ここで過ごす家族が幸せでありますように」「心地よく過ごせますように」という気持ちで掃除すると、もちろん対象も綺麗になるけど、自分の心も浄化されてくる、そのような作用があるのです。

私たちの一つ一つの愛の行為が、自分の心の中も浄化して、結果として、今までは違和感のあった情報が、スッと「ああ、やっぱり、これ本当だな」「ああ、これは真理だな」という風に、受け入れられるようになるケースもあります。

ちょうど曇りがとれて、太陽がス〜っと照ってくるような感じです。

私たちは、自分の行為を通して、外と内側を両方お掃除する…そのような作用があるのです。

お掃除されると、元々繋がってた光が、まさに「光の柱」を通すようにして、私たちを通して、この地上に注がれてくる。

好循環に入っていって、今まで学びきれずに残っていたカルマが解消されて、調和が表現されていく。

また、そこまで綺麗になったあなただからこそ、今度これにも向き合えるよね…という、次なる課題が示される場合もあります。

この現象を、後退していると捉えてしまう人がいるのですが、そうではありません。

「そこまで成長した、あなただから示された課題なのだよ…」という捉え方も私はおすすめします。

識別心が磨かれると即座にわかる

スピリチュアル情報に対して、「真偽のほどなんか、どうでもいいんだ」と私はよく言っています。

だた、その真偽を識別する経験のきっかけにしましょう…ということです。

スピリチュアル情報に対して、

「ああ、そうだな…何かすごく納得感がある」
「そう捉えるとスッキリするような気がする」
「これは自分にとって価値がある情報のような気がするな」

という風に思ったら、あなたなりに、それを自分の状況に置き支えて、日常生活の中で自分の仕事を通して、それを表現してみてください…

そうすると、それが「本当にそういうことだったんだな」とか「何かちょっとズレてたんじゃないかな」ということが、ちゃんと示されてくるのです。

ただ、そのきっかけとなる情報の縁を結ぶことは結構、大事です。

そのようにしながら識別心を磨き、自分が浄化(課題のクリア)されて綺麗になってくると、今度は逆に、情報に触れる際、直ぐに分かってきます。

すぐに。「ああ、この情報、私にはいらないや…」とか…

たとえば、より霊的本質の理解が進んでくると、エゴの欲望を引き寄せるために自然法則を学ぶ、という情報などには、「うん?」って、違和感が反応するようになります。

その法則を、「何の動機をもとに使うか」がポイントなのです。

スピリチュアル情報を使う「動機」

私たちは、エゴというものが強い時に、このスピリチュアル的な情報を学ぶと、エゴのためにスピリチュアル情報を使おうとしてしまう過ちを冒してしまします。

しかし、これは法則なので、エゴの動機であろうが、ある程度の結果は出るのです。

この事がまた、識別しにくくしてしまうポイントで、「いや、でもあの人たちは本当に引き寄せの法則を使って、こういう結果をだしてますよ…だから私も、ああいうふうになりたい…」となってしまって、なかなか、気づきにくい分野でもあります(^_^;

この宇宙の中には自由意志がはたらいているので、ある程度は、その人のやりたいようにさせてくれます。

しかし最終的には、

「何のためにあなた、その肉体与えられてると思う?」
「何のためにあなたのその日常生活というステージで出逢いがあったと思う?」
「何であなた、その仕事に導かれていると思う?」

「何で、あなたが、いつも愚痴や不満を言ってる、その境遇があると思うの?」

これ全部、神様から授かったことなんだよ。

神様は直接この物質次元で表現できないから、物質次元でいろんな表現ができる私たち(人間)という、神様の表現体を私たちに与えて…肉体は神様から預かったもので、あなたのモノじゃないのです。

神様がやりたいことがあるのです。
あなたにやって欲しいいことがあるのです。

あなたの、今の日常の人間関係を通して、その境遇を通して、その状況を通して、

あなたを通して全体のために経験してみたい事

それをするのが、究極の望みなのです。

でも、それを忘れちゃうと…

「私だけのために」「私の得のために」
「どうやら心の仕組みは、こうなっているらしいから、こういう風にやって、私にとって価値のある、こういうものを引き寄せましょう」

というような、個人的な望み、動機でスピリチュアル情報を活用してしまい、ある程度のところまでは、もちろん法則なので叶うのです。

だけど、違うんだよ…というのがだんだん示されてきます。

だから、ある意味、それを知るために、一旦関心のあるものを徹底的にやるのはいいと思います。

私自身、これを語れるのは、徹底的に引き寄せの法則や願望実現法等を学び、いろんな引き寄せたいものを引き寄せてきた経験があるからなのです。

その結果、「自分の魂が本当に求めているものは、違うんだな…」ということがわかったのです。

また、このような現象化の法則がすごく作用しやすいエネルギーが全体的に強い時代もあったのですが、今は、その時代よりも作用しにくくなっています。

一時期は、エゴを動機とした現象化も、意外と作用しやすい時代もありました。
もちろん、そのしっぺ返しの現象もたくさんありますけど。

どちらかというと今は、エゴの行為は、作用反作用として即座に返ってくる時代です。

今までは、幽界という分離感が強い精神領域が強く残っていたので、エゴの行為を放っても、その反作用が返って来るまで時間がありました。

丁度、ボールを空にポーンって投げても、そのボールが空に出来た幽界という領域に滞在して、時間が経って、忘れた頃に「おお、返って来た…」みたいなぐらいの時間差がありました。

そのぐらい幽界のエネルギーが強かった時代があったのです。

今は、大師の方々等によって、幽界がお掃除されてきているので、投げたもの(エゴのカルマ)が、ポン、ポンってすぐ返ってくるのです。

だから、そういう意味では、エゴの願望実現法などは試すまでもない時代に来てるのかな…とも思っています。

つまり、「動機」が大事だということです。

霊的な法則を学ぶことは、すごく大事なのですけれど、その法則を、どういう動機で活用しようとしてるのか…

簡単な言い方をすると、個人的な動機(エゴ)で活用するのか、それとも全体のために活用しようとしているのかによって、全体的な作用が全く変わってきてしまうんだ…ということです。

だから世界を一発で壊滅出来るような、最新鋭の核兵器を未熟な人に渡したら大変なことになる。

動機が不純な人に、最新鋭の道具を渡したら大変なことになる、ということです。

この心の因果関係であるとか、現象化の仕組みというものを、未熟な段階で知ってしまうと、今のこの時代は、むしろ自分が痛い目にあうのです。

私たちの人生の時間は限られています。100年って言われていますけれど、それも、宇宙的な尺度で見たら、瞬きにも満たないです。

その限られた人生を何のために使うのか…ということです。

何のために?

「私だけのため」なのか?

そうではなくて、

「私に託されて授かったこの肉体、個を通して全体の為に

という、全体の目的と一致すると、私たちの想像を越えた、神の協力がそこに入ります。

なぜなら、それが全体(神)の願いだから。

でも個人的なものを動機にすると…

「ああ、まだ個人的なものを通して必要な学びをしたいんだな…」

と、ある程度は泳がせてくれるのです。自由にしてくれるのです。

自由にしてくれるのだけど、今の時代は、自由にしてくれる時間が短くなっているみたい…

感覚としては、そんな感じはあります。

スピリチュアル情報の真偽は、上記を参考に何の為の情報なのか、という、その動機を注意深く識別しながら、自分の日常生活の行為に置き換えて実践し、その結果示される、という事を参考にしてみて下さい。


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