スピリチュアル分野の学びでは、「無私」の境地を目指す、というような教えがあります。
それは「結果に執着しない」状態とも言えます。
「無私」の状態になっていく、というのはどういう事なのか、そして「神への奉仕」や「赦し(ゆるし)」との関連性について、前回の記事の続きとして、田久保剛の解釈をお伝えします。
結果に執着しない
「無私」とは、我がない、我欲がない、まさに自分が無い状態です。
私の(得の)為に身を捧げる(奉仕する)というのではなく、見返りを求めない姿勢です。
アンマというインドの聖者が、「結果に執着しないで自分のひとつひとつの表現ができるようになりましょう」というような事を言っています。
しかし私達は、多くの場合、結果に執着します。「私、田久保さんが言っているとおりやっているのですが、まだこうなりません…ああなりません…」こういう表現は結構多いのですが、ひたすらやるべき事だけをやっていればいいのです。
なぜなら、私達にとって、本当はこうなるはずだ…というのは、エゴから捉えた結果であって、高次の霊的視点から言うと、ちゃんとこういうプロセスを辿って、はじめてここにいけるんだよ…っていう計画があるのです。
でも私達にはその計画が見えない。だから、今、目の前の事を一歩一歩着実に足を踏んで行くしかないのです。でも、「そろそろこうなるはずなのに、ならないな…」っていうエゴがはたらいてしまうと、結局、エゴにエネルギーが注がれて、本当は出ている成果にも気づけなくなったりするのです。
このように、「私がこれだけのことをやっているのに、これだけの成果が出ない…」「せっかくここまでやっているのに、こうならない」「ここまでやったのに、見返りが少ない」とか…そうやって私達は、どうしても、“やることそのもの”ではなくて、“やった結果”に執着が行ってしまうのです。これはまさに「無私」とは逆です。
「無私」に近づく為には、今、自分の個体意識が思う結果の執着が、〜これは分離意識があるから当然出てきてしまうのですが〜 出てしまっても、「それは一旦、さて置き」として、
「今日、私は何をするべきだっけ」、「今日、目の前にいる人に対して、少しでも、自分の仕事を通して幸せになってもらおう」「少しでも良い影響を与えよう」「少しでもお手伝いが出来るようになろう…」
たとえばですが、そのように、唯、していく。
その結果、感謝されなければいけない、とか、「ありがとうのひと言ぐらい言えよ…」とか…確かにそういう気持があるかもしれませんが、それは本質的なフォーカスではないのです。
奉仕そのものの価値
ただただ、「あなたがいたから、今日、私はこの奉仕活動が出来た」という捉え方です。
たとえば私も皆さんがいるから、今、こういうことをべらべらしゃべっているわけです。もし今日誰もいなかったら、ここで私が独り言を言っていてもあまり意味がないのです。
そのように、ちゃんと「奉仕の機会」を与えて頂いている方に対して、その“奉仕する事そのもの”に、すごく価値があると言う事に、ズレても戻れるか…ということです。
これが「無私」に近づく、という感じです。
もし完全に「無私」になったら、たぶん違う役割が与えられています。だから完全に「無私」になっていない事を嘆かなくてもよく、私達は「無私」ではない、つまり、まだ我欲があるから、この次元にいるのです。
そして、自我意識から生じる我欲などを一個一個、取り払って行く、「無私」に近づいていくことが、まさに、神への奉仕なのです。神への奉仕をしていくから、「無私」に近づいて行くのです。
だから、そのような意味では、「結果に執着している自分がいるな…」っていう自分を責める必要は無いのです。「ああ、まだ結果に執着している自分がいるな…」と気づけばいいのです。
「気づいている」状態と、そうではない状態は、巻き込まれている状態か、そうではないか、もしくは、囚われているかどうかという違いです。
我欲だらけの自分がいて、「ダメだなオレって…本当になかなか無私の境地にいけないわ…」って自分で自分を責めたりしている状態は巻き込まれています。
でも、「ああ、ついつい私は、結果に凄く執着しちゃっているな」「見返りに対して執着している自分がいるぞ…」って客観的に気づく。これは巻き込まれていないのです。
そして、「でも、私はどこに焦点を当てるべきだっけ?」「この結果の見返りに焦点を合わせるべきだっけ、それとも、今日やるべき事に焦点を合わせるべきだっけ…」と、フォーカスポイントを変えるということです。
そして、「私はこの目の前の事に対して、今日できる最大限の事を表現して行こう」
「心で想い、言葉で語り、そしてこの身体を通して表現できる全てを、少しでも、お役に立てるようにやろう…」
こうしていくことが、「神への奉仕」です。
そして、相手の方の本質にフォーカスを合わせながらやると、少しずつ、「無私」という状態に近づいて行くことが出来るのです。
ですから、奉仕と「無私」というのは、実は関連しあっている…というふうにも捉えられます。
「無私」に導く協力者
たとえば、“完全「無私」”の状態が、100点だとしたら、その100点に近づくまでは、最初は、1点、5点、10点となる。たとえば5点まで採れた人は、残り95点分を補う存在が、自分の外側に現れてくるんだ…ということです。
その外側からすると「じゃあ今度は、私を通して20点ぐらいまで上げてみようか…30点ぐらいまで上げてみようか…」というように、あなたが“完全「無私」”の状態、つまり、普遍意識、神の存在に近づく為の伸び代を経験するような表現を演じてくれる人があなたの目の前に現れてくれる…という事です。
「私を通して、もう少し点数を上げてよ」って感じです。
バーベルが現れてくれるわけです。「今度、あなたが更に筋力アップするために、今迄10kg上げていたけど、20kg上げてみろよ…」っていうのが来るわけです。
最初はキツイけど、でもだんだん向き合っていく内にクリアできたら、あなたもそういう存在が気にならなくなる。気にならなくなるどころか、「いや〜あの20kg君のおかげで、オレ、ここまで筋肉ついたよ…」と思えて且つ、その分、100点にグッと近づく。
「赦し(ゆるし)」という概念がスピリチュアル分野にありますが、これが実は、「本当の赦し」なのです。
赦しの本質と無私の関係
「本当の赦し」というのは、それを正しく捉える(愛を観る)ことです。あなたをいじめているかのように思えていた、あなたを腹立たせるような存在だと思っていたものの、「本当を知る」ということです。その本当というのは何かというと、あなたが神に近づく協力者であった、っていうことです。
その人がいたから、その出来事があったからこそ、自分には、まさに100点に少し近づいた…と。だとしたら、「その存在を今でも忌み嫌っているかい?」と問うたら、「いえいえ、確かにあの時はキツかったけど、あの出来事があったから、あの人がいたからこそ、私がここまで成長できた、いやむしろ、ありがたい存在でした」となる。
スピリチュアルで言われている、「全ては自分の協力者だよ…」っていう理由が、理屈じゃなくて、本当に実感としてわかります。これが「赦し」の本質なのです。
その本質が分かって初めて手放せるのです。
そうなると、実際に、ネガティブな表現をして、成長を協力する人が現れたり、出来事が起きなくなる場合と、そういう事が起きていても全く気にならなくなる、気にならなくなるどころか、むしろ、愛しい存在として捉えられる。
まさに、神様が世界を観ている時、愛しかみていないから、愛として観れるわけです。
「なんだアイツは」「なんでこんな事が!」というのは、正しい見え方ができていない、赦せていない状態です。
そうではなくて、「あれがあるからこそ、こういうふうになっているんだ、こういう事を教えてくれているんだ…」という、正しいフォーカスに合った時が、まさに「本当に赦せた」ということです。
だから、あなたにとってネガティブな表現をしている人たちがいたら、まさに、「これぞ神への奉仕の機会だ」と捉えて、そこに対して、見返りを求めるのではなくて、
そこに対して自分が何が出来るかというところに気づいたら、フォーカスチェンジしながら、少しずつ少しずつ、「無私」、つまり、「本当の自分(神・普遍意識)」に近づいていけばいい、こういう方程式が成り立つのです。
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