「神の道具」としての生き方

田久保剛/CTPeak

一昨日の誕生日で、私、田久保剛は50歳になりました。

50歳って、なんかこう…もっと違う次元かな、、なんて若い頃から漠然と想い描いていましたが、意外と気持はそんなに変わらないかな…というのが正直な気持ちです(^_^;

しかし、いずれにしても人生の期間から見たら大きな節目ではあります。

振り返れば、ここまでの人生の半分は、スピリチュアル、霊的真理の世界に関わってきました。

こうした、私の霊的真理の情報発信は、それを受け取って頂く皆様がいて初めて、この次元での愛(神)の創造として成就します。

その感謝の気持として、私の「無料メールセミナー」登録者に、約1ヶ月間の期間限定で「誕生日プレゼント」をご用意しました。

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シフトする意識…求心力と遠心力(前半)

自分探しの旅・田久保剛

【『自分探しの旅』を初めから読む】

《第32話》

私と東山さんは、共に北野本部長に惚れ込んでいた。

もちろん、私たちだけでなく、外交セールス事業部の中で、北野本部長の求心力と部内の結束は、とても固かった。

しかし、特に私たち二人は、北野本部長に可愛がられた。

その時代、北野本部長と東山さんと私は、3人で良く飲みに行き、仕事や営業について何度も熱く語った。

私たち二人にとって北野本部長は、既に上司としての域を超え、無条件に信頼できる“親父”のような存在となっていた。

「俺、北野さんが強盗をやれと言ったらやれますよ」

そんなことを本気で口に出していた。

そんなある朝、大事件が起きた。

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波動と地場調整(人類意識の夜明け・特別セミナーレポート)

田久保剛/CTPeak/黎明

精神世界の名著、「黎明」著者・葦原瑞穂の講話録音と田久保剛の解釈から学ぶ集い、というコンセプトで開催している、

『人類意識の夜明け・特別セミナー』(旧称:特別セミナー『普遍意識の自覚と地球の夜明け』)

は、先日、東京でVol.1、2を2日間連続で行い大盛況の内に幕を閉じました。

お陰様で、この特別セミナーは、今回で通算10回目の開催され、「黎明」や葦原瑞穂さんと深い縁のある多くの方々にご参加頂きました。

ここまで開催してきて、講師を務めた私が感じている、この特別セミナーの霊的真理から捉えた真の目的について、参加者の声と共にお伝えします。

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信念の男(後半)

自分探しの旅・田久保剛

【『自分探しの旅』を初めから読む】

《第29話》

(前半より続き)

私はこの頃、恐ろしいまでに強固な自己を確立していた。

今、思い返してみても、当時の自分は神憑っていた。

というか、一歩間違えば、気が狂っていたのではないか?と思うぐらいだった。

自分がトップの業績を収めることに、何の疑いも湧き上がらないぐらいに強烈な自己暗示をかけ、鮮明なイメージを持っていた

この頃、私は誰からともなく『信念の男』と呼ばれるようになっていた。

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信念の男(前半)

自分探しの旅・田久保剛

【『自分探しの旅』を初めから読む】

《第28話》

北野本部長から、営業マインドの基本を徹底的に教えてもらったあの頃。

正直に言うと、ここから約2年間の記録というものがほとんど残っていない。

実は高校時代から、ほぼ毎日のように付けていた私の日記は、この頃、プツリと途絶えている。

なぜ、この時期だけポッカリと、日記やその他の記録が残されていないのか。

それは多分、この時期はあまりに充実していて、自分の心に真剣に対峙する必要性を感じなかったのではないかと思う。

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ペットロス体験から学んだ悲しみの真実

田久保剛/CTPeak

先日、我が家の最愛のペット、雌のモルモット、チャコちゃんが天国に旅立ちました。

言葉にできないような、もの凄く深い悲しみと寂しさで、でも、そんな感情をこうして表現しなくてもいいかな…とも思っていたのですが、

この世に生まれて、私と私の家族とこの家が、ほぼ唯一の世界であったモルモットのチャコのために、その出逢いの真理と、この世界に生きた証を残し、その意味を私が受け止め、忘れないために、まだ気持ちの整理もつかない今の気持をこうして書き記すことにしました。

また、今は正に、その渦中にいる私ですが、ペットロスで苦しむ人が、少しでもその痛みを良い意味で共有し、その事で少しでも真の癒やしに向かうきっかけになればという気持で、

その気持と同じような意味を持つ表現だと、私、田久保剛が捉えている作品も引用してお伝えします。

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悟りは非日常体験、神秘体験に非ず

田久保剛/CTPeak

***この話を最初から読む方はこちら***

スピリチュアル情報を学んで、悟りを目指そうとする方の多くが、そのゴールを「非日常体験、神秘体験」に置く傾向があります。

悟り体験の一側面に於ける「非日常体験・神秘体験」という現象は、それを必要とする一部のタイプの方に結果としてもたらされる、ひとつの一里塚のようなもので、悟りの必須体験ではありません。

この「悟り」と「非日常体験、神秘体験」を結び付けてしまう背景を田久保剛の経験に基づいた解釈でお伝えします。

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