私たちは、自我意識で望む結果に執着しがちです。
しかし、地上人生の目的で大切なのは、個人的な欲望の結果ではなく、物質次元での経験を通して魂を成長させること。
その重要な事に「霊界」に行く前に気付いて欲しいという、シルバー・バーチのメッセージについて、CTPeak受講生フォロー教室、サットサンガの田久保剛の講話をお届けします。
目次
結果に執着しない価値
私が皆さんにお伝えしている方法の一つとして、カルマヨガがあります。カルマヨガとは、一つ一つの行為を通じて神様と合一し、宇宙と合一していく、そういった手法です。
では、カルマヨガは何のためにやるのでしょうか。それは「結果に執着しないトレーニング」という言い方をしています。この「結果に執着しない」というのは、なかなか手強いものです。これが私の今の向き合っているテーマといいますか。執着しているつもりはなかったのですが、執着しているのだな、と。一つ一つの表現をしていくよりも、その表現によってこうなる、ああなるということに、どうしてもこだわってしまっているのです。
私は元々、心の世界に関心を持った際、成功法則や願望実現法といったものに最初の頃に取り組んでいました。これはまさに結果に執着するものでした。私が最初にその心の世界に関心を持って取り組んだのは、まさに今皆さんに言っていることと真逆なことだったのです。
今はそれを、そこに執着するなと。ただひたすらやるべきことに集中せよという、全く真逆な方向に行っているのだな、ということを改めて感じました。これが本当に難しい。私はどこかの講義で「成功法則なんて、あんなのもう赤ちゃんのおもちゃですよ」と言っていたのですが、本当にそう思います。それほど高度なこと。結果に執着していないと思っていたのだけれど、やはり執着しているのだな、ということに今、直面しまくっているのです。
そんな今日この頃です。やはりこのことに向き合っていきたいと思います。その向き合いから自由自在に解き放たれた境地を、是非。垣間見ることはあるのですが、まだそれは日常化していない。日常化したら、もうこのお役も終わっているかもしれませんが、そういうところに私は今直面しているなと思います。
シルバー・バーチのインタビュー
最近、私が何度も読んでいる「シルバーバーチの霊訓」という本があります。そこにすごく面白いフレーズがあったので、それを紹介しようと思います。ちょうど同じページに花丸が二つほどついているのですが、この辺りを読んでみましょう:
「見かけの結果だけで物ごとを判断してはいけません。あなた方は”物”の目でしか見てないのです。”霊”の目でご覧になれば、一人ひとりの人間に完全に公正な配慮がなされていることを知るでしょう。
私は時おりあなた方をはじめ他の多くの人間の祈りに耳を傾けることがあります。
そしていつもこう思うのです
もしも神がそのすべてを叶えてあげたら、ゆくゆくはあなた方にとって決してうれしくない結果をもたらすであろう、と。」(引用:「シルバー・バーチの霊訓(四)」(潮文社・近藤千雄訳・P116〜117)
私はこういうのに心を打たれるのです。つまり、シルバーバーチ、いわゆるその霊界からいて、もっと全てを見渡せる存在から見ると、地上の我々の「こうなりますように、ああなりますように」という成功哲学、願望実現法として一生懸命明確にイメージをして思いを馳せて祈っているものを、もしこちら側から、その霊界側から見たら、「それがあなたの願い通りになっちゃったら、ゆくゆくはあなた方にとって決して嬉しくない結果をもたらすであろう」と私はよく思うのです、というようなことが書いてあるわけです。
つまり、それが叶ってしまったら、あなたの本当の意味での目的を叶えられなくなるよ、と。地上的な一時的な満足を得られるかもしれないけれど、本当の望みはまだ分かっていないのだな、とそういうところで見ているのだと思うのです。
もう一つ、これを紹介したいと思った部分があります。私が最近、自分自身に当てはめて改めて「そうだな」と思ったところを読みます。シルバーバーチがこう語っています:
「地上を去って霊の世界へ来る人たちに私はよく質問してみることがあるのですが、霊となって自分の地上生活を振り返ってみてそこに納得のいかないことがあると文句を言う人は一人もいません。」
引用:「シルバー・バーチの霊訓(四)」(潮文社・近藤千雄訳・P117)
これは、まさに「あ、そうか」と改めて思わされました。シルバーバーチは、この本の中で多くのことを嘆いているのです。何を嘆いているかというと、みんなあまりにも霊界の存在を知らないままこちらに送り込まれてくる。だからみんな混乱している。自分に一体何が起きているか分からない、と。だからもっともっとこういう霊的な真理を皆さん伝えてください、と。大変なんです、とこちらではこちらの仕事があるのに、そこから一からまた教えなければいけないから大変なのだ、と言っているのです。
そして、地上から送り込まれてきた人たちに、今、肉体を離れたあなたたち、自分の人生をもう一回振り返ってみて、納得いかないことがありますか?と聞くと、誰も納得いかないとは言わない、ということです。つまり、全部しかるべくことが起きていたな、と。
地上にいる時に気付くべきこと
この後、訳者の方の注釈が入っているのですが、
「これは全て、なるべくしてそうなっていた。つまり自分が蒔いた種だったということで、文句を言う人は一人もいないというのは、誰しもその事実関係は認めざるを得ないことを言っているのである。が、だからみんなすぐに反省して殊勝な心がけに立ち返るという意味ではない。」
引用:「シルバー・バーチの霊訓(四)」(潮文社・近藤千雄訳・P117)
と注釈が書いてあるのです。
つまり、皆さんが納得いかないことはない。自分の地上人生、もうオギャーと生まれてから肉体を離れるまでの人生を見た時に、そこに不条理や理不尽なことがあるかと言ったら、「いや、そんなことはありません。もうしかるべくして必然的に全部起きていました」と。それは分かるけれど、だからといってその瞬間に波動が変わるわけではない、というようなことが注釈として書いてあるわけです。
私はこれを読んだ時に、改めて「ああ、確かにそうだ」と思いました。そのしかるべくして起きていること。例えば今、CTPeakでこういう霊的な真理を学んでいる方の中には、自分自身の過去の捉え方がだいぶ変化されている方がいると思うのです。自分の過去にあった「あれだけは許せない」とか「あれだけは合点がいかん、納得いかない」ということも、視点を変えたり、より広い視点で見たり、もしくはそれを全て愛だという前提で見た時に、どんな見方ができるか、そんなことを学んでいただいたこともあると思うのです。
そうすると全然違う向き合い方ができたりする、というような変化もあるかもしれません。けれども究極的には、全部蒔いた種は刈り取るようになっているし、やったことは返ってきています。「これだけはおかしいだろう、これだけは理不尽だろう、これだけは不条理だろう」ということは、その時のその全部を見えていないところで判断したら確かにそういう風には思うけれど、でも全て起きていることは必然であり、かつそれはそのことを通しての何か学び、いろんな愛であったり、そういう表現だったのだ、ということを当てはめると、確かにそうかもしれない。
あれがあったから、確かにあの時は辛かったけれど、そのことがあったからあの出会いがあったとか、こういう仕事に導かれたとか、このような学びにいざなわれたとか、いろんなことによってその完全さというのが見えると思います。だとしたら今も、そしてこれからも同じ法則性が働いているのだな、というような見方ができると思うのです。
それのもっと究極版として、我々はいつかこの肉体を去って、そして霊的領域に行くわけです。そこからまたある意味では、自分自身が何を決めてあの地上に降り立ち、そしてその課題を自覚したかどうかは別として、いろんなことが然るべくして起きていて、そしてまた元の霊界に戻ったと。その時に改めてその人生を振り返って納得できないことは何もなかった。その時に初めて思う人とそうでない人と色々いると思いますが、仮にそうだとしたら、我々もいつか「ああ、俺の人生やっぱりしかるべくして起きてたな、全てのことは」と。
だとしたら、それを肉体を離れた後にそう気づくよりも、なるべくこの肉体があるうちに―つまり、その時に然るべく起きていたのだから―「あの時は本当はこういう向き合い方をした方が良かったんじゃないかな」と言っても、「じゃあもう一回やり直すかい」と言って行くのが転生なのです。
だからなるべくできたら、やり直しがきく時に気が付いた方がいい。つまり今、目の前に思わしくない結果であるとか、思い通りにならない状況があったりとか、不条理だとか理不尽だとかとあったとしても、いつかは「いや、でもあれもしかるべくして起きてたんだ」と。だとしたら、それをぞんざいに、なかったことに目を伏せるために向き合うとか、なんかねじ曲げるような、もしくは正当化するような、そういう向き合い方がいいのか。
それとも一回そこに対してぱっと向き合って、ある意味ではその現状を甘んじて受け入れて、それでも自分自身はその一つ一つしかるべくことが起きるということは、しかるべきことが起きるべく少しでも良い行為を、行いをしていく、表現をしていく。
例えばそういう風に反省して、あの世に行った時に「あの時ああすればよかったかもな」と思うよりも、今そういう視点を、なるべく早めに気づいて、なるべくこの物質的な次元での改善ができるうちに気づいた方がいいな、という風に思ったわけです。
「今、ここ」の愛の表現そのものの価値
だから今、一見すると受け入れ難い結果があったとしても、理不尽だな、不条理だなと思う結果があったとしても、それも全部然るべきだとしたら、そこにいちいち一喜一憂しないで。いい結果があったとしても有頂天にならず、かといって悪いと思われる結果があったとしても「ああ、なるほど、こういうことですね」と淡々と。そこに巻き込まれないというか、その結果に対して右往左往せずに。それでも今日、自分自身が今できる最大の愛の心で、目の前の人、こと、自分の役割、仕事に少しでも向き合っていこう。
昨日よりも少しでも進化した自分で向き合っていこう。もしくは少しでも誰かのため、何かのためにお役に立てる影響を与えていこう、仕事をしていこう、という。もうやはりその繰り返し。これは本当に基本中の基本なのだけれども、でもなかなかできない。
そして起きてくることにいちいち不平不満、文句を言って、そして腹を立てて。そうやって不完全な結果にいちいち腹を立てて、そして精神領域に汚染をまたしてしまって。当然それも全部また自分が刈り取らなければいけないという、そんな悪循環に陥るのではなく。
人間だから反応する、ついつい愚痴や不平や不満も出てくるけれど、なるべくいち早く気付き、ちょっとリセットしてギアを外して、そしてそれでも向き合っていく。そしてやることそのものに価値がある、やること、この良い影響を与えることそのものに価値があるのだ、ということをひたすらやり続けなければ。
やはりそれこそが私のこの人生の課題なのだろうな、と今、改めて。テキスト上で言うと聞いたことがあるような話に聞こえるかもしれませんけれども、改めて私はそのことを思っているような毎日です。
「霊となって自分の地上生活を振り返ってみて、そこに納得のいかないことがあると文句を言う人は一人もいません」
そうか、この視点をその時ではなくて今向き合う。これは納得のいかないことではないのだと。ちゃんとしかるべくして、そして自分自身がある意味では、自分が作った課題を自分で解いていくために起きているような、そういった側面もあるのだ、ということを改めてもう一度思い直して向き合っていこうと私は思うのです。
ああ、やはり知らないうちに強烈に、深いところで「こうなってほしい、こうあるべき、こういう結果になってほしい」ということに、やはり強烈に執着してたのだな、と。そのね、深いところの執着がどんどんどんどん今、こう突きつけられているような。「お前、本当にこの結果が欲しいのか」と。「お前、本当にそうなりたいと思っているのか?」と。いや、それならそれでもいいのだけれど、「本当にそんなことでこの地上に来たのか」という風に突きつけられているような感じです。
で、私の答えは「いや、ノー」なのです。違う、と。それは単に今までのいろんなその人生の中で、知らない間にできてしまった不完全な視点から身につけた価値観であって、それを達成したい為にこの貴重な物質的な次元があるのではない?と。
「じゃあお前はどうしたらいいのだ?」というのが今、私が気づいたことなのです。結果に執着している自分に気付き、その執着していたがゆえに放ってしまったネガティブ感情に気づき、一回リセットし、そして自分はあくまでも一つ一つ自分を通して、誰かの役に立つ、自分を役立てる、この自分という存在を自分の本源のために役立てるという、そういうあり方。
非常にこれは抽象的でかつなかなか難しいことではあるのですけれども、本当に自分が価値を持っていることはそっちだったな、と。でもまた次の瞬間、この古い価値観にとらわれてしまう自分もいるので、それをもう何度も何度も繰り返しているのです。
今年はもう間もなく終わりを迎えそうなのですけれども、こういう節目節目で振り返るというのはいいと思うのです。節目節目で振り返る。けれども課題としては、常に自分自身に必要なものがこう突きつけられているので、年が変わる、変わらないというのを振り返るきっかけにはするけれども、でもそれにあまりとらわれず、ひたすら淡々と毎日向き合っていこうと思っています。
今日できなかったら明日もできない、来年もできない。だから今日、その理想に少しでも近づく瞬間にしていこう。今日、最後のサットサンガになりますけれども、そんなことを今思ってお話をさせていただきました。
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