Q:「真理の学びやカルマ・ヨガの実践が有効的な手段(道具)だと理解しているつもりですが、相手を批判したり、人と比較してしまう、ということを何度も繰り返してしまいます。
そういう自分に素早く気づいて、道具の生かし方に転換出来るようになるには、どうすれば良いですか?」
オンラインイベントで頂いた、このご質問に対する田久保剛の見解です。
腕立て伏せは一回では筋肉は付かない
A:私自身の経験からお話しますと、例えば、
「人と比較して劣等感を感じたり、優越感を感じたり、もしくは相手を批判したりするのではなく、そういう反応は、自分の役割に転じることが出来る…」
等ということは、まずは概念として頭で理解は出来ます。
しかし、頭では分かるようになっても、実際にそのように心が反応してしまう場面に直面すると、そんな理解などすっかり忘れて、反応してしまうような段階はもちろんあります。
私はそういう時、その瞬間は無理でも、反応して少し時間が経って冷静さを取り戻した時に、
「あ、あの時にその道具(理解)を生かせば良かったのかな」というように、『思い出し生かし』をするようにしています。
でも、その時に反省したとしても、また同じような場面がやってくると、やっぱり忘れてしまう・・・
そのことを私は『腕立て伏せの1回』と解釈しています。
概念で学び、いざその場面に直面しても出来なかった、ということに後で気付く。
これはあくまでも1つのパターン例ですが、それで「1回」と捉えます。
腕立て伏せは1回だけでは筋力は付きませんから、何度も何セットも繰り返すように、
概念での理解と、その概念を生かせたであろう場面に直面しても生かせず、そのことに後から気が付く、という一連の流れを繰り返しやっていくと、徐々に、その場で生かせるようになって来ます。
ですから、私はこのことは「繰り返し」なのだと思っています。
しかし、そんな時に、「せっかく概念で学んで、このような場面で活用すれば良いと勉強したのに、私は今日も出来なかった…」と、自分に対して否定の想念を向けてしまう方が、圧倒的に多いのです。
そのように、自分に否定的な想念を向けるのではなく、
「あの時に学んだことに今日、直面したけど出来なかった。これって『1回』じゃん!」
という捉え方を私はお勧めしています。
そして、それを2回、3回と繰り返していくことで、少しずつ筋力が身につき、やがて今まで持ち上がらなかったものが持ち上げられるようになる。
つまり、対応出来なかったことにも少しずつ対応に近づいて行けるようになる、というように私は捉えています。
この話は、私自身の経験でもあるのです。
皆さんにお話ししているような真理の話や、カルマ・ヨガの実践を、私自身が、いつから分かるようになって来たのだろう…と思った時、最初から即座に出来ていたとは、必ずしも限らないな、と思ったのです。
では、どこに決定的な瞬間があったのかと考えると、はやり、同じようなことを繰り返して来た経験の蓄積だと気がついたのです。
逆に言えば、それまでの知識や理解が、現実に生かせなかったことに対して、
「こんなもの全然役に立たないじゃないか。もうやめた!」と自分を責めて止める、という選択をしなかったということです。
もう、愚直に同じことを繰り返し、時には自分のことを「何かいつまで経っても変わらないな…」なんて責めるような気持ちになりそうなことも沢山ありましたけど、
それでも、続けてきた。
そして気がついたら、さっと意識を転換出来るようになってきたり、上手く活用出来るようになってきたり、むしろ人にもお勧め出来るぐらいに自分のものになって来た…というように、長いスパンでのプロセスを辿って来たのです。
もちろん、中には簡単に身に付くような物事もありますが、多くの場合、長い時間をかけて繰り返すことで身について来たということが、私なりの気付きだったのです。
そして、このことは、今回のご質問に限らず、霊的真理の学び全般に言えることだと私は思っています。
繰り返す気力・体力が無いときは?
Q:それを繰り返すことが難しいほど、心がどん底の時にも、それが出来るほどの体力を身につけるにはどうすれば良いですか?
A:私にも、そのように心がどん底に落ち、気力や体力が無い時ももちろんあります。
そういう時、私の場合は無理をせず、その自分を受け入れるようにしています。
「ああ、今はその体力(気力)が無い時なんだな」と。
そこでむしろ焦って「何とか体力を身につけなきゃ」ともがくことをせず、「もうしょうがない」と。
もちろん、心のどこかに焦る気持ちはありますが、それでも「今は少し休ませろ、という時期なんだろうな」と、ある意味では、スピリチュアルや霊的真理の実践をする、または理解を深めるためにも、一回休まなければならないんだろうと思うようにしています。
私が提供している『カルマ・ヨガ実践講座』の中でも、カルマ・ヨガに疲れてしまったような人がチラホラと見受けられた時には、「ボーッとしている時間があっていいんだよ」といった意味の補足情報を提示したこともあります。
「ボーッとするためにボーッとする」というよりも、カルマ・ヨガを極めていくためには、時には「カルマ・ヨガは一旦やめよう」という時期があっても良いのです。
普通の仕事でも、ずっと仕事ばかりをし続けていたら、疲れて仕事のクオリティも下がってしまいますから、時には休息が大事であることと同じです。
ですから、私の場合、体力や気力が無いと感じたら、その状態を神(本当の自分)のメッセージと捉え、そこに抗わないという選択をします。
その代わり、そこで「もうやめた」と完全に諦めてしまうことはしません。
「今は休めというメッセージなんだ。いずれ回復したらまたやるぞ」という具合に、スピリチュアルや霊的真理を極めたいという情熱や強い思いは、常に静かに持ち続けています。
「諦めた訳ではないけど、今はやらなくていいや」といった感覚でしょうか。
このスピリチュアルや霊的真理に対して、私がいつもとっている基本姿勢は「抗わない」ということがポイントです。
もしも「休めば良いと分かっていても休めない」ということがあれば、そのことにも抗わずに「だったら頑張ろう」といった具合に、
『押してダメなら引いてみな』ではないですが、押すことにも引くことにも抗わず、徹底的にその時の自分自身の心や体の状態に抗わない姿勢を取り続ける、ということを選択します。
この姿勢のことを、私は『浮遊視点』と呼んでいるのですが、
『浮遊視点』とは、波風で荒れ狂う海の上でも絶対に沈むことの無い「浮き」の視点という意味で、自分をいつまでもどこまでも客観視する視点を保っておく、という意味です。
この『浮遊視点』ということすら忘れてしまうこともありますが、それも『浮遊視点』で見るような…
これはまあ、難しいことでもあるんですが(笑)
つまり、最後の句点、「。(まる)」を否定で終わらせずに、常に『浮遊視点』に持ってくる。
「私はダメだ。」で句点を打たず、「私はダメだ…と言っている自分がいるぞ。」で句点(。)を持ってくる、ということです。
これは、癖付けしなければならず、癖付けすることで身について来ることではありますが、私の場合は、そのような視点を常に適用するようにしています。
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