前回の記事では、自分の内側に神(=普遍意識)の光明を観だす在り方の重要性、「自燈明・法燈明」のお話をしました。
では、「自分の内側に神の光を見出す」にはどうしたらいいでしょうか。
それには、“識別心”を磨く必要があります。
“識別心”を磨くことで、外側の人、情報などを「自分の内側から自分で答えを見出す」協力者として生かし、常に「自分の内なる光(神)に因る判断」ができるようになります。
この、識別心を磨く為の各ステップ、ポイントについて田久保剛の解釈をお伝えします。
目次
自分で識別しようとする姿勢
識別心を磨く最大のポイントは何でしょうか。
それは、「自分で識別しようとする姿勢」です。
常に、「自分で識別する」「自分で判断する」「自分で決める」という姿勢に価値を置いて頂きたいという事です。
私たち人間の多くは、当然の事ながら、初めは「自分で決める」事に自信がありません。
だからこそ、外側の何かに頼ろうとします。
外側の情報に頼る事は、それが先達の適切なものであれば、未知の事象に向き合う時に、大いに参考、ヒントになります。
しかし、その外側の情報に、「自分で識別する」という事まで明け渡してしまう姿勢に大きな問題があります。
「自分で識別する」とは、私たち一人一人に与えられた重要な仕事なのです。
私は、特に霊的真理、スピリチュアル情報に関心を持って学ばれている、この情報にご縁のある方に、自分の識別心を磨いてほしいと強く思っています。
逆を言えば、外側の何か、外的情報や他者の意見に依存して、結果、それらに振り回されていくうちに、自分の判断を明け渡して、識別心を鈍らせ、
挙げ句、自分で識別することができないという、宇宙の中で唯一の価値ある自分の識別という仕事を放棄するような状態になってほしくありません。
そう思うのは、外部情報を鵜呑みにして、惑わされ、自分の本来の役割を見失ってしまっている方が余りにも多いと感じるからです。
登山に喩えるなら、山頂という目的地は一つでも、重要なのは山頂ではなく、そこに辿り付くまでの、あなたに割り当てられた唯一の山岳ルートから見える景色、経験なのです。
先達の意見は、参考にこそなれ、それに囚われると、今、ここに示された自分の山岳ルートを味わう役割を放棄してしまうのです。
山頂が大切なら、文明の利器で、一気にヘリで行けばいいのです。
でも、山頂は、実は元々いた場所なので、そこでは出来ない、そこれ辿り付くプロセスの無限の景色を味わう事に真の価値があるのです。
霊的真理は、五官で認識できる背後にはたらく、通常では見えない領域故に、余程注意深く向き合っていないと、知らないうちに自分の識別を怠って、外部情報の言いなりになって、大切な識別を他者に明け渡してしまいます。
これが、依存と支配の関係性です。
「自分の役割を見失う」と、前回の記事でもお伝えした通り、
「個を通して普遍意識(=神)を現す役割、使命」
を思い出させるかのようにして、多くの場合、不調和な現象を通して警告がきます。
「宇宙の中で唯一の価値ある自分の識別という仕事を放棄しないで!」
と。
「自分で識別」して行けば、正解と思うような経験も、間違いと思うような経験も、結果的に「識別心」を磨くことになります。
それを外側の何かに肩代わりしていけば、識別心はどんどん錆び付いて、自分に自信を持てず、常に外側の何かにすがりつくような彷徨うスピリチュアルジプシー状態に陥ってしまいかねません。
「自分の内側に神の光を見出す」為には、「自分で識別しようとする姿勢」によって、「識別心を磨く」必要があるのです。
神の識別・エゴの識別
私の言う「識別心を磨く」とは、「内なる神(普遍意識)に因る識別心」に近づく、という事です。
「神(普遍意識)に因る識別」とは、「エゴ(自我意識)に因る識別」ではない識別、とも言えます。
「神(普遍意識)に因る識別」は、迷いがありません。
そこに近づけば近づくほど、迷いは少なくなってきます。
「エゴに因る識別」は、迷いがあります。
別の言い方をすれば、「エゴに因る識別」は自信がないので、外部に依存したり、外側の権威に寄りかかって、その識別を自分なりの正当化で支える必要があったりします。
「神(普遍意識)に因る識別」は、根拠を超越して、迷いがありません。
それは、自分の波動の状態で識別できるようになってきます。
その識別心は、誰もが磨いていくことが出来ます。
「自分で識別しようとする姿勢」で、人生に起きる課題に向き合って行けば…です。
では、「普遍意識に因る識別」は、どうしたら磨かれるのでしょうか。
ポイントは2つあります。
ひとつは、前々回の記事、「群盲象を評す」でお伝えしたように、自分の考え、固定概念に執着せず、自分以外の視点や考えを参考にして、様々な角度から柔軟に、全体像を解釈していくこと。
その為に、「正しい霊的真理に基づいた知識」と、それに基づいた「多面的な解釈」の事例が大いに役立つのです。
そして、もうひとつは、「エゴを見破る」という事です。
自分が無意識にしている、「エゴ(自我意識)に因る識別」に気づき、それを見抜く事なのです。
エゴを見破る
「神(普遍意識)に因る識別」は、様々な解釈や考えを繋ぎ合わせた延長線上に見いだせるものではありません。
多角的な解釈を参考にするのは、固定概念に囚われない為には大いに役立ちますが、あくまでもヒントにして、“元々完全な答えが初めから在る”という真理に結果的に気づくことが、「神(普遍意識)に因る識別」なのです。
そして、“元々完全な答えが初めから在る”という真理を覆い隠している正体が、「エゴに因る幻惑」なのです。
この「エゴを見破る」のが、「神(普遍意識)に因る識別」を見いだす大きなポイントなのです。
ここで、「エゴ」、つまり、自他を分ける分離感を持つ「自我意識」について語る上で、常に大前提に置いておかなけらばならない事があります。
それは、エゴは、本来は存在していない、という事です。
存在していない…というのは、「影」のようなもの、という事です。
影は、光を遮ることによって映り、その影に意識を向ければ、その存在を認識することができます。
しかし、真実は「光という実体が在るだけ」で、影は光を遮った結果、映った幻影です。エゴの存在は、それと同じようなものです。
私たち人間は、このエゴを持ち合わせて、必要な経験を地上で積んでいますので、どうしても、このエゴの影響を受けてしまします。
必要な経験、学びの為に必要であっても、諸刃の剣のように、このエゴの作用が、内側に見出すはずの、元々在る真理の光を遮ってしまう側面もあるのです。
エゴという影を神の光で消し去る
では、このエゴの影響を受けなくするにはどうしたらいいでしょうか。
それは、エゴを無くす努力、エゴと戦うのではなく、「エゴを見破る」のです。
エゴが巻き起こす様々な作用に巻き込まれずに、実体のないエゴに意識を合わせている事に「気づく」のです。
エゴを無力化するには、まず、それに客観的に「気づく」だけでいいのです。
エゴに気づかず、その作用に巻き込まれたままだったり、また、それを無くそうとして戦おうとすると、その意識がエゴにエネルギーを注ぎ込んで、より強固になっていきます。
これがエゴの策略、「エゴ・トラップ」の原理です。
たとえば、社会の理不尽な出来事などを論じる中に、闇の勢力の陰謀というような話として興味、関心を持つ方もいます。
その現象の真偽は別にして、この状況の背後の仕組みは、闇の勢力という幻想を外に見出して(分離感)、それに、恨み、憎しみなどの悪感情を持つと、その内なる悪感情に栄養(エネルギー)が注がれ、より色濃く、自分がエゴに因る表現を外部にしてしまいます。
ネガティブ事象に対する悪感情、感情的な反対運動等は、憎しみの悪感情をむしろ助長させることによって、エゴの存続に必要なエネルギーを注ぎ込ませる、別の角度で言えば、地上でのエゴの表現を助長する、巧みな「エゴ・トラップ」の仕組みが隠されています。
反対するどころか、その影にエネルギーを注ぎ込む存在として利用されてしまうのです。
そして、その背後には、安住の地を与えられたエゴがほくそ笑んでいることになるのです。
こうした「エゴ・トラップ」は、社会の出来事だけではなく、もっと些細な私たちの日常のそこかしこに隠されています。
ですから、重要な事は「エゴに気づく」。そして「エゴと戦わない」、「エゴにエネルギーを注がない」、という事です。
「エゴ(自我意識)に因る識別」をさせようとする「エゴ」に気づいたら、強引に排除するのではなく、経験の協力者を演じてくれた功績を称えつつ、愛の光で包み込む。
そして、影が光によって消える如く、エゴを昇華します。
その結果、「エゴの無力化」をして、また、先述した、「正しい霊的真理に基づいた知識」と、それに基づいた「多面的な解釈」で捉えていくと、その背後に、
元々在った、「神の光」を見出すのです。
その経験を積み重ねて行くプロセスが、「神(普遍意識)に因る識別心」を磨く一連のステップなのです。
あなたを通して神の光を地上に降ろす協力
「普遍意識に因る『識別心』を磨くステップ」をまとめると、
1)「自分で識別しようとする姿勢」
2)「正しい霊的真理に基づいた知識」と「多面的な解釈」
3)「エゴ・トラップ」に気づいてエゴを無力化する
これが、一連の記事でお伝えして来た、
「自燈明・法燈明」の在り方で、「宇宙で唯一無二の価値」がある、あなたという個を通し、神(普遍意識)の愛、光を地上に表現し、創造する。
という事になります。
さて、こうした私たちの日常のそこかしこに隠されている「エゴ・トラップ」の仕組みや、「正しい霊的真理に基づいた知識」を参考にした多面的な解釈は、一人の視点ではなかなか見出せるものではありません。
私自身の、上記のステップを四半世紀に渡って積み重ね、
特に、CTPeakとして8年間の経験の中で、私自身の日常や人生、そして、そのプロセスで多くの方々の悩み、問題への向き合い方をお手伝いしてきた結果、徐々に身に付いてきたものでもあります。
この私の凝縮された経験の結果、「田久保剛の霊的真理の解釈」として身につけてきた様々な識別のヒントを、ご縁のある方々の、「神(普遍意識)に因る識別心」を磨く“協力者”として、お役立て頂ければと思います。
“精神世界・スピリチュアル百科辞典”
『群盲象を評す』の記事でお伝えした寓話では、「象(ぞう)」は、普遍意識の象徴でしたが、
他にも「象」は智慧の象徴とされ、インドでは、「ガネーシャ」という、智慧、繁栄の神様の意味もあり、
スピリチュアルの智慧を学び、人生の繁栄、魂の成長を果たす象徴でもあります。
イラストの赤い3つの●●●印は、CTPeakのマークでもありますが、「地球のアセンション」を表現しています。
過去、現在、未来と、地球全体の意識が徐々に拡張していく…
そんなイメージです。
その「アセンション成就」の一助を担う、読者の皆さんが、「象」が象徴する、神の智慧をフル活用して、その使命を全うするサービス『スピリチュアル創造スタジオ』(スピぞう)にご関心がある方は、下記より詳細をご確認下さい。
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