前回の記事、「スピリチュアル情報の解釈『群盲象を評す』」では、
他者の解釈を鵜呑みにしたり、その情報に惑わされるのではなく、それらを全て、
「自らの内に光明を見出す」
ためのヒント、協力者として、自分の視点、自分の解釈を、自分の状況に置き換えての“実践”通して、「普遍意識が自覚に至る」事が重要、
とお伝えしました。
今回は、「自らの内に光明を見出す」ことの重要性について、田久保剛の解釈をお伝えします。
外に答えを求めるから苦しみという警告が鳴る
自分の人生の問題を解決する為に、外部の情報や、他の誰かの情報、助言に翻弄されている内に、自分を見失って、気づいたら深い後悔に嘖まれる現状に苦しんでいる…
最近、そんな同じような状況で悩んでいる方からの相談を受ける機会が、同時多発的にありました。
中には、
他者の言いなりになっているうちに、気づいたら状況は悪くなる一方で、自信を失って、気づいたらお金も底を付き、もう全てを断とうと最悪の決断が頭を過ぎった…
なんて方もいて、
私は思わず、「宇宙で唯一の“最高に価値あるあなた”の担当をどうして疎かにしちゃうんですか…」と、もっと自分の価値を自覚して頂きたい想いをお伝えして、ハッとされていましたが…
こういう「自分を見失う」あるいは「自分を見失わせる」状況は本当に、嘆かわしいと同時に、もっと、宇宙唯一の価値がある、自分自身を大切にして欲しい…その真理をまだまだ伝え切れていない自分にもどかしさも感じました。
私たちは、人生の問題に直面したり、どうしようもない悩みを抱えた時は、当然のように、誰かの助言を求めたり、それを解決する為の情報を外部に求めます。
それは決して悪いことではなく、前回の記事でもお伝えしたように、自分の視点だけでは見えなかった事が、他者の視点をきかっけにして、視野が広がり、問題解決のヒントを得られる事は多々あります。
このように、問題解決に辿り付くプロセスでは、自分の判断に加えて、他者の助言や、外部の情報に協力して頂くことのバランスも大切ですが、それをあくまでも参考、ヒントにして、「最後は自分で答えを出す」という姿勢が最重要ポイントです。
この「自分で答えを出す」を、更に厳密に言えば、この場合の「自分」が意味する事は、自我意識の「自分」ではなく、自分(個)を通して、その深奥から現れる私たちの本来の意識、全体意識である「普遍意識」の事になります。
私たち個々の人間の存在は、その個を通して普遍意識(=神)を現す役割、使命があります。
ですから、問題や悩みは、自分を通して普遍意識を顕現する為のきっかけ、協力者なのです。
そして、その問題や悩み解決は、自分の内なる普遍意識(=神)に因って、「自分を通してする事」が重要で、他人が肩代わりをする事ではありません。
他者や外部の情報に完全に頼り、それに“明け渡し”て、問題を解決しようとするのは、自分の役割、使命、担当を放棄しているようなものです。
だから、その「役割の放棄」を伝えるメッセージのように、「問題が解決しない」「不調和な現象」という神からの警告を鳴らして知らせるのです。
別の角度で言えば、人生の問題や悩みは、「自らの内に光明を見出す」ための機会として提供されているようなものなのです。
だから、その貴重な機会に、自らが向き合って、自分で調べ、自分で考え、自分で判断し、自分で実行せずに、自分ではない何者かに完全に明け渡して、外に答えを求めてしまえば、「自分の内に光明を見出しなさい」という現象がメッセージとして示される、という事です。
自燈明、法燈明とは何か
本当に“明け渡す”のは、自分の内なる普遍意識(=神)であって、その為の協力者を深い所で演じてくれている、他者や外的情報などではないのです。
その協力者である他者が、仮に普遍意識の完全なる顕現者「大師」であっても、最後は、その協力を最大限に生かして、「自らの内に光明を見出す」という役割を果たさなければなりません。
この事は、著書『黎明』の下記の引用を参考にしてみて下さい。
外側の誰かに頼ろうとすることは、大師の実相で在る無限の力、永遠不変の生命が自分の内にも在ると言う真理を理解していないことになり、その分離感こそが、自分の内からの普遍意識の展開を妨げる最大の障壁になるからです。
(新版「黎明」葦原瑞穂著・太陽出版・上巻P282より引用/強調は田久保)
自他を分ける分離感は、学ぶ対象を作る上では役立つと同時に、本来の、内も外もない絶対領域の力を、自らの内に見出すことを妨げる側面もあるので、こうした霊的知識を足がかりにする事も重要です。
そして、先の『黎明』引用には、続けてこのような記述があります。
釈迦大師が肉体を離れる際に、弟子のアーナンダが「先生が居らっしゃらなくなったら、私達は何を頼りにして生きていったら良いのでしょうか」と尋ねたところ、大師が「自燈明、法燈明を汝の師としなさい」すなわち「自らを明りとし、宇宙の法則を明りとして生きなさい」と答えたのは、正にこのことを意味しているわけです。
念のために申し添えておきますが、ここで言う「自ら」とは普遍意識のことであり、個人として、現象我で判断するようにといっているわけではありません。
(新版「黎明」葦原瑞穂著・太陽出版・上巻P282より引用/赤字は田久保)
この「自燈明、法燈明」は、仏教の表現で、中国仏教から日本仏教において絶えず説かれている言葉だそうで、この二つの言葉が常に併記される理由について、著書『バウッダ』には次のように書かれています。
自燈明は、利己主義・自己中心主義と誤解されがちでもある。そのことの痛切な自覚と反省のうえに、そのような誤解を排除するために、自己は万人に通ずる普遍的なる法(ダルマ)に昇華し、あるいはひるがえって、自ら結晶しなければならぬ。
そして、そのことを掲げて、「自己と法」とが併立して、ここに説かれている。「自己と法」をさらに敷衍(ふえん)していえば、それは「個と全」ということにほかならず、個と全とのいわば逆説的な合一が、この「自燈明、法燈明」という阿含経の成句において説かれ、しかもそれは右に述べたような論理において、しかしとくに実践において、その実現が期せられ、課せられている、と称してもよい。
(『バウッダ(佛教)』中村元・三枝充悳著・小学館 P137 引用)
難しく感じるかもしれませんが、要するに、ちょっと強引に簡単に田久保の解釈で言うなら、
「私たち人間の『個』の内側を通して、『法(普遍意識)』を実践によって顕す」ということです。
更に意訳すれば、「自燈明、法燈明」は、
「内なる神(普遍意識)を拠り所にして生き、他は、その為の協力者にする」
という意味と捉えています。
人生の問題や悩みに直面した時に、それをきっかけにして、時に縁のある他者の協力を仰ぎつつ、最後は、自らの内に神(光明)を見出し、それに因って真の解決に導き、結果として地上に神(普遍意識)を顕現せよ…
そういう真理であると、私は解釈しています。
宇宙で唯一無二の価値ある自分
この「自燈明、法燈明」という在り方は、神(普遍意識)、つまり、「本当の自分」が、その個的表現である私たち一人一人の人間に望む在り方、使命だと私は思っています。
なぜなら、私たちが人生で悩み、苦しむ状況の、根源的な原因は、「自分を見失っている時」だからです。
また、他者との比較で、嫉妬、妬み、恨み、憎しみの感情を抱いている自分に気付いた時、物事が上手く行かない時、やる気が起きない時、不安、心配、恐怖の感情に嘖まれている時、
往々にして、「自分を見失ってる」「自分の価値を忘れている」状態にいる、という事に気づくはずです。
そして、その状態を抜け出す答えを、外側の何かだけに頼ろうとすればする程、他者だけに依存すればする程、何かに支配されればされるほど、悪循環に陥り、苦しくなる…
その苦しさは、「自分の真の価値に気づいて欲しい!」「自分の内に答えを見出して欲しい!」という、神からの痛切なメッセージなのです。
神は、私たち一人一人の個性を通し、その個性の数だけ、地球の物質次元で言うなら、73億通りの「神の顕現(表現、創造)」を望んでいるのです。
神は、無意味な創造をしません。
全ての神の被造物は、完全、完璧な創造であって、その創造の意図を私たち人間は知る必要があります。
私達人間の多くは、この物質次元の肉体の表現ができる限られた期間、その神の創造の意図をくみ取り、「自分(個)を通した神の創造活動」に限りなく多くの時間を費やす必要があります。
神が自分自身を創造した真の意図を知れば、他の人の意見、外部の情報、人間の不完全な視点から生じた社会的価値観に囚われて、貴重な時間を無駄にしている暇はないのです。
その限られた時間を、宇宙の中の存在で何者も肩代わりすることのできない、宇宙の中で唯一与えられた、あなただけの担当場所で、
神の創造活動、神の表現、この物質次元に神の光を降ろし、良い影響を全体(神の計画の一助)に放つ、その、宇宙唯一の価値ある自分の創造の為に使うべきだと、私は強く思っています。
そして、「宇宙で唯一無二の価値がある」自分自身という神からのギフトを自覚し、その自分を通して、光を見出す、「自燈明、法燈明」の在り方、神の創造を実現する為には、
まず、自分の外側と、内面に認識する、全ての現象、人、事、者、情報に対する、
「識別心」
を磨き、
「識別力」
を鍛える必要があるのです。
あなたの、その時の「識別」による「解釈」と「実践」にこそ、宇宙唯一の価値があるのです。
特に、物質次元の現象の背後に在る、スピリチュアル情報、霊的真理への正しい理解、正しい「識別」が大きな鍵を握っていると私は実感しています。
この、「識別心」「識別力」については、次の記事に書きたいと思います。
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