【『自分探しの旅』を初めから読む】
《第37話》
この時の自分の気持ちを部分的に捉えると、なんと幼稚で、社会をなめた甘い発想だったのだろう。
しかし、当時の自分は、完全に盲目になっていた。
ましてや、その無責任な甘い発想が、もっと大きな視点で見た時に、私の魂の修行のための完璧で絶対的な必要プロセスだったことなど、知る由もなかった。
【『自分探しの旅』を初めから読む】
《第37話》
この時の自分の気持ちを部分的に捉えると、なんと幼稚で、社会をなめた甘い発想だったのだろう。
しかし、当時の自分は、完全に盲目になっていた。
ましてや、その無責任な甘い発想が、もっと大きな視点で見た時に、私の魂の修行のための完璧で絶対的な必要プロセスだったことなど、知る由もなかった。
《第36話》
ある日、会社を辞めた東山さんから電話がかかってきた。
東山さんは、独立すると言って会社を辞めたきり、私も連絡を取っていなかったし、何をしているのかも全く知らなかった。
風の噂では、能力開発とは全く異業種の仕事をやっている、とだけは聞いていた。
しかし、直接彼の口から発せられた話は、人材教育サービスの事業だという。
《第34話》
この頃の自分の心の中を表現することは非常に難しいが、あえて誤解を恐れずに表現するとするならば、
プラス思考で完璧なまでに出来上がったマインドの奥の、心のとても深い部分に少しずつ溝が出来始め、
その溝がどんどん心を蝕み、心全体を浸食して、空洞が広がりつつあったような感じではなかろうか。
《第33話》
私はこの時期、営業実績を積み上げていく中で、ちょっと気になっていたことがあった。
自分自身はこの能力開発教材で、ある程度、自分の望むような結果を出して来た。
しかし、自分が教材を販売したお客様はどうだろう・・・
《第32話》
私と東山さんは、共に北野本部長に惚れ込んでいた。
もちろん、私たちだけでなく、外交セールス事業部の中で、北野本部長の求心力と部内の結束は、とても固かった。
しかし、特に私たち二人は、北野本部長に可愛がられた。
その時代、北野本部長と東山さんと私は、3人で良く飲みに行き、仕事や営業について何度も熱く語った。
私たち二人にとって北野本部長は、既に上司としての域を超え、無条件に信頼できる“親父”のような存在となっていた。
「俺、北野さんが強盗をやれと言ったらやれますよ」
そんなことを本気で口に出していた。
そんなある朝、大事件が起きた。
《第31話》
(前半より続き)
翌日、誰も見た事のない、その大胆な目標数字をホワイトボードに書き込んだのも、彼自身だった。
この東山さんこそ、私の新たな運命の扉を開けさせる、重要な鍵を握る人物になろうとは、まさかこの時は思いもよらなかった。
《第30話》
ここで、ほんの少し話を遡らせ、北野本部長が来てまだ数ヶ月の頃の、私が最も業績を伸ばしていた時代に話を戻そう。
なぜなら、私の辞職と、その後の展開に深く関与することになった、ある鍵を握る人物を登場させなければならないからだ。
【『自分探しの旅』を初めから読む】
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仏教の世界でよく使われる「因・縁・果」という言葉がある。
私は、仏教について深く語れるほどの豊富な知識を持ち合わせている訳ではないが、この3つの言葉の奥に秘められた意味を、このように解釈している。
「縁」とは、その存在だけでは自分にとって意味を成さないこともあるが、自分の中にその縁に反応を起こす「因」が存在すると、花が咲き、やがて「果」となる。
「縁」とはすなわち「自分自身に出逢うこと」なのだ。
自分の中に「因」があるのだから、その必要な「縁」に反応を起こすタイミングは、自分自身が決めている、と言える。
《第27話》
その翌日、私は正式にB商品課の課長に昇格した。
主任から課長代理に就任して、僅か半月ほどで一気に課長に昇格したのは、会社始まって以来の出来事だったと聞いている。
《第26話》
私の「自分探しの旅」は、ある側面において、この時代のクライマックスに近づきつつある。
しかし、ここでのクライマックスは、私の更なる「心の旅」への第一ピリオドに過ぎない。
次なるステージを迎えるため、そして完全に自己の崩壊に至るために、私はこのステージで恐ろしいほど強靭な自己を確立していくことになるのだ。
そして、その過程がどれだけ重要な意味を持つのか、それは今、こうして自分の体験を振り返ると見えて来る、壮大な神のオブジェに示されていると感じている。
ストーリーはまだ、私が少しずつ自己を確立し、ようやく一人歩きを始めた頃の話である・・・