波動が粗い人からも学びはあるのか

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田久保剛/CTPeak

Q.「自分よりも波動の高い人と関わる事は、学びがあって、成長できると感じるけれど、自分よりも明らかに波動が粗い、重いと感じられる人とは関わりたくありません。そういう人からも果たして学び成長する事ができるのでしょうか?」

という主旨のご質問に対して田久保剛のビデオ回答をご紹介します。

この情報は、「波動」という理解を正しく人間関係に生かし、自分の学び、課題として向き合う上で大いに参考になると思います。

この回答ビデオは、『シンプルさとり講座・Ver.2』の中で、受講生から無期限、無制限で応対しているQ&Aビデオ回答システムの回答ビデオの一つです。

頂いた質問や感想投稿には原則100%、このようなビデオ回答して、全受講生に共有しています。この記事を書いている時点で、こうした回答ビデオが262回ありますので、平均5分ぐらいとして、約22時間分あります(^_^;

真理の無限の学びは人の数だけ答えがある

Q.「様々な波動の人達と共存しているありがたい貴重な次元であるならば、率直に言えば、できれば自らが成長できる人と出会いたいと思いました。そこで質問です。
自分よりも明らかに波動が粗い、重いと感じられる人からも果たして学ぶことがあるのでしょうか?
違う発想、考えがぶつかり合うことによって生み出される学びや創造は、私の場合今の自分と同じ以上の波動の人からが、多いような気がします。
そうではなく、相手がどんな人であっても、ネガティブな感情がわいたとしても、そこから必ず何か学ぶことがあるはずだという視点で捉えていった方が良いのでしょうか?
できれば、かかわりたくないと思ってしまう自分がいます。
自分よりも波動が粗いといった時点で、分離意識が働いていますね。かかわりたくないというのはネガティブな発想に基づいていて良い波動とはいえないので、調和のとれた波動となれる視点を探した方がよいとは思います。
以前なら、こんな風に思ってしまうなんていけないなぁと少し落ち込んだりしましたが、自分も相手も責めない自分に変わっています。
自分自身がそこから学ぶことはないと感じるなら、それはそれで良いのでしょうか?」

A.まず大前提として私が「シンプルさとり講座」を通して皆様にお伝えしていることの中に、「こうすべきでない」ということは一切ないということです。そこをぜひ大前提してみてください。

私は、情報というものを、例えるならばテーブルの真ん中に置いてあとはそれを、あなたがどのように受け止め、そしてどう料理し、どう生かすのかっていうのは、もう全て人の数だけあるんだ、ということです。

ですから、「こうすべき、ああすべき」というものはなくて、それをいろいろ試してみた結果、「ああ、自分としてはこういう風にしたらよかったんだな」ということに気づく…そのように捉えて頂ければと思います。

ご質問の中に「こうすればよいのか」「こうであったらダメなのか?」といった要素を少し感じますが、そうだとしたら、必ずしそうじゃない、という事です。

例えばAさんだったら、そうした方がいい場合もあるけど。Bさんは、全く真逆だったりする場合もある。

つまり、この答えは人の数だけあるんだ、ということを前提とした上で、ご質問に回答させていただきたいと思います。

『起きていることが正しい』という視点

結論から言うと、私は、この事象は私が講義の中でお伝えしている、

『起きていることが正しい』

ということを基点として物事を捉えていただくといいと思います。

つまり、「こういう人からは学びたいけれど、こういう人からは学びたくないな…」というのはあくまで私たちの限られた視点からの一つのジャッジ、判断、価値判断なのです。

しかし『起きてることが正しい』とは、どういう事かというと、

事実として、そういう誰かと出会った…ということがもう一つの答え。

そして、その方との関わりを通して何かを学ぶ、ということです。

もちろん、自由意志を働かせてもいいのです。

「そうしてはいけない」なんてないのです。

こういう人とは、できたら関わりたくない。私はこういう人から、もっと学びたい、自分にとって、もっと波動の良いと思われる人から学ぶことが多いと思っているので、そういう人を選択したい…というのは全くの自由なのです。

ぶつかり合ったり、考えが違う人ではなくて、どちらかというと、自分よりも高いと思われる波動の人たちと関わりたい、という自由意志を選択するのは、大いにOKなのですが、

そういう選択をしたけれど、結果として、その選択した人が、自分が思ったのとは違う側面を見せてくれたりする事もあるのです。

何か考えが違うぞ…とか、何か粗いものを今日は感じるぞ…等、そうして「起きたことが正しい(自分の学びに最適な事が法則によって起きている)」ということです。

私たちにとって波動が高い、低い、というのは、私たちの何かの尺度、物差しに基づいた、ひとつのジャッジメントであって、あまりそういうことに意識を向けないことを私はお勧めしています。

そうではなくて、

「起きている事が今の自分にとって一番正しい」
「そのことを通して正しく学ぶ」

ということです。

田久保剛/CTPeak

波動が粗い人は何を教えているのか

「自分よりも明らかに波動が粗い、重い、と感じる人から、果たして学ぶことがあるのか」

という事ですが、これは十分学べます

そもそもそれは、「相手の波動が重い」という裁きをする事ではありません。

「事実として、その人と関わっている」という(法則の結果、起きている事から何かを学ぶ)のが一つの答え、ということです。

ここで押さえておいて頂きたいポイントは、どうしても、相手の波動が重いとか、粗い、となっていますが、

そうではなく、実は、私たちそれぞれの存在は、全部、ゼロから無限大までの様々な波動が同時に折り重なっているのです。

そして、相手の無限の波動のどこを見ているかを決めているのは、私たち側からだ、という事です。

つまり私たちが、その人のどこう見るかという、どこを観る波動を放ち、どの波動に今一番強くフォーカスが合っているのか、焦点が合っているのか、ということがポイントになるのです。

ですから、分かりやすく言うと、普遍意識(神)の波動を起点として世界を観れば、世界は本来の普遍意識しかないのです。

しかし、良いとか悪いとかではないのですが、私たちの中には、いろんな課題があって、今、焦点が合っている波動を、世界に、人に、出来事に投影するのです。

ですから、相手の中の粗い波動、重い波動は、自分が今フォーカスをあてている、それと同じ波動を参照して観ている、ということです。

これは誤解を生んで、自分を責める人が多いので何度も言いますが、それが悪いという事ではありません。

田久保剛/CTPeak

そのような人に出会って、手伝ってもらって、つまり鏡になってもらって、そして自分の中の今焦点の合ってる波動を変えて高める、また、そこに何か解決する課題があるとしたら、それをクリアしていく、そのことを通して学ぶことで消えていくと、「我」がとれる、ということです。

正に、私たちから見た外側の人、事、物は、全て「鏡」であって、その「かがみ」から「が(我)」を取ると「神(かみ)」が映る、という事です。

ですから、皆は私たちの内面のいろんな課題を映してくれる協力者に過ぎない、という事で、波動が重い人とか、波動が高い人がいる、ということではないのです。

自由意志を行使しても逃れられない学びはある

もちろん、その人の今の意識の成長度合いによって、より心地よい波動を表現する人はいますし、そうではない、非常に粗い表現をする人たちもいます。

でもそれは、本質的に波動が粗い人だとか、そういうことではなく、その人も成長のプロセスであるということがまず一つ。

それから、もし「その人と出会った」という事実があったのなら、その出会ったという起きている事が正しく、そのことを通して学ぶ、という事が、私たちが成長する上では、正しい向き合い方だというように私は思っています。

ですから、「こういう人たちからは学びたいけれど、こういう人たちからは学びたくない」と言うのは、自由意志を行使してもOKなのです。

ただし、「こういう人たちから学びたい」と思っても、もし自分の中に課題が残っていたら、そういう人たち中に、また自分の課題を映しくれる人が現れたりする場合もあります。

逆に、

「この地上が、いろんな人と共存できる次元であるならば、できたら自分を磨く為に、あえて能動的に、自分とは合わない人たちのところへ飛び込んでいこう」

という自由意志も行使するのもいいのですが、私は別にそんなことをする必要はないと思います。

できたら、自分が行きたい方向を自分で選んで頂く。

しかし、結果として自分が学ぶべきことは、どんなところに行っても、そこにそれを協力する相手が現れてくるということです。

素直な気持ちと意識的成長の関係

ですから、そういう人たちを通して、ある意味では、その時は感情的には嫌な気持ちになるかもしれないし、嫌だなぁ…できたら関わりたくないな…という気持ちは普通に誰でもあると思います。

しかし同時に、このような理解をしておくと、「今私にとって必要な学びを、この人を通して教えてくれてるんだな」というように、ちょっと冷静な視点を持って向き合う事ができ、そうすると、より自分自身の意識的な成長がスムーズに進むと言えます。

それから、「こういう事を考えてしまうことは分離感が強いので悪いことだ」という事はありません。

以前と比較すると、そのような気持を普通に表現できるようになった事はとてもいいことだと思います。

大事な事は、「本当は、そういう(分離感が強い)事を思ってしまう自分がいるけれど、こういう真理の学びをしてるから、そんな事を思ってはいけないんだ…」と、その想いを抑圧したり、見て見ぬふりなどをしないことです。

それは、自分自身を成長させていく上では、むしろ遠回りになってしまうのです。

しかし、このように思ったことをそのまま表現していく事で、格段なる学びを得られるということは言えます。

今想っている事を素直に表現して頂いた事はとても素晴らしいことだと思います。

是非、これらの情報を参考にして、ご自身の状況に置き換えて実践して、今回のこの質問の答えを自らの内側から見出して頂けるといいと思います。

ありがとうございました。

田久保剛/CTPeak


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田久保剛/CTPeak

 

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