依存から自立へ 〜エースをねらえ!〜(後半)

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田久保剛

【『自分探しの旅』を初めから読む】
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●◎○● コラム[心の旅の協力者]●○◎●
– 1 –
「エースをねらえ!」(後半)
(前半より続き)
かなり昔に見た番組なので詳細は忘れたが、確かこんなシーンがあったのを覚えている。

失意のどん底にあった岡に、「桂 大悟」という人物が現れる。

彼は、宗方のテニスパートナーであり親友でもあった人物で、宗方の死後、岡の育成を引き継ぐ約束をしていた。

桂は、(理由は忘れたが)出家して、山寺で般若心経を唱えたりして修業をしている人物だ。

その桂が、岡を立ち直らせるために山奥の寺で預かることになり、彼女には再び厳しい修行が始まる。

ある時、雑草だらけのテニスコートの草刈りをさせられている岡が、どうしても虚脱感で何もできず、涙ながらに桂に訴える。

岡:「テニスに出会った時から、宗方コーチはいつでも一緒だった。これからもずっと一緒だと思っていた。

だけどコーチはもういないんです。どんなに会いたくても、もう会えないんです。

どうやって生きて良いのか、もうわからないんです」

桂:「太陽は沈み、月は昇り、そして月は沈み再び太陽は昇る。

岡、足下を見てみろ。その花は生きようとしている。短い命とも知らず、未来だけ見つめて」

岡:「だったらどうすれば良いんですか。どうすればこの痛みは無くなるんですか」

桂:(岡が草刈りで切った傷を指差し) 「見ろ、お前の体は生きようとしている。心だけ置いていくな」

* * *

詳細は定かではないが、こんなやり取りが確かにあった。

今になって思えば、桂が何を岡に伝えようとしていたのか、こんな風に解釈できる。

岡が心でしがみついている(宗方コーチへの)執着に留まることなく、「今、生きている」という「真実」を観ろ、と言っていたのだ。

当時の私は、このやり取りを観ていてハッと気付いた。

「そうだ・・・

俺は『彼女がいて初めて価値がある自分』という、自分自身の心が勝手に作り上げた価値観によって、

その価値を失ったと思い込み、自分で勝手に落ち込んでいるに過ぎない。

確かに、失恋直後は『もう生きていても意味ない』などと思い、食欲も激減した。

しかし、今はちゃんと腹も減り、カップラーメンなんて喰って、俺の体は生きようとしているじゃないか」

人間の心は変幻自在に変化し掴みどころの無いものだが、しかしその心の奥にこそ、生命の存在という「コア」が在る。

私がその真理を追究しようとしたルーツが、ここに在ったのではないかと思う。

実はこのアニメの中のやり取りを見てから、

「何か事がある度に暴れ出すような、あやふやな心を抱えていくのは嫌だ」

「俺は悟りたい!」

そう思うようになって、偉いお坊さんが書いた本や難しい心の世界の本などを買い漁り、

読みまくった記憶がある。

当時、自分の心に響く言葉に触れると書き留めた、ノートがある。

そのノートには、(このセリフが桂大悟のものだったか忘れてしまったが)こう記されている。

「今は冬だ。だけど春は必ずやってくる。春のぬくもりを得る事ができるのは、冬を耐え抜いた者だけなんだ」(エースをねらえ!より)

エースをねらえ!の言葉に触発され、私はこの自分の心の奥に潜む「本当の自分」を探究する旅が始まったと思う。

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